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あさめしのり
あさめしのり
novelistID. 4367
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ユートピアの喪失

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 両肩を叩いて、長い前髪に隠された顔をのぞき込もうとしたら手を払われた。
「…わかっている。家康は、秀吉様がお認めになった男だ」
「あん?」
「…あの男は、私が同じ高みにまで上ってくることを望んでいる。何か言われたのかと聞いたな。ならば教えてやろう。「ここまで来い」と、あの男は私に言ったのだ」
 三成は肩をぶるぶると震わせ、薄い唇を戦慄かせた。いつも以上につり上がった切れ長の目からは、殺気ではなく透明な滴が一粒ぷくりと盛り上がり、そうして先ほどまで官兵衛が這い蹲っていた床にこぼれ落ちた。
「お、おい」
 官兵衛はひどく動揺した。三成は、秀吉バカで、つまりは秀吉以外の人間のことはどうでもよくて、礼儀知らずの横柄者だ。素直でもなければ、かわいげのかけらもなくて、周りを見渡せば敵ばかりだ。官兵衛だって、つい先ほどまで「権現に先を越されて悔しがってやがる。ざまあ見ろ」などと思っていたのだ。
 いつだって三成は生意気で、嫌味で、偉そうにふんぞり返っていた。だから、三成がこんなふうに泣いてはいけない。長い下睫毛を濡らして、肩を震わせるなどということがあってはいけない。こんなふうに泣かれたら、一体全体どうしていいかわからなくなってしまうではないか。
 おろおろとする官兵衛をよそに、三成は細い手指で目元を拭った。きらきらした粒が、また床にこぼれ落ちる。
 三成の上睫毛は下向きで短いくせに、下睫毛だけ妙に長く、びっしりと目の縁を覆うように生えている。偏屈男らしい、変ちくりんな睫毛だ。三成は、その変ちくりんな睫毛に滴を溜めては白い頬へ、そして床へとこぼした。
「悔しい…っ、私は、秀吉様のために生きているのに、秀吉様のことだけを考えているのに、あの男の足下にも及ばない…」
 まるで子どもの駄々だった。生きていれば、自分より優れた人間などごまんといることを知るし、誰かに敗れたからといってそれで人生が終わるわけでもないことを、人は自然と学習するものだ。だが、三成は大人になった今も、子どものままだった。
「…くやしい、悔しい…」
 地団太を踏んだところで、何が変わるわけではないことは、三成だって知っているだろう。三成は頭の回転が速く、武将としては珍しく理知的な思考ができると同時に、ひどく感情的で感傷的でもあった。
 三成は、いくつになっても子どもだった。秀吉や吉継に、大人になった今も子どもみたいに甘やかされている。
「三成にそんなかわいげなどあるものか」
 官兵衛は、かつて半兵衛に愚痴をこぼしたことがあった。子どものくせに生意気で、口ばかりが達者なくせに実際には何の力もない。秀吉が目をかけ、吉継が執着するわけがわからないのだと、官兵衛は言った。
 半兵衛は白い顔で笑って、
「そう言う君だって、何かと構い立てしてるように思うけれど」
「あんな凶暴で陰険なガキ、小生が好き好んで構うもんか!」
 半兵衛は、淡い色の唇で笑った。
「自覚があるかどうかは知らないけれどね。彼は、彼自身が望んで子どもでいるんじゃない。ほかならぬ秀吉や吉継、彼にとって大切な人から望まれてそうなったにすぎないんだよ」
 思えば、半兵衛は三成を手放しで甘やかすことはしなかったように思う。きれいな顔とは裏腹の厳しさで、半兵衛は三成だけではなく、誰かを甘やかすということをしなかった。
 あの頃は、半兵衛に言われた言葉の意味が理解できなかったが、今なら何となく理解できる。
 秀吉にとっても吉継にとっても、そして官兵衛にとっても、三成は子どもだった。いつまでたってもきかん気で、大人のずるさを身につけることもなければ汚れてしまうこともない。きれいでかわいい子どもだった。三成は、昔々に抱いたきれいな心を、そのまま抱き続けて生きている。皆が捨ててしまった、あるいはあきらめてしまった子どもの頃の純粋さや屈託のなさを、この男はずっと持ち続けてきた。だから、三成はとても眩しい存在だった。眩しくて、きれいで、ずっと眺めていたくなる。そういう稀有な存在だったのだ。
 だから、秀吉も吉継も皆、三成をいつまでも子ども扱いした。そうすれば、三成はいつまでもきれいな子どものままでいられるからだ。世の中の汚いことから遠ざけ、きれいな理想を与えれば、三成は主君への忠義と赤心だけを胸に生きていられる。それは、掌中の珠を傷つけまいと絹でくるむようなものだった。
三成は子どもでいることで、汚れざるをえなかった周囲の大人たちの心を慰めてきたのかもしれない。
 官兵衛は、三成の震える細いうなじを見て思った。
 だが、次に三成が顔を上げた時、三成は駄々をこねる子どもの顔をしていなかった。
「本当は、わかっているのだ。あの男の力も、力を至上とする秀吉様があの男をお認めになっているということも。…そして、私自身も、心の底ではあの男を認めている。認めたくないだけで、本当は家康を評価しているのだ」
 そこには、もう子どもの三成はいなかった。
 家康という赤の他人によって、成長を促された三成の姿があった。
三成の世界は豊臣で始まり豊臣で終わる、そういう閉鎖空間だった。三成は歪なようでいて、周囲の人間が望む完璧な姿だった。なのに、外部からの刺激によって閉鎖空間に歪みが生じた。それまで豊臣が三成に願い続けてきた「子どもであれ」という願いは、外からやってきた家康によって崩されたのだ。
それと同時に、なぜ吉継があれほどまでに家康を嫌うのかをも理解してしまった。吉継にとって、三成の子どものままの純粋さは唯一の救いだったのだ。永遠に変わらないと信じさせてくれる、人の形をした理想郷があるとすればそれが三成だったのだ。
 彼は永遠の子どもだった。豊臣の、永遠のユートピアだったのに。
 それを、あの男が「大人」にしてしまったのだ。
 三成は変わらないと思っていた。何があっても、あの気性は変わらないだろう。子どもっぽく、我が強く、そのくせ繊細で、人とつるむのは苦手なくせに実は寂しがり屋で、扱いにくく面倒この上ない性格が変わるはずがないだろう。三成は、しわくちゃの年寄りになって死ぬまでずっと子どもみたいな男でいるだろうと思っていたのに。
 官兵衛は、当たり前に信じていた理想郷が失われてしまった気がして、なぜだか急に寂しくなった。
 三成の涙はもう止まっていた。官兵衛のつまらぬ慰めなど、彼は必要とはしていなかっただろうし、官兵衛は気の利いたせりふを言えるわけでもない。だから、これは官兵衛の自己満足だ。
 自己満足と知ってなお、そうせずにはいられなかったのだ。
 ついと手を伸ばし、三成の才槌頭を撫でると、
「大人くさい分別なんぞ、子どもには似合わないだろ」
 お前さんはそのままでいいんじゃないのかと、官兵衛ははじめとまるで真逆のことを言った。



ユートピアの喪失
作品名:ユートピアの喪失 作家名:あさめしのり