シンはうちの子!
ネコ耳のために…ネコ耳のために…ネコ耳のために!
ジークネコ耳!
ジークネコ耳!
シンはインパルスのコクピットで真っ黒い煙を吹きながら引力に逆らえぬまま海へと落ちていくウィンダムをただ見つめていた。敵機はこれで最後だ。僅かに乱れた呼吸を整えるようにレバーを強く握ったまま浅く深呼吸した。
今日の戦闘もこれで終わりだ。毎度、飽きもせず無為な戦闘ばかり繰り返して…早く終わればいいのに。戦争なんて。
そう思った刹那だった。
突如、ウィンダムとの回線が開きノイズ混じりの男の声が耳に届いた。
『くそ…ぉ…これ…終わ…思う…よ』
「いいや、これで終わりだ」
ウィンダムがそれでもまだ、自由の利く右腕を動かしライフルを撃とうとしたのを見て、シンは静動させていたエンジンを稼動させフットペダルを強く踏み込む。チッ、と舌打ちした。
(何でこれ以上やろうとするんだよ…)
大人しく沈めば、とどめをささなくて済むのに。殺さなくて済むのに。背中からビームサーベル抜いて一気に加速した。
「もうやめろよ!」
『貴様…呪い……てやる…!……ネコ……ために…』
「はあ!?」
『ジーク、ねこ、み…!』
(ネコ?)
何がネコ?
シンは首を傾げた。
意味がさっぱり分からない。
それでもライフルからは、インパルスめがけてビームが飛び交う。それを器用にシールドで避けてタイミングよく懐に切り込んだ。
「終わりだ!」
『…ネコ、み…の…にぃぃぃ!ぎゃああああ』
断末魔の叫びのようだった。シンは迷うことなくコクピットを貫き、バー二アを加速させウィンダムから離れた。しかし男の最後の声だけはしっかりと耳に届く。しつこく、ねっとりとした不快なものだった。それと同時に眼下で爆発が起きた。もうもうと煙と炎を吹き上げ木っ端微塵に機体が吹き飛び、バラバラと残骸が海へと落下して行く。
「………」
シンはそれを目で追っていたが、ふいに頭をずきりと鈍器で殴ったような痛みが襲った。
「い…っ」
思わず瞼を閉じて、スロットルから手を離しヘルメットに触れる。
(な、に…頭痛…?)
固く目を閉じたまま、その痛みをやり過ごそうとぶるぶると頭を振ったが一向に鈍い痛みが治まらない。
「いた、い…」
シートベルトの存在すら忘れて蹲ろうとして失敗する。
「…っ」
息苦しくなって、気密シールドあげて息を深く吸うと漸く酸素が頭まで届いたような気がしてシートに体を預けた。
『シン、どうした』
敵を殲滅したというのに、一向にその場を動かないシンを不審に思ったレイのザクファントムから通信が入る。モニターのスイッチを入れて、シンは数時間ぶりに見るレイの顔にほっと安堵の息をついた。
「レイ…」
『中々、帰投しないから…怪我でもしたのか』
その顔はいつもの無表情なものだったが、声にはこちらを心配している響きを感じとってぶるぶると頭を振って、自分の顔をモニターで見ている筈のレイへと笑いかけた。
「平気、大丈夫だよ。これから帰投する」
『…了解した』
何だか納得いかないような顔をしていたがレイは一応、頷くと回線を切った。それを確認してからシンはもう一度確かめるように、息を吐いて自分の頬に触れた。
「大丈夫…だよな」
びっくりした。
少しだけ冷や汗をかいている額をグローブの指先で拭って、改めてレバーを握る。
さっきまでの頭痛が嘘のように今は治まってシンは漸く機体を返し、ミネルバへと向かった。
***
戦艦ミネルバは完全防音で、幾ら外壁を修理していてもそれが艦内に届くことはない。シンはぼんやりと薄暗い闇の中、天井を見上げて溜息をついた。今頃、整備班は戦闘で傷を負った船体を必死に直しているのだろう。
(もう少し、俺が巧く闘えてたらミネルバにもたくさん被害が出なくて済むのかな)
そんなことを考えていると何となく、寝付けずに幾度となく寝返りを打って結局仰向けに転がった。けれど、隣が気になって少しだけ首を巡らせるとそこにはブランケットを肩まできちんとかけたレイが、穏やかに寝息を立てていた。最近、戦闘続きだからレイも疲れているのだろう。
無意識に握った、ピンク色の携帯電話。軍に入って間もない頃は随分と落ち着いてきたおかげか、これが無くても眠れていたのに最近はまた気づけば弄っている…気がする。
「はあ…」
シンは溜息をついた。
ころんと横向きになって膝を抱えるように背中を丸める。
(寝る。寝るんだよ。…明日ももしかしたら戦闘になるかもしんないし!寝て体力回復して元気でいるのもパイロットの務めだってレイも言ってたしな!)
よし。
寝よう。
目を閉じ、肩の力も抜いてリラックスする。けれど今度は静まり返った室内の空調の音が耳についた。苛々を抑えつけようとシーツをぎゅっと握り締める。
(くそぉ~、俺は寝るんだよ。ねるねるねるねる)
「………」
しかし、そう思えば思うほど目が冴えてしまってシンは眉間に皺を寄せた。そういう時はどうすれば良かったっけ?数を数えるのは何だっけ。
えーと…羊…ねこ?
「………」
(ネコ!?)
閉じていた目をばちっと開いて、何度か瞬きをする。
とてつもなく驚いた。
どっからそんな動物が出てきたのか、シンはぶるぶると首を振った。
(ネコのわけないじゃんか!)
「……っ」
その時だ。またふいに頭に痛みを感じて、シンは反射的に瞳を閉じて掌で額を押さえた。ずきずきと原因の分からない痛みが、断続的に襲う。
「…っく」
痛い…。
息を詰めて、両手で頭を抱えるとブランケットを抱き潰すように胸に抱えて、どうにか痛みを流そうとするのだが、今度は一向に治まらない。レイを呼ぼうかと思わず縋るような目で隣を振り返ったが、やはり彼は穏やかに眠っていた。
(…駄目…駄目だ)
疲れているレイをこんなことくらいで起こしていたら、駄目なんだ。
レイにばっかり頼ったら…。
(大丈夫…だいじょうぶ…)
シンは耐えるように頭からブランケットを被って丸まった。
大丈夫、大丈夫…と小さく呟きながら。
…ン。
…シン。
聞き慣れた声がする。優しく体を揺らす手の感触も覚えがある。シンの意識は暗い水底から少しずつ浮上するようにその声に向かっていた。
「…ん」
小さく甘えたように鼻を鳴らすと、上の方から呆れたような溜息が降ってきた。
「シン、いい加減に起きろ!」
ああ、そうだ。
レイだ…。
大好きな、耳に心地よい声。
今度は少しばかり乱暴に体を揺さぶられる。その動きに何とか眠たい瞼を擦って、シンは目をゆっくりと開いた。
「ん、レイ…?」
何だか、声が篭っている気がする。
何でだろうと考えて、ふいに視界が暗いことに気が付いた。
(あれ…)
「レイ、じゃない。さっさと起きて仕度をしろ。ブランケット捲るぞ!」
「んー…」
レイは有言実行の男だった。遠慮なく裾を掴むと勢いよく捲る。その瞬間、内に溜まっていた熱が外へと逃げて寒さを感じた。
「………」
ぼんやりと瞳を瞬いてレイを見上げる。眩しさに目を眇めたが序所に明るさに慣れてくる。すると今まで気づかなかった彼の異変に気が付いた。