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 日誌を閉じて立ち上がると、カバンを肩にかける。一歩だけ後ずさると、タイミング良く、「誠二さん、お待たせしましたっ!」美香が前のドアを開けて戻ってきた。会話はそこで途切れ、俺も慌ただしく支度を整えて三人で教室を出る。昇降口を抜けるまではずっと美香が俺に話しかけていたが、俺はただ単純な相槌を打つだけで内容を聞いてはいなかった。
 正門までやってくると、寄りかかっていた折原臨也が身体を起こして軽く手を挙げる。穿った見方をしなければ、ただの爽やかな青年といった風貌。

「帝人くん、お疲れ。今日もしっかり勉強に勤しんできたかな?」

 竜ヶ峰はテンションの高いその言葉にあきれたように肩をすくめて返しただけで、くるりと俺たちを振り返ると、「じゃあ、また明日」と笑った。引き止める理由もなくて、俺はぎこちなくそれに答える。竜ヶ峰は暫く何か言いたげな俺を見ていたが、折原臨也に促されてそのまま並んで歩いて行ってしまった。かける言葉もなく、ただ言い知れない不安と焦りだけが胸の奥に残る。とはいえ、これ以上俺に何ができるわけでもない。俺達も帰ろうかと美香を振り返ったら、意外にも美香の方がじっと二人の後ろ姿を凝視していた。

「美香?」
「…杏里ちゃんは、ずっと竜ヶ峰君を心配してたんです」

 視線を動かすことなく、ぽつりと呟く。園原は学級委員長で、地味な印象だが確か美香の親友だった気がする。思えば、竜ヶ峰とよく一緒にいた。彼女も何かの事件に巻き込まれていたような気がするが詳しくは知らない。

「あの人は、とても怖い人。こっちの考えなんか最初からお見通しで、その10も20も先を行く。だから最初はその行動の意味がわからなくても、後になって必ずボディブローみたいに重くのしかかってくるんです。杏里ちゃんのときも、そうだった」

 直接美香があの男と接点が多いわけではないと思う。それは俺が一番美香の傍にいるからわかる。多分彼女は独自の情報網でそれを知っているんだろう。だけどそれは竜ヶ峰自身を案じているというより、彼と親しい園原を心配しているようにも聞こえた。

「竜ヶ峰はあいつに利用されてると思うか?」

 二人の後ろ姿は人ごみに紛れてもう見えなくなっていた。俺が尋ねると美香はようやく俺の方を振り返り、

「…怖いのは、利用されている事実よりも、竜ヶ峰君がそれを分かっていて抗わないことです」

 俺は、自分が歪んでいることをよく分かっている。『彼女』へ向ける自分の愛情が常軌を逸していることも、その愛のために多くのものを犠牲にしてしまっていることも理解している。でも、愛には色んな形がある、そう思ってきた。美香も多分同じで、自分が『彼女』の代わりにされていることを承知して俺と一緒にいる。それでもいいと納得して、彼女の『顔』をしてここにいるんだ。
 俺達は歪んでる。でもそれでいい。だとしたら、同じように俺には竜ヶ峰のことをとやかく言う権利はないのかもしれない。

「もしかしたら、竜ヶ峰はあの男のことが…」

 もしそうだとしても、すべてを理解したうえで行動してる竜ヶ峰が、自分の感情にまで気づいているとは限らない。それでも本当にあの男が好きだというなら、それほどまでにリスクの高い愛を向けているのだとしたら、それは俺たちよりも余程強くて、歪んだ愛の形なんじゃないのだろうか。

「竜ヶ峰君がそれを自覚してるかどうかで、事態はおおきく変わると思います」

 美香はそっと俺の腕を取り、先へと促した。俺達は並んで歩き出し、やがて俺たち自身も池袋の人ごみの中に紛れていく。
 感情を押し殺したようなあいつの笑顔が忘れられない。あんな顔をさせるのが、本当に深い愛なんだろうか?竜ヶ峰は本当にそれでいいのか、幸せになりたくないはずなんてないのに。

「…不幸になってもいい愛なんて、そんなの間違ってるだろ」

 本人たちがその歪んだものを愛と呼ぶなら、それはそれで正しいのかもしれない。いびつさなら俺達と良い勝負だ。だけど、俺は敢えてそれを間違ってると決め付けることにした。あいつの苦しげな笑顔をその理由にして、あいつの本当の気持ちを聞き出すと決めた、のに

『じゃあ、また明日』 そうあいつは言ったのに、俺はあの時引き止めることができなかった自分を早速悔いることになる。
 翌日から、竜ヶ峰は学校に出てこなくなった。