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…毎年、この時期になると俺の神経がざわざわと蠢く。きっと何かしらの理由があるのだろうとは思う。しかしその理由が何なのか思い出せない。…否、思い出せないのでは無い。
 …俺には思い出などないのだから。


 俺はクローンだ。
 本体であるべき人間は、とっくのとうに死んでいる。そういう俺も、2度、死んでいるのだそうだ。…勿論俺に記憶など無いが。俺は人類で初めて成功例として生き永らえたクローンらしい。正確には俺の前にもうひとり存在したらしいのだが、それは回収する間も無く消滅してしまったということだった。運が良かったのか悪かったのか、俺は肉体の期限がやってくる以前に回収され、この遺伝子工学の研究所に身を置いている。勿論、被検体として、だ。
 与えられている名はレイ・ザ・バレル。歳は18。軍務に就いていたそうだ。ここに来てからは勤務…というには程遠い、ほぼ毎日の検査。実験。テロメアが尽きる前に行われる定期的なリセット。その繰り返しで生を受けている。

 自由な時間ができると、よく本を読む。音楽を聴くのも好きだ。特にピアノの音色が好きで、研究所の職員に頼んではCDを差し入れて貰う。本来なら自分で買いに行きたいところなのだが生憎俺はこの研究所の外へ出ることを禁じられている。勿論外の人間との接触は許されない。…と言ってもここに来る以前の記憶が無い俺に、知り合いなどいないのだが。
 自分で言うのも何だが、俺のDNAはかなり優秀なようで(でなければこうして被検体としてここに居ることもないだろう)、軍務に就いていたときの俺はそこそこの有名人物だったと推測される。過去の俺に関する知識は一切与えて貰えないので正確なことはわからないが、どうやらかなりの犯罪者だったようだ。

 そして、多分俺は死んだことになっている。




「ああ、こんなところに居たのかね」
 背中から知った声がして、レイはびゅうと吹き抜ける風になびく金色の髪を片手で軽く押さえ、上半身ごと振り返った。
「シリング博士」
 建物にぐるりと囲むように構築されている研究所の中庭は、レイのお気に入りの場所だった。自由時間の殆どをここで過ごすと言っても良い。レイは傍らに伏せたままになっていた読みかけの本を手に取り立ち上がると、芝生に直に下ろしていた腰を軽く払い、窓際で微笑んでいるシリングに駆け寄った。
「いらしていたのですか」
 シリングは常勤ではないがレイのDNA操作やテロメア管理、リセットなど重要な施術を担当しており、また、著名な研究者だった。こうしてレイが【人間らしさ】を失わずに被検体として生活を出来ているのも彼の意向があったからこそだと、以前研究員のひとりに聞かされたことがある。だからと言う訳ではないが、レイはこの笑うと目尻が少し下がる、優しい笑顔の博識なシリングが好きだった。
 シリングはレイが手にした本に視線を落とすと、おどけたように「これはこれは」と眉を上げた。
「とても面白かったですよ、新刊」
 レイは頬を緩めて軽く本を掲げ、それにつられるようにシリングが目尻を落とす。
「レイには敵わんな。それより体の調子はどうだ、先日のリセットからおかしな事はないかね?」
「ええ、特におかしなところは…」
 言いかけて、僅かに躊躇った。毎年、夏の終わりにやってくるこの不可解な感情。それは不愉快だとか、苦痛といった類のものでは無いがレイの神経を掻き乱した。理由がわからないから余計に歯痒い。
「レイ?」
 窺うようなシリングの声にハッとする。
「あ…いえ、何でもないんです、ただこの時期になると毎年少し過敏になるというか…」
 口元に笑みを乗せて返したレイの言葉に、シリングの表情が強張った。
「レイ、今何と言ったね」
「えっ」
 突然険しくなった声色に驚く間も無くシリングはレイの手首を掴み、更に尋ねた。
「この時期に、過敏とは」
「…いえ、過敏と言うか、ざわつくというか…」
「毎年?」
「…去年も、この時期だったと記憶していますが」
「去年も…。それ以前も、かね」
「…ええ、この研究所に来てからは毎年」
「………」
 勢いに気圧されるままに答えていたレイの顔を凝視していたシリングが深く溜息をついた。同時に強く掴まれていた手首からゆっくりと力が抜けてゆく。
「………博士?」
 そのまま視線を落とし、思案するように眉根を寄せているシリングに窺うように声をかける。
「…レイ、君に【毎年】など有り得ない」
「…どういう意味ですか」
 シリングは一度伏せた瞳を再びレイに向け、諦めたように笑った。
「…忘れたのかね、レイ。君は定期的に生まれ変わっているのだ。君そのものの人格は固定されてはいても、記憶に伴う感情や思いはその都度リセットされる。君はリセットされるその度、似て非なる君に生まれ変わっているのだよ。去年の記憶があったとしても、感情の連鎖などあるはずがない」
「………」
 返す言葉も無かった。それはシリングの言う通りで、反論の余地さえない事実だった。
 例えば今、手にしているこの本。読み終えたばかりの今、この本はとても興味深く、面白かったと感想を言える。しかし明日リセットされてしまえば、俺にはこの本を読んだという事実しか残らない。面白かったとか、興味深かったとか、そういう感情の類は一切消えてしまうのだ。
 読んだことのある本。その内容。それはまるでコンピュータにデータを取り込むのと同じであり、事実全てをそのように記憶してきた。
 では、何故。どうして俺の胸はざわざわと揺れる。今の俺も、去年の俺も、その前の俺も…何故、どうして、この季節がやってくると意味も無く心が平静を保てなくなるのか。
そして俺はどうしてその感情を忘れてしまわずにいられたのか。

「…ヒトとは不思議なものだ」
 重く、永遠に続くのではないかと思われた沈黙を破ったのはシリングだった。
「テクノロジーは進化し続け、科学の力で解明できないもの、説明のつかないことなど無いに等しいとされている」
「………」
「私も研究者の端くれだ。知りたい、理解したいと求める反面、どこかで…もっと手こずらせてくれと…願っているのかも知れんな」
 独り言のようにさらさらと言葉を繋ぎ、シリングの目尻に優しい皺が刻まれる。レイはその皺を形作る陰影を美しいと思い、また、羨ましいと思った。
「レイ」
「…はい」
「君にプレゼントをあげよう」
「プレゼント…ですか」
 突然の提案に幾分面食らい、鸚鵡返しのように反芻したレイにシリングは笑った。
「これは私の気まぐれだ。人類の限りない可能性について私を悩ませてくれる君たちに、敬意を表そう」
「博…」
 レイが何を言わんとしているのか、シリングは全て理解した上で口端を上げて微笑んだ。その無言の拒否にレイは開きかけた口を噤み、シリングはそんなレイに軽く頷いたあと、おおきな分厚い手のひらでレイの肩をポンポンと、二度叩いた。
「………」
 シリングの瞳は深く澄んでいて、レイはただ黙って、その瞳の奥に棲む真意を読み取ろうとした。シリングの言葉を何度も思い起こす。くるりと踵を返したシリングのコツコツと響く靴音が聞こえなくなるまで、レイはその場を動けずにいた。


作品名:ありがとう 作家名:いち