銀誕企画ログ
遠い遠い未来に
確かにあの時あの場所で、誰もがその言葉を口にした。
「げっ、ヅラ?!」
店の暖簾を潜る影が濃くなったと同時、何とも気分を悪くする声が桂の耳に入った。
顔を顰め振り向き様にお決まりの台詞を述べると、相手も己と同様に、顰め面のままこちらを見詰めている。
微動だにしない男二人に痺れを切らしたのか、店主が早く座れと凄んで漸く、桂と対峙していた男―――銀時は所在無さげに腰を下ろした。
醤油ラーメン一つ、と横で低い声が抑揚無く紡がれるのを聞きながら、桂は手元の蕎麦をずるりと啜る。
―――侍ともあろう者がそんな浮ついた物を。
心の内でそう罵りながら、ちらりと横目で相手の様子を伺う。
ところが自分の直ぐ横、銀時に出されたのはラーメンでも何でも無く、透明な硝子の器に盛られたバニラアイスだった。
「幾松殿…?」
不信に思ったのは他でも無い銀時の筈なのに、疑問を口にしたのは然し桂の方だった。
店主はそれを可笑しそうに眺めながら、特別だと、一言だけそう告げる。
「特別…?今日何かあったのか?銀時」
「あー……俺の誕生日?悪ィな、何か気ィ使わせちまってよ」
がしがしと頭を掻くのは照れている証拠だ。何で知っているのかと、そんな独り言まで聞こえてきて、桂は眦を下げて苦笑した。
「月日が経つのは早いものだな」
正面を向いたまま、けれども言の葉は隣に座る男へ向けて放つ。
銀時は徐に切り出された言葉に、暫しきょとんとし、それから合点がいったらしい。彼もまた、桂と同じ様に正面を向いたまま、音を紡いだ。
「今朝辰馬から葉書が届いた」
「祝いの言葉でも書いてあったか」
「いや、…あーいや、書いてあったっちゃあ、あったんだけどな」
「隅の方に?」
「察しろ。そして何も言うなよ。頼むから言ってくれるなよ。…近況が書いてあった。その葉書にな」
「…そうか。奴は元気にしてるのか」
「それ、聞くだけ無駄じゃねえ?」
「だな」
小さく微笑ったその波紋は、細波の様だった。耳に心地好く、緩やかに溶けていくのを肌で感じながら、そうして無言を貫き通す。
想い馳せるは過去の残骸。
灰色の重い雲の下、煤けた黒い空間の中、赤茶けた色を身に纏いながら、それでも笑って夜を過ごした。
何年時が経とうとも、幾年月が過ぎようとも、それでも皆が皆一様に、その言葉を口にした。――その約束を、口にした。
「高杉、は、どうしてるんだろうな」
「さあな」
誰に問うでもなく呟いた言葉。律儀にも返って来た応えに、桂は判らぬ程度に小さく苦い笑みを刷いた。
「今日は私がお前の分も持とう」
「マジでか!」
大仰に騒いでみせる銀時に、けれども桂は柔和な笑みを湛えている。流石に訝しく思った銀時が、疑問を投げ掛けるその前に、
「今日は、子供達に祝ってもらうんだろう?」
爆弾が、投下された。
途端顰められた顔に、今度こそ遠慮なく笑ってやり、桂は清々しい思いで席を立つ。
「今日が目出度い日で良かったな」
去り際にちくりと言い残し、足元に散ばった遠い昔の欠片に目もくれず、颯爽と店を後にする。
あの時あの場所で交わした約束は、決して嘘偽りは無いものだったけれども、それでも矢張り、叶える為には少しばかり互いが互いの道を行き過ぎた。
見据えるものが違えば、関り方も変わってくるもの。
それでも変わらぬ何かがあるとすれば―――。
「高杉は、覚えているんだろうか」
霧散した言の葉を、今度こそ拾うものは無かった。