共犯者の誓い
答えに詰まり舌打ちを寸でで堪えた事に気付いているであろう老練の元帥は、
またもや若人の逸りを見守るような目をしてプロイセンを真っ直ぐに見据えた。
「一介の友人であれと言っているのではありません。ただ、貴方と陛下との決して
途絶えない関係性に友人という一要素を加えて頂けたらと、老婆心ながら願って
いるのです」
それは臣下としての言葉と取るには心が入りすぎているように思えた。と同時に、
こんな目を知っているとプロイセンは強い既視感を覚える。二世紀も前に同じよう
にプロイセンの何分の一かしか生きていない人間がこんな風な目をして、神を捨て
るなんてと激昂するプロイセンを柔らかく諌めたのだった。結果を見れば国に取って
最善だったのは彼の方で、文字通り身を以てそれを実感できるプロイセンは当時を
振り返って己の先見の甘さを哂った事もあったのに、今また同じ目を向けられ言外に
諭されている。うっそりと伸ばした髭面が何百年たっても成長していないのかと
豪放に笑うさまが脳裏に浮かんで悔しかった。
釈然としない気分を抱えたままプロイセンは回廊の角を一つ二つと曲がる。
衝動で勝手にしろなどという捨て台詞と共に部屋を飛び出しては来たが、いつまで
も避け続けることなど出来るわけもなく、正式な軍議はすぐに開かれプロイセン自
身も収集されるだろう。何よりその事前準備として意見を摺り合わせる為にプロイ
センとフリードリヒは二人で打ち合わせをしていたのだ。
「……ちっ」
通りすがりの侍女を怯えさせる形相でがつがつと踵を鳴らしながらプロイセンは回
廊の角をもう一つ曲がった。途端に吹き込む風を頬に受けて思わず目を細める。
誰かが閉め忘れたのか換気の為か、両開きの窓が一つだけ開け放たれている。
キイキイとヒンジが軋んでいるのを何とはなしに眺めていると窓の向こう、中庭を
越えた向かいの棟の窓際にどうしたって頭から追い払えない姿が見えた。
緩く波打つ髪を一つに束ねたフリードリヒがここ最近ですっかり板についてしまった
苦悩と苛立ちを半分ずつ混ぜ合わせたような表情で何事かを誰かと言い合っている。
プロイセンからはその相手は見えないが、大方つい先程プロイセンに消化不良
を起こさせた張本人だろう。
この世の憂いの苗を全てその身に収めてしまったかのような顔でフリードリヒは首
を横に振り、また口を開く。しばらく相手の言葉に耳を傾けてそうしてまた首を振る。
どうやらその繰り返しのようだった。
グロガウは要所だ。もしかするとオーストリア軍の総指揮を取るナイツペルグが出
てくる可能性もある。そんな場所へこちらの総大将たるフリードリヒを赴かせるなど
到底できる話ではないのに、当の本人だけが己の重要性を鑑みず逸った血の気の
ままに周囲を振り回している。とても王として誉められた行動ではない。
口を引き結んだ横顔でどんなに否を唱えてもきっと彼の意見は通らない。絶対君主
の王とはそういう存在なのだ。絶対であるからこそ利かない自由がある。
そんな風に思ってしまえば僅かとは言えない哀れみが湧くのは幼い頃の、音楽と
文学をこよなく愛し、しかし愛でる事を許されず涙に暮れていた姿を知っている
からだろうか。
「……ちっ」
もう一度、今度は小さく舌を打ってからプロイセンは窓を閉めた。
二度目のノックが無視された時点でプロイセンも小さなマナーを放棄した。
返事を待たずに入るぞと樫の扉を開く。案の定、人払いをかけた若い王は膨れっ面
で窓際に設えられた執務椅子に沈んでいる。
シュヴェリンだかアンハルト公だかは知らないが王の軽挙妄動は未然に防がれたら
しい。隠すように俯いた口元に苦笑を刻むプロイセンに、不機嫌をそのまま音声化
したような声が刺と共に飛んできた。
「何の用だ。愚かな王には見切りを付けたのではなかったのか」
下から睨み上げる青い瞳を受け流しつつフリードリヒの背後の窓まで歩み寄り、窓
枠に浅く乗り上げる。
「そういう言い方をするもんじゃねえよ。卑屈は怯懦より尚悪いぞ」
「だから愚かな王だと言ってるだろう」
「フリッツ」
益のない言葉遊びなどするつもりはない。プロイセンは遮るように語調をきつくして
フリードリヒの言葉を奪った。
「なあフリッツ、何を焦る?戦争は始まったばかりで今はまだ前哨戦だ。総大将の
おでましにはちょっとばかり早いんじゃないか?」
「……私はハンガリーの女王とは違う。戦は男どもに任せて宮殿の奥でドレスを
選んでいる訳にはいかないのだ」
「そりゃまた随分と……」
極端な例だと最後までは口にせずプロイセンは語尾を濁した。大元帥は常に先陣に。
いつの間にか家訓のようにこの国に根付いた気風はプロイセンにとって歓迎すべき
ものではあったけれど、使いどころを誤れば大局も見えぬ猪よと物笑いの種にされ
るだけでは済まない。それこそようやく花開きかけたプロイセンという国の存亡に
関わるのだ。若いフリードリヒにはそれが重い足枷と感じることもあるのかもしれ
ない。けれどそのもどかしさに同情して、それではご自由にと言ってやれる筈もな
かった。
「フリッツ……フリードリヒよ、お前はこの国の王だ」
「……」
「一国の王がグロガウ程度の小競り合いなんぞに顔を出す必要なんかない」
かつんと長靴を慣らして窓の桟から足を下ろし、厚い革張りの椅子の背凭れに
ギッと腕をかけ体重をのせた。フリードリヒは相変わらずプロイセンを振り返る
ことはなくまっすぐ前を見つめたままだった。
「お前にはもっと派手でデカい、王に相応しい見せ場をくれてやるよ」
まるで唆すようにプロイセンはまろい声を出す。ぴくりとフリードリヒが身じろぎ
したのがその後頭部を見ているだけでも分かった。
「信用しろって。必ずお前をこの時代の主役にしてやる。必ず」
だから焦る必要などないのだと身を屈め腰を折って、緩く波打つ金の髪が覆う耳元
へ含めるように囁く。方便などではなかった。即位早々、民も官も自国も他国も差
異なく度肝を抜く真似を乱発してくれたこの若き王にプロイセンの心はかつてない
程に湧き立っているのだ。
「嘘ではないな……?」
「当然だ。剣に誓ってもいい」
「いや、いい。……そうだな、大会戦で華々しい勝利を、というのも悪くない」
ようやく、ふっと口元を緩めたのがその声音で分かった。これ以上ないくらいの勝
利を捧げてやるぜと胸を張りながら、プロイセンは胸の内で一人ごちる。友になれ
とシュヴェリンは言った。けれどそんな綺麗なものにはなれそうもなかった。友や
仲間といった美しい言葉で飾られるものにはきっとなり得ないだろう。
嵐の目となり欧州を戦乱の渦に叩き込むであろうこの国とこの王に相応しい言葉を
探すなら、それはきっと『共犯者』だ。
「あんたの期待には答えられそうにないぜ……」
つい口をついた呟きを聞き咎めたフリードリヒが怪訝そうな顔でプロイセンを振り
仰ぐのを何でもねえよと受け流して、それからプロイセンは声無き誓いをたてた。
この憐れな王に栄光の月桂樹の冠を。
必ず実現させてみせると、腰に佩いた剣にそっと触れながら。
<共犯者の誓い>