リョ菊log
琴瑟相和す
「そんなんで、良いんスか?」
小柄の少年は、珍しくその顔に表情という名のいろを乗せて、困惑気味にそう述べた。
想定内の反応だったのだろう。彼と対峙していた相手――菊丸は、その返答に唯笑うばかりだ。
「明日、ね」
「学校は?」
「サボリ」
「……了解っス」
半ば渋々、といった感が強い了承の応えに、然し菊丸は華やいだ笑顔を見せた。
そうして早急過ぎるとは思えど、相手の気が変らない内に待ち合わせの場所と時間を口頭で告げる。それからくるりと身体を反転させて、また明日、とだけ言い残し、その場を後にした。
取り残された少年は呆然と佇んでいる。
―――また明日。
それが彼の願い。それこそが、菊丸が心から望んだものだったのだ。
□
小気味の良い音がして、ボールが跳ねた。
右へ左へ踊るように行き交うそれを、荒い息を吐きながら追い駆ける。
時折立つ土煙が視界を遮れど、それすらも気にはならなかった。集中しているのだ。このゲームに。
ぴいんと張り詰めた空気に、背筋がぞくりと粟立つ。ピリピリと肌を刺す威圧感。この瞬間が、堪らなく好きだ。
思わず上がった口端を隠そうともせず、菊丸はコートの前面へ向かって走り出した。
地面スレスレの球を拾い、その反動を利用して体制を立て直す。そうして返されたボールに喰らい付く。また返す。
身軽なのはウリの一つだ。甘くみて貰っては困る。
ちらりと視線を寄越せば返されたボールに向かい走る少年が、舌打ちするのが遠目でも判った。
それにくふんと笑い、打たれるであろうボールを思い、猫の様なしなやかさを持ってその場を駆ける。
空中に球が浮かぶ姿はまるで、小さな太陽が青空に存在しているかの様な錯覚を起こさせる。
コートの中には自分と、そして少年だけ。
切り取られたかの様な静かな空間には、土を踏む足音とボールを打つ音、そして二つの息遣い。それだけだ。
けれどもその現状に、菊丸は大いに満足していた。それこそ相手が相手じゃなければ、ゲームを中断して笑い出したい程だ。
一日越前リョーマの貸し出し権。集合場所はテニスコート。午前九時集合――。
そう申し出た時、彼は呆気に取られた顔をしていた。無理もないと思う。こんな突飛な事を考えるのは、きっと後にも先にも自分位だろう事は菊丸自身、重々承知している。
けれどもあの彼が自ら、一つだけ出来る範囲で何かしてやると言ってきたのだ。これを利用しない手は無いし、それこそこんな機会でしか、これは叶えられないと思っている。
存外あっさりと提案に乗ってくれた少年に感謝の意を胸の内で言いつつ、目の前のボールに集中する。矢張り彼は思った通り、一筋縄ではいかない。その事実に、歓喜する。
目を眇め黄色い球を追ったその先、同じ様に口角を歪めた少年を目の端で捕らえ、菊丸は密かに笑みを刷いた。
end.