背中ヘのキス
頑張って家へ着いたころにはだいぶ疲れきっていて、もそもそと飯を食べたら、さっさと風呂に入った。今日は栄口だけでは何ともできない出来事がたくさんありすぎて、正直参ってしまっていた。
風呂上りに冷たい飲み物が欲しくて台所へ立ち寄ると、姉が食器を洗っていた。多分さっき自分が使ったものなんだろう。
「ゆーとー?」
「んー?」
「あいつに早く風呂入れって言ったげて」
「まだ入ってないんだ」
栄口より帰りの早い弟なら大抵もう済ませている時間帯だった。
「もー、家帰ってくるなりずーっとゲーム」
「ふーん」
「あれっ、あんた背中どうしたの?」
濡れた手を拭いながら姉が尋ねてくる。背中と言われたら嫌な予感しかしない。飲んでいた牛乳をすぐさま置き、首を曲げてみるけれど、背後の様子を窺い知ることはできなかった。
「えっ? 何?」
「赤くなってる」
まさかキスで。栄口は必死にそんな予測を振り払う。まさかまさか、有り得ないだろうと言い聞かせる。
「かゆくないの?」
「ないけど……」
「でも爪で引っかいたあとがあるよ?」
かゆいと思ったことも、引っかいたことも、全く身に覚えがなくて恐ろしくなる。
「かゆみ止め塗る?」
「……いや、いーよ」
そう言い、持っていた寝巻き代わりのシャツを着た。結構突拍子のない動作だったけど姉は気にも留めず、スリッパをパタパタさせながら台所から出て行った。
かゆみ止めで解決する問題なんだろうか。ふらりと頭が傾く。ほてった頬でテーブルの冷たさを感じつつ、牛乳の注がれたコップをぼんやり眺めていても物事は進まない。
どちらとも無意識なのが嫌だった。栄口が気づかぬうちにキスされた箇所が赤く腫れ、栄口が意図せずとも腕は背中を引っかいていた。誰かに指摘されるまで全く自覚なく。
心の中がざわざわして落ち着かない。それはまるで、確かに自分の中で起こっていることなのに、まだ知り得ない部分で何かが準備し始めているような気分だった。
「ちょっと! 部屋で寝なさいよ!」
テーブルへと崩れた姿を寝たと勘違いしたのか、戻ってきた姉からどやされる。栄口は生返事をし、促されるまま自室へと向かった。
明日オレは水谷へ今日のことを聞いてみるべきなんだろうか。今はまだわからない。寝て起きれば解決するとも思わない。
けれどもう自分の許容値を越えて疲れていて、枕へ頭を乗せた途端眠くなってしまった。薄れゆく意識の中で栄口はまた水谷のことを考える。すると背中が少し熱っぽくなった気がした。