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いつかの夏花火

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「好き」

「愛してる」

「お前がいないと、生きていけない」

「……寝惚けてんじゃねぇよ、銀時」
 長椅子にだらしなく左足を掛けたままけたけたと笑うと、銀時も漸く頬を緩めた。
 高架橋のおでん屋の屋台はこの不況下にも相変わらず健在で、密やかな逢瀬の場所になっていた。最近、粋な主人がとうとうビールサーバーを購入したらしく、生ビールがメニューに加わって銀時を喜ばせたが高杉はあいも変わらず冷酒をちいびりちびりとやっている。
 銘柄は藤娘。
 四万十の伏流水で出来た嗜好の一品だ。
「銀さんは酔っ払うけどいつもお前に対しては本気だっつの」
 無意識に握っている高杉の右手を、確かめるように引っ張った。
「お前の言葉は信用できない」
 大分、酔いが廻ってきているのか、高杉は意味深に笑ったまま机に肘をついて銀時の顔を覗き込んだ。
「あら、酷い」
 大仰に肩を竦めて熱が渦巻く空を見上げる銀時は満更ではなさそうだ。
「気色の悪い言い方すんな」
「アア…や、さっきまで人手が足りないってバイトしてたんだよねぇ」
 ツインテールの大柄のオカマになっていた、ということらしい。最近人気もうなぎ上りでご指名まで入る始末だ。
「……」
 傍らに座る銀時はなぜか嬉しそうに目を細めているのだが、高杉にしてみたらその機嫌の良さが不気味でもある。
 何かを見極めようと、体を傾けて座る高杉はじっと銀時の顔を見詰めた。こうして銀時が饒舌になる現実は、きっと裏に何かがあると決まっている。
「……紅」
「あ?」
 だがふいに、腕を伸ばして銀時の肉の厚い唇の端に指で触れた。
「まだついてる」
 親指の腹で薄っすらとついている紅を拭うと、小さく笑った。
「……晋ちゃん」
「んだよ」
 はしっと手を握られた。
「やっぱ俺たち結婚しよう。子ども作ろう。銀さんがんばるから愛してるから」
「……」
 肩を掴まれて、向かい合わせのまま引き寄せられる。
 余りに真剣な顔に一瞬気圧されたが、直ぐに破顔して笑った。
「はは、お前馬鹿だろ」
「馬鹿でいいよ。お前が俺のになるなら」
「……」
「お前がここで頷けば、誰を措いても俺はお前を守る。これでもかってくらい抱いて…足腰立たせなくしてどこにもいかせねぇ」
「…そうして、」
 瞬きをひとつ。
「そうして、俺に腐っていけと?」
「腐るか腐らないかはお前次第。御天とうさんの下で大手を振って歩いていけば、腐った患部も乾いて消える」
「く、はは! 面白ェな。この世界が腐ってるのに俺の膿が乾くことなんざねぇよ」
「俺が口で吸ってやるさ」
「きめぇ…」
「ひど…っ」
「親父、冷酒もう一杯」
「あいよ」
「なぁ銀時、俺とお前の道はもう交わらない。こうして逢うことに何の意味がある?何もありはしない。ただ惰性を引きずっているだけだ」
「惰性じゃ駄目か」
「当たり前だろ」
「俺はお前がいればそれでいい」
 銀時の言葉に、高杉はとうとう呆れたように肩を竦めた。
「嘘つきめ」
「嘘じゃない」
「お前の言葉は、信用できない」
 再び噛み締めるように告げられた言葉に、銀時は哀しそうに笑った。
「銀時、俺とお前は交わらない、」
「……」
「あの瞬間から永遠に」
 だけど…
「お前がもし、俺を止める事に成功したなら俺は再びお前の前に現れる。何年だろうが…何十年だろうが…何百年だろうが…お前が待っていてくれるなら…」

 来世で逢おう。

 そんなものが、在るとしての仮定だが。






 腕に抱いた力ない彼が血を吐いて、事切れる瞬間、確かに言った。
(またな、)と




 ぴりり、という短い電子音で現実の世界に呼び戻される。
「……」
 じっとりとした汗が額を流れて、思わず小さく吐息した。
「あー……」
 瞼を閉じるとどっと、疲れが両肩に伸し掛かってきた気がして乾いた唇を舐める。緊張していたのか体が硬い。窓を開けっぱなしにしているとよく風が通ると言っても真夏の正午だ。
 気温はぐんぐん上がって壁に掛けてある温度計を見るのが怖い。机の上に置いた携帯電話はメールの着信があったことを知らせる点滅がちかちかと光っていて、手を伸ばした。
 折り畳み式のそれをぱくりと開くと【メール1件】の文字。
 ボタンを操作して開くと高杉からだった。
 件名の欄に「補習、今終わった」と書いてあるだけで本文も何もない簡素すぎるもので、思わず、ぷっと噴出した。
 あの頃の彼とは大違いだ。
 彼は筆が達者で、とても綺麗な文章を綴っていた。
 銀八もまた「待ってる」とだけ返して、携帯電話を閉じると机の上に突っ伏した。
(またな、)という言葉を信じて気が遠くなるような時間、待ち続けた。
 彼がこの世に生を受けた八月十日という日。
 おそらく自分は、わけもなく慟哭しただろう。
 俺は、お前に会うために生きてきたのだ。
(お前に、会いたかった)
 そしてもう、喪うことに恐怖している。
 携帯電話を握り締める。
(早く、ここに来いよ)
 ぎゅうって抱き締めるから。
 肌を蒸すような気温の中、少しばかり涼しい風が銀八の髪と真っ白いカーテンを揺らす。同じ風にお前も揺らされて欲しい。
 すると、ばたばたと廊下を走る足音が聞こえて、目を上げる。(ああ、高杉だ)と直ぐ分かった。だが足音はドアの前に来ると立ち止まり、待てども扉は開かない。机に突っ伏したままじっと扉を窺っていたがびくりともしない。
(なにこれ、焦らしプレイ?)
 のそりと上半身を上げると、漸く扉が開いた。高杉だ。
「うわ、あっちィ…んだよこの部屋」
「よう…補習ご苦労サン」
 机に肘をついて扉の前に立つ高杉を真っ直ぐに見た。すると彼はしかめっ面のまま鞄を手に歩いてきた。シャツの襟を持って風を入れながら窓の傍に行こうとする。風に当たりたいらしい。
「ちょ、クーラー入れろよ。熱中症になるだろ、コレ…」
「クーラーの風嫌いなんだもん」
「キモイ。なんだもんじゃねぇよ、せっかく教室涼しかったのに台無しじゃねぇか」
 高杉の言葉は辛辣だ。だが嘘がなく真っ直ぐだ。そんなところも、気に入っている。
「フーン…その割りになんか汗かいてね?」
「は?かいてねぇし。てか暑いんだから汗くらいでるだろ」
「それにしちゃ、首元とかすごくね?」
 ぎし、と椅子を引いて立ち上がり暑いのに着込んだ白衣のポケットに両手を突っ込んだ。にやりと笑うと高杉が慌てて首筋に掌をあてて身を引いた。
「べつに、そんなこと…」
 ない、と言い切る前に彼の腕を取って、引き寄せる。あの頃の高杉よりもまだ一回り小さくて華奢な体は直ぐに銀八の胸へと落ちてきた。成長期特有の中世的な体つきをしているのだ。
 抱き締めて、項に鼻面を押し当てる。
「涼しいとこにいたわりに、汗かいてんじゃね?」
「ちょ、くすぐったい」
 身を捩っているが本気の抵抗ではないと分かったので、逃がさないようにホールドして壁際へと追い詰めた。
「なに、先生に会いたくて走ってきたとか?」
「は?」
「かわいいねぇ、お前」
「走ってねぇし。つか離せよ」
作品名:いつかの夏花火 作家名:ひわ子