愛してるって言わなきゃ殺す!
この番組には児童・青少年の視聴には配慮が必要と思われる場面があります。
「他のにしようか」
休日の正午、昼食を終えた帝人と臨也は事務所のソファに座ってぼんやりとテレビを眺めていた。
液晶モニターがブルーバックと共に冒頭の注意文を表示した時、臨也はそう言ってチャンネルを変えた。
「あ」
大きな薄型液晶テレビの画面右端に安心のNHKロゴ。
小さな子どもとぬいぐるみが何やら楽しそうに話している。
帝人は臨也を見た。
「何?」
「…………いつもこういうの見てるんですか?」
「ちょっと……待って。別に俺は小さな子に特殊な感情をもてあましたりしてないからね?」
「……別のにしてもいいですか?」
「もちろん」
「…本当に変えても良いんですね?」
「帝人君、怒るよ」
帝人はあいまいに微笑んで臨也からリモコンを受け取ると適当にチャンネルを変える。
画面に白衣の女とスーツを着た男が映った。女優の顔に見覚えがあって、帝人は手を止める。
「あ、これ3年くらい前にやってたやつですね」
「ああ、科捜研のなんとか」
特に何が見たいというわけでもなかったので、帝人はリモコンをテーブルに置いた。
「帝人君って年増好」
「違います」
気を取り直して、帝人はテレビ画面に意識をやった。
『君は俺を好きなはずだ。そうだ!間違ってなんか無い!!』
画面の中で男が喚いた。
手には果物ナイフを持っている。切っ先を向けられた女の後ろは断崖絶壁だ。
黒い岩に押しては、荒れた波が粉々に砕けて散る。
『そのナイフ……』
『そうだよ。君が足立を刺したナイフだよ』
『ど、どうしてあなたが?』
女が酷く取り乱す。明るい色の髪が海風になぶられた。
男がさも愉快そうに笑う。
『駄目だよ。由紀子さん。ちゃんと殺したか確認しなきゃ』
『え?』
『君が足立を刺した時、彼はまだ死んでなかったんだ』
『そんな、だって…でも、胸を一突きで、死んでたって刑事さんも』
『彼がちゃんと死ぬように、ナイフを胸に押し込んだのは僕だよ』
『そん、な……っ』
『君を守ってあげたのは僕だよ。由紀子さん』
男の眼は風で乱れた黒い髪の奥でらんらんと輝いていた。
『君は足立……あの男の暴力に苦しめられていた。別れてからもずっと。ずーっと』
朗らかな音で男は歌うように言葉を並べる。
『だから僕が守ってあげていたんだよ。いつも。君も気づいてたんだろ。毎日盗聴器に向かって僕に話してくれたよね。手紙も毎日書いて…君の写真と…………一緒にポストに入ってただろ?ずっと君を見てるよって。電話も毎晩した。君をずっとずっとずっとずっとずっと守ってあげてたんだよ。だから……』
男はふと、夢見るような表情から正気を取り戻したように真顔になった。
『君は俺を好きなはずだ』
男の手に握られたナイフが象徴的な光り方をする。
『君は俺のものだ。俺だけのものだ。そのはずなんだ。俺は絶対、俺の、君は俺を好きなんだよね。わかってるから。ね、そうだろ、なあ』
男の顔がどす黒く変色していくのと比例して、女の顔は白くなっていく。
『こないでっ』
『好きだって言えよっ!俺を愛してると言え!』
女の白いハイヒールのかかとが切り立った岩の端を崩す。
錯乱しているような男の手はしかし、しっかりと刃物を握って、切っ先はぶれることなく真っ直ぐに女の方を向いていた。
『い…嫌……い、や……』
女が喘ぐように言葉を吐いて、わずかに首を横に動かした。
彼女の眼に浮かぶ涙をぼんやり見ていた男は、どこか苦しいというように顔を硬直させたが、すぐに表情を消すと、反対にがたがたと震えだしたナイフを両手で持って叫んだ。
『君を殺して俺も死ぬ!』
次のカットで刑事によって地に押さえつけられた男を見ながら、帝人はデジャブを感じていた。
「ストーカーって本人は気付かないそうだよ。守ってあげてるつもりなんだって」
隣で臨也がコーヒーを口に運びながら言った。口許には嘲笑が浮かんでいる。
画面で男が往生際悪く女の名前を何度も叫んでいる。
「ほんっと、困っちゃうよね。ストーカーって人種はさあ」
思い当たる知り合いでもいるのか、臨也は含み笑いをしながら帝人の腰を抱き寄せた。
「ね、帝人君」
自分に向って淡く微笑みを変質させる男に帝人は黙って体を預けると、金属の指輪をした手が体を這う慣れない感覚に瞼を下した。
臨也は一通りの講釈を済ませた後、舞台役者のような身振りで帝人に向き直った。
『だから…………君は、俺が好きだよね』
後ろ背を錆びた鉄柵の凍てついた温度に焼かれ、帝人はそれ以上後ろに下がることが出来ないと知る。
劣化したアスファルトを削いでいく悲鳴のような風の音が、すぐ後ろの深淵から聞こえた。
臨也は緩やかな足取りで帝人へ距離を詰めた。
『折原…さん…』
『臨也で良いって言ってるのに。帝人君は本当に奥ゆかしいんだから』
ひきつった喉からこぼれた名前に反応して、臨也は場違いに芝居がかった声を出した。
『帝人君』
慈しむような声音にこびりついた、ざらざらした違和感は、張り付いた美貌を一層壮絶に見せる。
『俺を愛してるだろ?』
右手のナイフが月影に濡れて、彼の白い頬に光の飛沫を浴びせた。
唇を辿る指が、境目を探るような執拗さで首筋へ下がっていくのに帝人は目を開けた。
「帝人君、今何考えてたの?」
「……何も」
帝人は、臨也から廃ビルの屋上に呼び出された時の事を今でも鮮明に覚えている。
「…………」
「臨也さんに、告白された時の事を、少し」
臨也は喉の奥で笑いながら、帝人の肩口に頬を寄せた。人に慣れた動物がするように首筋に額をこすりつける。
「帝人君は、俺のどこが好き?」
「……え」
「何その反応」
虚を突かれたような声を上げた帝人に、臨也は彼の背骨をなぞる指を腰に回して強くその体を抱きしめた。
「く、苦しいです」
「ねえ、俺のどんな所が好きなの?」
拷問の様な抱擁に、帝人は骨の軋むのを聞いて臨也の体から距離を置こうと腕を突っ張る。
「ちょっ…と、待って下さいっ」
「待たない」
首の裏を齧られて、帝人は声にならない叫びを上げた。
「あのっあのっ、恋人の好きな所がはっきりしているカップルは別れ易いそうですよ!」
「…………何それ」
臨也は体を離し、眉をひそめて帝人を見た。
圧迫から逃れた肺が空気で十二分に膨らむ。
「え、ええと、ですね、何でも恋人の好きな所って言うのが、一転して嫌いな所になってしまうというか、長所と短所が表裏一体なように……例えば、無口で静かな所が好きなんだけど、何を考えているかわからなくなるとか、一緒にいると楽しいけれど、将来の事を考えると不安になるとか、ドキドキするけど安心感がない、とか」
臨也の顔色を伺いながら帝人は話を続けた。
「絶対的な突出は決定的な穴であったり、ですね、だから、ええと…好きな所があいまいなカップルの方が別れにくいそうですよ!」
「……で、帝人君は俺のどこが好きなの?」
「あの……僕の話聞いてくれてましたか?」
作品名:愛してるって言わなきゃ殺す! 作家名:東山