陽だまりの夢
その顔が、俺を振り向いて待つ顔が、明日を待ちわびる子どもみたいに期待に満ちているから、俺は憮然としながらも、歩いていくのをやめられないでいる。そのたびに勘右ヱ門は、嬉しくてたまらないという顔で笑うのだ。
いつもひとりで勝手に行ってしまって、いなくなるのはこいつだというのに。
「あんまり先行くなよ、勘右ヱ門」
何度目かの距離が近づく。勘右ヱ門の顔も近くなる。
今度は、勘右ヱ門は走り出さなかった。道の真ん中で足を止めて、俺が来るのをずっと待っていた。
俺の手があがって、勘右ヱ門の頬をとらえる。走っていたせいか、少しだけ赤くなった頬の上、黒い大きな目に俺が映る。
勘右ヱ門は澄んだ目で、俺のことを見ている。子どもみたいな目だった。そしてふにゃっと相好を崩すと、俺の掌に頬をこすりつけた。
「鉢屋、意外と手ぇあったかいよね」
「手袋ごしだろが。温度なんかわかるか」
「わかるよぉ」
勘右ヱ門はふと、瞼を閉じた。彼の纏っている空気が、急に静かになる。俺は、気勢をそがれて黙った。
そうして彼はぽつりと、その言葉を零した。
「あの時も、こうしてくれたよね。あったかかった。鉢屋の手」
……あの時も?
俺は動けないでいた。手の中に、勘右ヱ門の皮膚の温みがある。手袋越しでもわかる高い体温。やっぱり、俺の手があったかいなんて嘘だ。俺より、お前のほうが数段、温かい。
俺の手に、勘右ヱ門が自分の手を重ねる。俺たちは、ほとんど抱き合えてしまいそうなくらい近くにいる。
白昼堂々、男子高校生が住宅街で、これって。変だろ。いくら、人通りが少ないあたりだからって……。
そんな常識的な台詞は、どちらの口からも出てこなかった。まだ夕暮れには遠い、明るい陽射しが目を眩ませる。思わず目を閉じそうになった俺に向かって、勘右ヱ門が溶けそうな声で言った。
「好きだって言ってくれただろ、鉢屋。あの時に」
嬉しかった。だから今生でも、どうしてもお前に会わなきゃって思った。
「だけどお前、何も言わないしさぁ。なんだか素っ気無いし、あれ、憶えてるのって俺だけ? って思ったら、悲しくなって。なんだよ、鉢屋のばかーって。でも……」
うつむいて続ける勘右ヱ門の顔は、今まで見たことがないくらい、寂しそうだった。
「でも、いいや。憶えてなくてもいい。俺は、お前がああ言ってくれて、嬉しかった。あの時、お前に返事が出来なかったのだけが、心残りだったんだ」
「……勘――」
勘右ヱ門の手が、俺のシャツの肩を握り締める。そして、勇気を振り絞るように顔を上げると、かみつくみたいにこう言った。
「俺、お前が好きだよ。お前は冗談だと思ってるかもしれないけど、本気で。だから、今度のお前が俺のこと好きじゃなくっても、また絶対、好きにさせてやるって決めた。覚悟しとけよ、鉢屋。ずーっと、もう絶対忘れられないくらい、惚れさせてやる予定だから!」
真っ赤な顔で、泣きそうな目で、それでも笑って。勘右ヱ門は、俺に宣戦布告した。
俺はあっけにとられていた。
なんでこいつはこうなんだろう。そんなこと、お前、俺は――
俺は、もうとっくに、あの時から。
勘右ヱ門の次の言葉は、俺の肩でくぐもって、よく聞こえなかった。俺が、力いっぱい彼のことを抱きしめたから。
「っ、ふぇ、鉢屋!?」
「……ばーか」
「ええっ……」
「ばかだろお前。ほんと、ばかじゃないか……」
俺は、彼の髪に顔を埋める。そのまま何も言えないでいる俺に、勘右ヱ門はしばらく戸惑っていたが、やがておずおずと手をあげて、俺の背中に回した。
「……鉢屋って、意外と泣き虫だよね」
「……うるさいな。泣いてないし」
「声、震えてるけどー?」
「……」
勘右ヱ門はおかしそうに笑った。そして一瞬だけくしゃりと顔をゆがめると、俺の肩に頬をおしつけた。
俺はもう室町に生きているのではないのだと、生まれ変わって初めて、心から思った。俺はただの高校生で、恋をしていて、そしてその相手は今、俺の腕の中にいた。嘘のように、夢のように。でも、今見ている夢は、何度も繰り返したあの記憶とは違っている。
どれだけ強く抱きしめても、彼の体は、あの時みたいに冷たくはなかった。どこまでもあったかい、太陽の匂い。どうか夢が解けてしまいませんように。俺はそれだけを願いながら、腕に力をこめた。
end.