そして愛に至る
翼を想わせる尖った肩甲骨に唇で触れると、ゾロの下でサンジが軽い吐息を洩らした。
「・・・起きたか?」
「ん・・・、お前が、起こしたんだろ」
サンジは不機嫌そうにそう答えて、ひとつ大きなのびをすると体を仰向けた。
「どけよ」
と、彼の上に上半身を預けている男の背中を叩く。
「いやだ」
「いやって・・・重いんだよ」
「どかねぇ」
「・・・だだこねるんじゃねぇ」
ゾロはサンジの体にしがみつくようにして、右の頬を彼の薄い腹部に押しあてた。
「アホか。暑苦しいんだよ」
文句を言いながらも、いつものように殴ってまでどかせようとしないサンジは、サイドテーブルに手を伸ばし煙草のソフトケースを掴んだ。
狭いが清潔感のある部屋の壁際にあるベッドの上に二人はいる。壁にある閉じた窓に掛かったカーテンの隙間から西日がさらさらと二人の足元を照らしている。白いシーツもゾロの下にいる男の髪もうっすらと飴色に染まっている。
「お前、今日どうした?」
剥き出しのサンジの胸が膨らみ、その薄い唇からゆっくりと紫煙が吐き出されるのを至近距離で眺めながらゾロは言った。
「・・・何が?」
天井を見つめながら、うまそうに煙草を吸うサンジに覆い被さるような格好で、ゾロはサンジの腰に腕を回す。まるで所有権を主張する子どものようだ、とサンジは思う。自然と口元に笑みが浮かぶ。
「何か変だったじゃねぇか、やってるとき」
「別に。たまってたんだよ、俺も。久しぶりだったし」
「・・・いつもは最後までやんのいやがんだろ。俺が宥めすかしても絶対嫌だとかゴネて、挙句の果てにじゃあ俺に突っ込ませろとか恐ろしい冗談言いやがるくせに・・・今日ははやくとかもっととか色々言って、やけに乗り気だったじゃねえか」
「ああ?てめえ、つまんねぇことだけ記憶力いいな。そんなこと言ったか?覚えてないね」
「言った。いくときも、ゾロ、中で出せよって・・いてえ」
サンジは自分の腹の上にある緑色の頭を拳で殴った。
「三回も中で出しやがったくせに、偉そうに言うな。もう、いい。そうやっていちいち復習すんな。次言ったら殺す」
「・・・お前の口のなかで出したのも入れたら四回だろ・・・いって」
「てめぇ、俺の体力が戻ったら死刑な」
器用に膝を振り上げて、ゾロの脇腹を蹴ったサンジの声は、やはり心なしかいつもより優しく響く。ゾロは痛む腹を撫でながら、体を上にずらし犬のように鼻をサンジの胸に押し付けた。
そうやって手放しで甘える今日のゾロも相当変だ、とサンジは思う。
「・・・お前だって、今日は最初からずっとおかしかったじゃねぇか」
サンジの呟きにゾロは答えなかった。見るとそのままの姿勢で穏やかな寝息をたてている。
ひとつ溜息をついて、サンジは緑の髪にそっと手を添える。そうしながら昨日の出来事を思い出していた。
* * *
ログを溜めるため、島に船が停泊した最初の夜、ルフィ、ウソップ、ゾロの3人が黙って船を抜け出し外泊した。それを知ったナミが怒りも露な表情でキッチンに乗り込んできた。
キッチンではサンジが明日の食事の仕込みを行っている最中で、テーブルではロビンが本を読んでいた。船医のトナカイは今夜見張り台に登っている。
「っとに頭くる、あいつら」
チョッパーが半時ほど前に、船を降り街に向かう3人の後姿を見たらしいという報告を終えて、ナミはそう言った。
「まあまあナミさん、落ち着いて。怒ると美人が台無しだよ。もちろん怒ったナミさんも素敵だけど」
サンジはそう言って、ナミとロビンの前に温かいハーブティーの入ったカップを置いた。
「ありがと、サンジ君。それにしてもあいつら、自分たちが海軍に追われる賞金首だってことわかってるのかしら。もうちょっと、緊張感ってものを持って欲しいわ」
「もともとこの船に一番足りないものだね。でも確かに無断で船を降りるのはルール違反だ。帰ってきたらしばらくあいつら肉抜きだな」
「ほんとよ!もうサンジ君だけがあたしの味方。あいつら馬鹿ばっかりなんだから」
「もちろん。俺はいつでもナミさんの味方さ」
にっこりとそう答えて、サンジは再び作業を始める。ナミは温かい金色の液体のおかげで、随分と気持ちが落ち着いたようだった。しばらくロビンを相手に3人の文句を言った後、ふとおとなしくなった。サンジが振り返ると、テーブルに突っ伏すようにして穏やかな寝息を立てていた。
「寝ちゃったわ、この子」
ロビンが肩をすくめてサンジを見た。サンジはスーツの上着を脱いで、ナミの肩にそっと掛けてやった。眠るナミの穏やかな顔に赤い色の髪が数本かかっている。
「疲れてたのかな」
「この島に来るまで海流が荒れて、彼女ほとんど寝ないで航路の計算をしていたもの。疲れが出たのよ。このままそっとしといてあげましょう」
ロビンは優しくナミを見て微笑んだ。船で最も年齢の高い彼女はやはり色々なことをよくわかっていて、一人ひとりを気にかけている、ということにサンジは気づく。例えば力強く船員達をまとめる役割を担い、航路を導くナミがまだ17歳の少女であるという事実をふと思い出させてくれる。眠る彼女の肩は一回り華奢にうつる。
「うん。後で俺が船室に運ぶよ」
「そうしてあげてね。・・・それにしてもあの子達はしょうがないわね。彼女の気持ちも知らずに。全くどこへ行ったのかしら」
「ほんとに。久しぶりの島だし、気持ちがはしゃいでるんだろ。あいつらんっとにガキだから。今頃、街に出て騒いでるんじゃないかな」
「まあ、あの子たちも男の子だし。この島の女性は伝統的に旅行者に優しい文化を持っているのだと、何かの本で読んだことがあるわ」
「へえ、そりゃ俺もあやかりたいもんだね。ちぇっ、あいつらだけずるいな」
そう言ったサンジの感情を見透かしたように彼女は、ふふふと唇だけで笑う。
「それ、何の本を読んでるの?」
何となく話題を変えたくて、サンジはロビンに尋ねる。
「神話の本よ。世界各地に伝わる神話を紹介した本。世界の神話を辿るとね、国や地域は違っていても共通するイメージやモチーフに溢れているの。そういうことを書いている本」
「へえ、おもしろいね」
「そうね。結局、人が求めるものなんてそう変わらないってことかしら。幸福のかたちもね。とてもシンプルなものなのかもしれない。・・・色々と難しく考えるのは悪いことじゃないけど、そのせいで本当に欲しいものを見失うこともあるのよ」
ロビンの黒曜石のような瞳がサンジに向けられている。サンジは黙って空になった2つのティーカップをトレイに載せた。
「おいしいお茶をありがとう、コックさん」
彼女はそう言って本を閉じると立ち上がり、キッチンを出て行った。
サンジは見張り台にいるトナカイのための夜食を作るという今夜最後の仕事にとりかかりながら、ゾロがこの島の女を抱きに行ったという事実を胸で反芻した。
何故だろう。すっと背筋に冷たい水が走ったように、落ち着かない。動悸が早くなって、手元の作業に集中できない。
「クソっ」