SWEET 19 BLUES
ゾロに抱かれて、最後の瞬間に白濁した視界をかすかに覚えていた。無様な自分の姿を想像して、サンジは自嘲ぎみに笑った。
その瞬間、腰に激痛が走った。
何度か重ねてきた行為とはいっても、無理なことを身体に強いているのだから仕方がない。サンジは剥ぎ取られて捨てられたであろう自分の服を探すために、上半身を起こした。
「気がついたか?」
低い声が言った。離れた壁に、ゾロが凭れて座っていた。驚いて声をあげそうになる。
「んだよ。まだいたのか?」
不機嫌極まりない、という様にサンジは言った。いつもは行為が終わったらとっとと出ていくくせに。どういう風の吹き回しだ。
「・・・てめえがいきなり気絶しやがるからだろ」
そう言うゾロの目は、真っ直ぐにサンジに向けられている。暗がりで表情まではわからない。だから余計落ち着かなかった。サンジは慌てて、足元に落ちていたシャツを掴んで、肩の上から引っ掛けた。そして間を持たせるために、横に捨て置かれたスーツのポケットから煙草を取り出した。くしゃくしゃになったケースから抜き取った一本を口に銜える。しかしライターが見当たらないので火が点けられない。男の視線を感じる。変に気持ちがあせる。
「・・・これだろ?」
声に振り向くと、ゾロは右手を突き出していた。握られていたのは銀色のサンジのライター。
「ああ・・・貸せよ。」
投げろという意味で手を差し出して言うと、ゾロは床に手を突いて立ち上がり、こちらに歩いてきた。
「ほらよ」
そう言って、サンジの横に屈みこむ。汗と体臭の混ざった匂いが鼻腔をつく。伏せられた男の切れ長い目の端は、まだ少しだけ情欲の名残に染まっているように見える。サンジの胸が少し疼く。馬鹿らしい。さっきまで散々に抱かれていた相手なのに。
かちり、とゾロはライターの火を点けた。サンジは口元の煙草を突き出すようにして男に顔を近づける。じゅっという音と共に、煙草の先に火が灯る。一瞬明るくなった視界に男の上半身がはっきり浮かび上がる。視界の端だけでそれを捕らえて、サンジがゾロから身体を離そうとすると、指が伸びてきてサンジの口から煙草を奪った。
何するんだ、と言いかけて開いたサンジの唇に、次の瞬間ゾロの唇が押し付けられた。
息が止る。
ゾロの右手がサンジの後頭部を掴む。唇は角度を変えて何度か重ねられる。ふたつの唇が合わさる湿った音が倉庫に響く。どこか甘い、音。
男はやけに集中して、唇でサンジに触れている。
ゾロが少し眉間に皺を寄せ、その金褐色の目を閉じているのを確認して、サンジも瞼を落とすと、ゆっくりと熱い舌が唇の間に入ってきた。
セックスの間でなく、ただキスされるのは初めてだと気づく。
男の舌の動きにあわせて、少し遅れてサンジも舌を絡ませる。
男の右手がサンジの髪に埋められる。
鼻から、湿った吐息が漏れる。
目を閉じて、胸に広がる甘い痛みを感じる。
やけに長く集中した口づけの後、湿った音をたてて、ゆっくりとゾロの唇がサンジから離れていった。
「・・・お前は、何泣いてんだよ」
そう一言、男が溜息とともに洩らす。
サンジの頬を伝う液体。気がついて慌てて拭っても、後から後から溢れてくる。
あきれたように二回目の溜息を吐いて、ゾロはサンジにもう一度腕を伸ばした。
ゾロの腕に包まれて、サンジの嗚咽はひどくなるばかりだ。
床に落ちた煙草の吸殻が、2人の足元をぽつりと照らしている。
「・・・・お前が俺とのことどう思ってるか知らねえけどな」
サンジは男の胸から直接響く声を聞く。
「俺は、これからもずっとお前を抱くからな」
サンジの肩に当てられたゾロの指が少し震えている。
「だから、どうされたいとか、どういうのはいやだとか、お前もちゃんと言えよ」
「・・・お前が・・したいこと・・・何でもっ・・すればいい・・・」
嗚咽の合間に搾り出した声で答えると、ゾロはサンジを抱く手に力を込めた。
「アホか。んっとに全然わかってねえな、お前は」
わかってないのはてめえだ、人の気も知らないで。とサンジ心の中で悪態をつく。でも口から漏れるのはしゃくりあげる吐息だけだ。情けない。
「・・・ま、込み入った話は後だ。とにかく、泣き止め。な?」
そう言って男が子どもをあやすようにサンジの頭を撫でる。らしくもないその仕草のせいで涙がもっと溢れてくる。当分、おさまりそうもない。
こんなガキみたいな、手放しに無防備な自分は嫌いだ。
捨てたはずの感情が溢れ出て、足元を掬われそうになる。
忘れることのできない光景。
夢で何度見たかわからない。
背中の傷は剣士の恥だと言って、臆することなく敵の前に両手を広げた男。
次の瞬間、視界を男の血が真っ赤に染めた。
命の儚さと脆さを同時に思い知らされて、とっくに麻痺していた心臓が熱く疼いた。
地面に這い蹲る男を見て、何故こんなにも強く儚いものがあるのかと思った。
その存在に、惹かれなかったなら嘘だ。
「俺だってどうしたらいいか、わかんねぇんだよ」
戸惑った様なゾロの声が湿った格納庫に響く。
「てめえが何考えてんのか、どうやったらてめえが俺のものになるのか」
恋愛の甘さには程遠い、子供じみた独占欲を主張する声の響きがどこか心許なく、サンジは年相応の男を意識する。
「・・・知るかよ」
同い歳の男として、精一杯の虚勢を張って、しかしサンジはゾロの厚い胸に頬を埋める。
いつか二人が歳を重ねて老成し、今よりもう少し器用に率直に、言葉を紡げるようになったら、あるいは二人の関係は変わるのだろうか。
海の上の生活は思いをどこにも残すことなく、潔く、誰よりも自由で、誰よりも孤独だった。戻らない過去を振り返ることも、届かない明日に思いを馳せることもない。今だけを見て、未来を考えることなどなかった。
この男との関係に捉われ、自分たちの未来について語ることは、二人の足元を弱くするかもしれない。潔さと強さだけを頼りに生きていく者にとって、それは破滅の道へ繋がるものかもしれない。
しかし果てしなく広がる海の上で、偶然か運命か自分たちは出会ってしまった。何もかももう始まってしまった後で、そして始まりの瞬間から、堰を切ったように流れ出す感情を止めることはできなかった。
サンジは男の腕の中で瞳を閉じて、柄にもなく祈りの言葉を呟く。
いつか運命が二人の道を別つとも
今、この時を
熱い舌の感触を
決して忘れないように
神様、どうか
窓から差し込む月明かりが、空気を微かに染めている。二人は深い夜の底で、いつまでも抱き合って息をひそめている。
やがて訪れる朝の気配が、容赦なく彼らをとらえるまで。
作品名:SWEET 19 BLUES 作家名:nanako