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夜になるまで待って

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「風邪?」
「しっ」
 と褐色と藍色と白色で構成されたメイドが人差し指を立て、自らのぷっくりとした唇に当てた。だから真剣そのものの気遣わしげな声音裏腹、どことなく優美な、緊張感のない空気が広がった。
「ルカ様には、人間がかかるのと同じ風邪だと」
「じゃあ、本当は――」
「彼岸では、おふたりは肉体を持っているわけではないのでそのような病にかかることはありえません。新しい環境にルカ様が順応していないんです」
「おれは大丈夫だけど」
「ルカ様の魂がお身体から離れたのはずいぶん前のことですし、あのときはそもそもまだ完全ではなかったのですから。必要以上の気遣いをさせたくありませんから、ルカ様にはこのことは伏せておいていただいても?」
「うん、いいよ。治るのにはどれくらいかかりそう?」
「症状は風邪と同じで、必要なのも同じく休養です。一週間も横になっていれば回復するでしょう」
 ハンナの説明は簡潔かつ分かりやすかったから、アロイスがそれ以上疑念を挟むまでもなかった。そしてふたりともしばらく黙りこくって、兄のために差し出せるだけのものを差し出したこどものことを考えた。完全ではなかったというのは悪魔語で肉体と魂が完全に結びついていない幼さを示している。けれどその決断を幼いと切り捨てる者がいるとも思えなかった。
 頷いてやってからアロイスは立ち上がり、見上げるメイドに微笑みかける。
「じゃあ、様子を見てくるよ。一週間もベッドの中にこもってるだけってのも、ルカにとっては苦行だろうから」
 勿論そのとおりだった。

*

 手はじめに文字とおりの熱に浮かされたような高揚期が来た。「ふわふわするよ」とルカは言い、実際はふらふらしていた。だからいくらどたばたしてもすぐ燃料切れでベッドに戻らざるを得なくなるのでまだ扱いやすかったが、いざこの熱が下がってしまうと、弟を横になったまま留めさせるのはひどく難しくなった。だからアロイスが殆ど一日中つきそってやらなければならなかったのだが、これは兄弟のどちらにとっても楽しいことだった。ふたりは同じだけの退屈を持て余していたので、言い争いのひとつすら起こらなかった。くだらない話を繰り返してはくすくす笑いが交わされ、あのころあったふたりだけのさまざまな符丁が再確認された。
 6日目。持ち込んだ絵本を読み聞かせてやることになる。しかしこれはふたりともにとって退屈に過ぎた。ルカはおとぎ話への興味をそもそも持っていなかったし、クロードにアルファベットを叩き込まれたとはいうものの、読むのにやたらと神経を使ってしまうのでアロイスは文字があまり好きではない。
 それでも兎に角、ベッドサイドにファンタジーがいくつも積み上げられた。アロイスは中から適当に一冊引っ張り出して開く。隣にぴったりくっつく身体はまだ少し熱かった。
「ほら、おいでルカ」
 こちらでも呼び寄せ抱き寄せて読みはじめる。
「主人もちのろばがありました。もうなが年、こんきよく、おもたい袋をせなかにのせて、粉ひき所へかよっていました」
「んー……」
「さて年をとって、だんだんからだがいうことをきかなくなり、さすがにこのうえ追いつかうのがむりだとわかると、主人は、ここらでろばのかいぶちをやめたものか、と考えだしました」
「ごろごろ……」
「ところで、ろばは、さっそくに、こりゃ、ろくなことではないとさとって、逃げだして、ブレーメンの町をめあてに、とことこ出かけました。そこへ行ったら、町の楽隊にやとってもらえようという胸算用でした……こぉら、ルカ?」
「だってつまんないんだもん」
「……うん、まあ、おれだってつまんないけどさ」
「でしょー」
 勝ち誇ったようにわざわざ上半身を起こして踏ん反りかえるので、なだめるために冷たい汗で濡れそぼった前髪の貼りついた額を撫でてやった。すると、なにを思ってかお返しだー、とルカも腕を伸ばしてくる。アロイスの顔をぺたぺた触っていくのが面白くて放っておいているうちに、小さな手は添い寝のために羽織ものもなく肌の上から直接着た薄手のシャツに伸ばされた。シンプルな貝ぼたんの感触が気に入ったらしくしばらくの間引きちぎろうとするような動きを見せていたが、勿論その力でかなうはずもない。
 すると今度はこのぼたんをひとつずつ外してはまた留めていく遊びがはじまった。しかも表情は真剣そのものである。ここでも口を挟めずに眺めていれば、何度目かの再び留めていこうとする段になって弟の手が止まった。可愛らしく小首を傾げて見上げてくる。
「おにい、痛くない?」
「ん?」
「赤くなってる」
 触れるのも躊躇われてか、離された手は何かの拍子で開かれた襟元、鎖骨の窪みのあたり、散らばる鬱血を差している。ふむ、とアロイスはひとり曖昧に頷いた。
「おにい?」
 今更自分で心当たりを問うまでもないものの、弟に説明出来る気もしない。そのうち本気で心配しているらしい眼差しが痛くなってきて、ひとまずぼたんを留めてしまおうと襟を掻きあわせた。
 と。
「うわひゃあ?!」
「おふたりとも、なにをなさっているのです」
「あ、クロードっ」
 両脇から抱え上げられたルカが楽しそうに足をばたばたさせながら奇声を上げて笑う。意外にも、この執事にもしっかりとなついている弟だった。
「あのね、おにいが」
「これては旦那様に風邪がうつってしまいますよ。いくら部屋があたためられているとはいえ、こんなに服をはだけては」
「あっ、そっか」
「遊ぶのもよろしいですが、お互いに体調には気をつけてもらいませんと」
 ここで早くも降ろされた弟の傍ら、アロイスは逆に疑念、というより不快を深めていた。今度はこちらへ伸ばされる腕を振り払って見上げながら自分でさっさとぼたんを留めてしまう。
「……それはいいけど、クロードはなにをしにきたのさ」
「旦那様に話がありますのでお呼びに上がりました」
「ルカはどうするの」
「ハンナがすぐに参りますから、と」
「話って?」
「おにい、僕なら平気だよ」
 あと少しでクロードが引くかもしれないというところで袖を引かれ、思わぬ助け舟に小さくため息を吐く。まったく、このなつき方は行きすぎているのではないだろうか。とはいえ勿論この善意の塊を無視できるわけでもなくて、はずみをつけてベッドから飛び降りた。振り向いて、最後に弟の額にキスしてやる。
「あんまり暴れちゃだめだぞ」
「暴れないもん」
「よし」
 やがて半刻もしないうちにやってきたハンナにルカを預けてしまえばあとは「話をする」という建前に従い執事と部屋を去るしかなかった。そして言うまでもなく話などあろうはずもなかったから、先頭に立って目的もなく、こんなときにはとても都合のよい長すぎる廊下を歩きながらアロイスは言葉を放った。
「クロード、お前妬いてただろ」
「まさか」
 すかさずやたらきっぱりとした台詞が返ってくる。
(何をか言わんや、ってやつ?)
「まあ、別にこんな下らないことでいちいち問い詰めようとは思わないけどさ」
「左様で」
「納得してはいないけどね」
「では、どのような回答をお望みで?」
「それを言っちゃったら意味が無いだろ」
 毛足の長い絨毯は容易く足音を吸い込んでしまう。
作品名:夜になるまで待って 作家名:しもてぃ