私はあなたの黒い器
「という、夢をみたんだ」
二人の決意と非情の運命がシンドリアを救った物語さ、と、シンドバッドが仮眠用ベッドの上に悠々と寝そべりながら、自分を見上げて得意げな表情を向けてくる。
ジャーファルは目眩がした。電動リクライニング&マッサージ機能付きの堕落の骨頂、こんなもの執務室に置かなければ良かったのだ。誰だそんな提案をしたのは、と思い巡らせたところ、残念なことにシンドバッド国王様御本人であることを思い出し、更に頭が重くなる。
「それらを私に語り尽くしたところで、腹の足しにでもなりましたか、シンよ」
ジャーファルは搾り出すように言った。
タイムテーブルに劇的な改変が加えられていない限りは、現在は執務中のはずだ。しかし、シンドバッドは寝そべっている。ばかりか起きあがろうともしないとは。
「机へ」
バララーク・セイで散らかった執務机を指し示す。
さっさとその身を起こしてペンを持たなければ、あなたの眷属であることを証明するこの刃が、あなた自身を貫くことに成りかねない、という脅しを込めて。
「おまえは夢の中でも健気な俺の副官だったよ」
「言葉は要りませんよ。それに報いるだけの働きをなさい」
この騒乱の時代、類まれなる平和な国であるシンドリアを築き上げたというだけで実は充分に報いているのだけれど、それを口にして調子に乗らせてしまうのは尺だったので、黙っておくことにする。
『次に様子を見に来るまでに、その書類の小山を一つ片付けておくこと』という命題を課してから、ジャーファルは執務室の扉を閉めた。
数十分後にまた来よう、彼が再びさぼり始める周期は心得ている。今日こそはあの山を全て始末してもらわねばこちも安心して休めないのだ。ジャーファルは固く誓った。
「しかし、」
ジャーファルは指の上に残る僅かな潤いが、乾いていくのを惜しむように、じっと眺めた。
シンドバッドが眠りの底にいながらにして「ありがとう」と、つぶやいた瞬間に、一粒だけ零したそれを、ジャーファルは指でついすくい取ってしまった。
まさかそれが、シンドリア国王であるシンドバッドが自分の為だけに流した涙だ、などとはその時には夢にも思ってもいなかったが。
「あなたの夢を、正夢にはしませんよ、シン」
彼の愛したこの世界を、彼と共に守り続ける決意は、とうの昔に固めている。揺らぐことは有り得ない。
誰のものでもなく、誰のものでもある、王の器。それに使える王の為だけの己の器。しかし、そうである前に、
「私は、あなたの剣なのですから」
聞こえるように言ってはやらぬ。
扉越しに、愛すべき私の王へ。