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【マギ】傷口-KIZUGUCHI-【シンジャ】

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細く白い器用な指がいつになくたどたどしく、時折動きを止めて肌の上を滑る。触れる指先はとても冷たい。先程からずっと無言でその行為を続ける、伏せられた顔から表情は見えない。

「――ジャーファル」
「………」

「ジャーファル」

 小さく声を掛けても応えることなく俯いたままの頭に軽く触れて、シンドバッドはもう一度名前を呼んだ。
 ハッとしたように顔を上げたジャーファルが手を止めてシンドバッドを見上げる。
「あ…すみません……痛みましたか?」
 焦った様子でシンドバッドを窺う、その顔には不安の色が浮かび、戸惑いがちに肌から離れていった手がぎゅっと握られる。
「いや…そうじゃない。傷はもうそれほど痛まないから、大丈夫だ」
 そんなジャーファルに僅かに苦笑し首を振って見せると、寄せられた眉の間の皺が深くなった。
「…そんなわけ、ないじゃないですか……」
 こんな…と、消え入りそうな声で呟いたジャーファルが再び俯いて、今まで手当てをしていたシンドバッドの傷口にそっと指先で触れる。


 あれはまだ、ほんの数時間前のことだ。
 金属器を持たないシンドバッドは、黒いルフによって作り出されたジンとジュダルによって大きな傷を負った。
 酷く負傷し流した血に染まった王の姿を見た時、ジャーファルは心臓が凍りつきそうになったが、あの時はまだ気を抜けるような状態ではなく、なんとか冷静でいられた。

 金属器を取り戻したシンドバッドが黒幕である銀行屋を消し、バルバッドの内乱は一応の終焉を迎えたものの、その後の混乱は大きかった。
 一人で歩くことすらおぼつかなかったのに、それが指導者たる者の姿なのだろう、シンドバッドが兵や民に指示を出し、ジャーファル達もまたその場を収める為に奔走した。

 あの時、すぐに応急的な処置はしたけれど、一刻も早く受けた傷の具合を確かめてきちんと手当てをすべきだと思った。致命傷になるような傷がないとも言い切れない。
 シンドバッドは一国の王なのだ。彼の体は、彼一人のものではないのだから。
 本当は医師にも診せた方が良かったのだろうが、怪我人が多くとても手が足りない。言ったところで自分を優先するような人ではないことはよく分かっていた。
 平気だと言い張るシンドバッドを半ば引きずるように宿へと連れ帰って来たのはすっかり日が落ちてからのことだった。


 七つの金属器を持ち、七人のジンを使役する、七海の覇王シンドバッド。彼とて何も無敵というわけではないが、これほどに酷い怪我を負ったのはもうどのくらい前のことだろうか。
 こんな姿を見るのが久しくて、自分でも驚くほどジャーファルは動揺していたらしい。
 「大丈夫っスか?」と、そんな状態のシンドバッドにではなくジャーファルへと珍しく不安げな声を掛けてきたマスルールに、宿に戻っても焦るばかりで半ば放心していたジャーファルはようやく我に返って自分を叱咤した。

 市街の状況もまだ落ち着かない。警護をマスルールに任せ、シンドバッドを寝室へと押し込むと寝台に座らせ改めて傷の手当てに取りかかった。
 汚れた包帯を取り去り、僅かに血の滲み出る傷口を湿らせた布で清める。深い傷ではあったが命に関わるようなことはなさそうで少しだけ緊張が解けた。
 それでも、ともすれば震えそうになる指で、ジャーファルは持参していた薬をその傷のひとつひとつへ施していく。その間、シンドバッドの口からは声ひとつ漏れることはなかったが、時折小さく揺れる肌に何度も手を止め、ただ無心に。

 お互い無言で、初めに口を開いたのは、シンドバッドがジャーファルの名前を呼ぶ声だった。


 再び俯いてしまったジャーファルの頬にシンドバッドの手が伸ばされ顔を上げるように促す。
「大した傷ではないよ…大丈夫だ。だから……泣くな、ジャーファル」
「…泣いてません」
 大丈夫と、もう一度言い聞かせるようにそう告げると、シンドバッドは頬を包み込んだ手で乾いた肌を撫でる。先程まで体に触れていた指先と同じくらい冷たい。
「お前の方が…よっぽど痛そうな顔をしている」
 そこに涙の跡はなかったが、見つめる眼差しを嫌がってジャーファルは顔を背けた。
「それとも、お前もどこか怪我をしたのか?」
「していません……どこかの誰かのように武器も持たずに戦って怪我をするような間の抜けた真似は、私はしませんからご心配なく」
 皮肉のつもりが、何だか拗ねたような声色になってしまったことをジャーファルは苦々しく思った。そんなジャーファルにシンドバッドが小さく笑みを漏らしたことも。
 しかし、それが張り詰めていた空気を少しばかり和ませたのも事実で。
「おお、そうだな。お前の言う通り、これは自業自得だ」
「…そうですよ」
 いつまでも頬を撫でているシンドバッドの手をわざと邪険に振り払ってやる。
「わかったら、もう少しじっとしていてください」 
 ぴしゃりとそう言い放って、ジャーファルは再び手当てを再開した。
 薬を塗った傷に丁寧に包帯を巻いていく。今度は手早く器用な手つきで。視界の端に映ったシンドバッドの表情は穏やかで、今はそれを窺う余裕がある程度に気持ちは落ち着いていた。
 つまり、やはりそれだけ動揺してしまっていたのだ。
 ああ、らしくもない。
 シンドバッドのことになると冷静でいられない。ジャーファルにも自覚はあったが、改めて突き付けられるこの思いを、当の相手が一体どれだけ気付いているのか。
 せめてもの意趣返しに思わず包帯を巻く手に力が篭もってしまう。
「いたい。いたい、ジャーファルくん」
「自業自得なんでしょう。これに懲りたら、もう酒は控えてくださいよ」
 あーとかうーとか口篭もるシンドバッドにため息をつきながら、ジャーファルは手当てを終えた。
 すっかり白い包帯で覆われた逞しい体が、やはり痛々しい。
 じっと見つめていたらこみ上げてくるものに慌てて唇を噛む。
 気が抜けて、自分の思考とは関係ないところでいろいろ緩んでしまったらしく…間に合わず零れてしまったソレを見られないように、咄嗟にその胸に額を押し付けた。
「――……だ、さ…」
 鼻を掠める血のにおい。薬のにおい。
「……もう、こんな……こんな、私のいない所で……傷付かないでください」
 王に仕える者の言葉ではないだろう。
 わかっている。それでも零れてしまった本音。独り言のように、ジャーファルが呟く。
「うん、善処しよう…」
 綺麗に包帯の巻かれたシンドバッドの両腕が伸ばされ、震えるジャーファルの体を抱き締めた。