カナリア
桂小太郎からも、坂田銀時からも高杉を護れる刃に?自分たちから奪わせない力を持つことが出来ると?
クツクツと自然と笑みが零れた。
「アア、本望さね。俺があの人の刀になる、それほど素晴らしいことはないねぇ」
それは似蔵にとって最良の居場所だ。
全てから弾かれ暗闇の中、生きている実感が欲しくて人を斬っていた。それがどうだ。今は自分の居場所がある。高杉の傍らという自分にとって誰にも譲る事の出来ない居場所が。
誰にも奪わせはしない。
あの白銀の夜叉にも、誰にもだ。
「よかろう、それなら直ぐに準備を進める…高杉殿、それでいいな?」
頷いた高杉を確認すると踵を返した村田はすでに刀匠の目になっていた。彼は彼の望みが叶い、似蔵は似蔵の望みが叶う。
その気配が去ったところで、似蔵はゆっくりと歩みを進め背中を向けている高杉の背後に立った。ゆっくりと頭を屈めて耳朶へと唇を寄せる。鼻腔に高杉の匂いを感じて全身が震えた。
「あんた、また厄介な獣を抱えているね」
「……」
「だが安心していい。俺があんたの望む未来に連れて行く」
精一杯の、似蔵の告白だった。しかし高杉は鼻で笑うと瞼を閉じる。おかしくて仕方なかった。高杉しか見えていないこの男の末路が高杉には見えていたからだ。
「似蔵、余計な世話だ。俺が歩む先はてめーで決める。いらねぇこと考えてやがったら叩き斬るぞ?」
「そうさね、息絶えるときはあんたの刃がいいねぇ」
風が吹いて高杉の着物の裾を翻す。その風からさえ護るように似蔵は斬られる覚悟で高杉へと腕を伸ばした。
「この手が俺の間にあんたに触れてもいいかい?」
高杉はこの哀れな人斬りを見上げて眉を顰めた。ゆっくりと手を持ち上げて冷たくなった指先を似蔵のよく引き締まった頬に触れさせた。触れさせろと言っているのに逆に高杉が触れると怯えるように震えるこの男が可笑しくて高杉は薄く笑うと力なく小さな頭を似蔵の胸に預けた。
「そんな小せェモンを壊して、満足か?」
「…!」
「どうせ壊すなら、どーだい、一緒に」
ここにいる。
腕を背中に廻せば、彼は簡単にこの胸の中に落ちてくる。この肌寒さの中で似蔵の喉はカラカラに渇き、それなのに背中や額には汗が滲んでいた。
「世界をぶっ壊しにいかねぇか」
だが、似蔵には出来なかった。高杉の背に腕を回す事も無理矢理に抱き締めてしまうことも到底できるわけがなかった。
高杉の心はここにはない。
もうずっと過去で足踏みしてしまっている。
その余りに孤独な魂の入れ物なのだ。抱き締めてしまえばきっと砕けていたかもしれないと怖気づく。
あの日、出逢ったのは似蔵にとって偶然であり奇跡だった。
「アア、そうさね。俺がブッ壊してやるよ」
(あんたを心から愛しているよ)
「全部」
そう告げられたならどれほど幸せか。けれど似蔵には出来ない。それならば自分は刃でいい。高杉を護るための最強の刃となる。
そのためなら、鬼にも蛇にも善にでも悪にでもなる。
哀れなやつらだよ…てめぇらは…。
あの頃の自分ならば、きっと万斉もまた子も、そして似蔵も愛せたのだろう。共に酒を酌み交わしどんちゃん騒ぎで三味線を弾いて唄をうたい、彼らのために命を賭して刃も振るえた。だが今の高杉にそれは出来ない。余りに深い悲しみと後悔、そして復讐の念だけが凝り固まって溶けないのだ。
更に追い討ちをかけるように、タイムリミットが出来た。
時間がない。
限られてしまった猶予の中、どこまで出来るか高杉にもわからない。
幕府を潰すために、己の死に場所を得るために利用するものは利用する。自分に対する純粋な思いでさえ、裏切って踏みにじることも厭わないだろう。
けれど、あの頃のようにお前らを愛せたら。
船の上、月明かりの中眠る江戸の町を見下ろす。
その先端に立って、高杉は銀時を思っていた。この下に銀時は眠っているのだろう。この時間ならどこぞで呑気に飲んでいるかもしれない。
「銀時ィ、俺はここにいる」
紅桜製造が軌道に乗り始めて、高杉は万斉と共に攘夷志士を専門に見ている医師笹冶の元を訪ねた。
病名は肺結核
高杉の中の、もう一つの狂暴な獣の名だ。
進行は早く初期の段階をとっくの昔に過ぎていた。薬は法外な値段で天人の間で取引されているだけだ。それに高杉には今更そんなものを飲む気もなかった。
「銀時、早く来いよ、早く」
高杉の背中にはいつも銀色の髪をした夜叉が笑って立っている。だがそれを振り払うようにひたすらに銀時の名を呼んだ。
「銀時…」
きっと銀時はこの船に来るだろう。そのためにわざわざ似蔵に紅桜を持たせたのだ。
「楽しみだなァ、銀時」
満月の夜、この船に小さな少女が乱入してくる半月前の夜だった。
了