永遠に失われしもの 第二章
シエルは遊戯室を出て、階段を上り、練習室へ向かう。
特段弾きたいわけではなかったけれど、
ただなんとなくヴァイオリンに触れたかったのだ。
練習室には、グランドピアノと譜面台、
楽譜入れ棚が置いてあるだけの簡素な部屋だった。
ただ壁際の天井から、幾つものヴァイオリンが吊り下げられており、
どれも相当な年代物であるのが見てとれる。
シエルはついぞこの間フルスケールに変えたばかりで、まだ弾き難いのだが、
比較的モダンそうなヴァイオリンの一つを選んで、肩当に顎を乗せてみる。
弓を壁据付のガラスケースから選んで、調弦のため、グランドピアノの蓋を開ける。
象牙の白鍵が黄みがかっているが、しっかり調律されていた。
調弦をすませて、ヴァイオリンを一旦グランドピアノの上に置く。
暗譜で弾けるレパートリーを持つほど、熱心に練習したことがないので、
まずは楽譜を探さなければ、話にならないのだ。
楽譜用の棚は、一曲ごとに収納できる薄い棚が何十とついた棚で、
どうやら作曲者のアルファベット順に並んでいるようだった。
Bの棚からバッハの無伴奏パルティータ3番を取り出す。
ホ長調の明るく、気品のあるプレリュードの出だしがとても気に入っているのだ。
しばらく弾いていなかったので、なかなか思うように指が動かせない。
でもヴァイオリン自体は、シエルが昔使っていたものより、数段深くて良い音をだす。
・・きっと、他のもっと古そうなヴァイオリンはさぞかし名器に違いない・・
と、何かを感じてシエルは突然弾きやめた。
そのまま中庭側の窓から、外を見下ろすと、
眼下に噴水の近くで、腕を押さえて歩いていくセバスチャンが見えた。
遠目でも、かなり酷い傷を受けたのがはっきりわかる。
作品名:永遠に失われしもの 第二章 作家名:くろ