人にやさしく
本当に欲しいのは、夏の陽に存分に焼けてしまった肌と、間の抜けた明るい声の返事であった。
君も早く気づけばいいのに。
嫌味や吐き捨てのように思ったせいか、体の器官は一切正常な動きをしているが、腹の底が重く、喉が渇いた。カップ一杯の甘いカフェオレを飲み下しても、まだまだ足りない。
11月の終わりの雲雀は、皮肉と気持ち悪さと少しの重さで動いている。
次なる12月の指標を副委員長に伝えると、平静を努めようとする顔が僅かながらに歪んでいた。あくまでいつもの語気で言い放ってしまったから、撤回されずにあと少しで全校に達しが出ることだろう。
『人にやさしく』
自分で思いついたことを差し引いても、あの男への皮肉にしては、余りある、なんと言うふざけた標語だ。
本当はこんな困惑に塗れた表情は、あの男に浮ばせてやりたい。そう思いついてもあの時咄嗟に振り払った手をまだ放って置いている。
普段なら、こんな憤りは直接相手の肉に叩き込んでその度合いを示してやるところだが、だけどそれだって、無駄な抵抗だ。
なんだ、僕は。居もしない優しい男にいらだっている?
白いコードを手繰り寄せ、小さな再生ボタンを押すと、ギターリフとこの校内に似つかわしくない怒涛のメロディが始まる。出来るだけ激しく鼓膜を揺らせれば何でもいいのだ。自分と同じ名前の誰かを呼ぶ、あの男の声さえ掻き消せれば。これで暫くはやり過ごせる。まだもやが鎮座する胃を、ベースの重低音が揺らして、少しだけ不鮮明さが解消される。
自分の知らない色に浸食された、目線も声も伸ばされる腕も、あの男にまとわりつく妙な魔力からすべて逃げ出すことができそうだった。
ボリュームを少し上げ、力を弱めてイスによりかかると、いつの間にかケヤキが総じて裸の枝になり、夕暮れを何のフィルターもなく通していた。
夕焼けの色が濃く、目に残像を残すほど燃えて空気に色を付けていく。今年は花壇のパンジーもあっという間にその花を落として、秋の終わりの匂いをかぐ前に季節が雲雀の肩を叩いてしまった。
忙しさにかまける季節の移り変わりがこんなに無味観想しているものとは知らなかった。こうして年月は過ぎていくのだろうか。それはどんな戦場や肉体の惨状よりあの大嫌いなセックスより、幼い雲雀にはグロテスクなものに思えた。
ああ、もう冬だ。あの時代にも同じように秋は暮れていたのだろうか。『僕』はそこで、何を思っていたんだろう。
もう、今となってはそれを知ることはできないけれども。
了