君に言祝ぐ日
――この人は一体何をしたいんだろうと思うことがある。
たとえば、下校の際に何気なく道の先に居た時とか。コートをボロボロにしてアパートの壁に寄りかかっていた時とか。……こうして、なぜか一緒にお茶をしているときとか。
「本当に、何がしたいんですか臨也さん」
「何が?」
こてんと首を傾げて問いかけたのに質問を質問で返され、流石に帝人も視線がきつくなる。朗らかな笑顔を返した臨也は「それよりお茶、いいの? 温くなっちゃうよ」と笑ってカップを指した。
「あ、頂きます。……美味しいですね」
「でしょ。ここ経営しているのお茶の専門店だからね。今飲んでるのはオリジナルのブレンドティーだけど、緑茶も美味しいから試してみたら?」
「う、機会があれば」
臨也の言葉の通り、口をつけた紅茶はとても美味しい。苦みがそれほどないので飲みやすく、かつ口に残る芳香に目を瞬いた。だがそれと比例するように値段の方もとてもいい。機会があればとは言ってみたものの、多分絶対来れないだろうなと内心で呟いた。
それを見越したように臨也はふふ、と笑って頬杖を吐く。
「なんてね。君の事だから来れないだろ。気にいったならまた連れて来て上げるよ」
「え、でもそこまでして頂くのは」
「いーじゃん気にしない! ていうか気にしてる場合かなー貧乏学生が。社会人の好意は素直に受け取っておくもんだよ」
「……臨也さんの場合後が怖いので」
タダより怖いものがない、という世の中の通説通りにこの人の好意ほど怖いものがないと嫌と言うほど周囲に聞かされている。幼馴染の親友から始まり、彼の同窓生だったという友人二人、何故だか同類感を感じる年下の後輩、嫌悪を顕わにする池袋の喧嘩人形、更には都市伝説の首なしライダーまで加われば立派な通説だ。
それでも帝人は周囲が言うほど臨也に反感も嫌悪も持っていなかった。むしろどちらかと言うのならいつもダラーズ関連のことでお世話になっている頼れる先輩、のようなカテゴリだ。
周囲が知ったのならば全力で否定いただろうが、生憎と帝人の臨也への認識を知る人物は少なく、なおかつ帝人がそれを吐露したことは無かった。よって周囲の心配をよそに帝人はいまも臨也と交流を続けている。
通学路やアパートなどに不意に現れては世話を焼くこの青年の事を憎からず思っている。そうでなければ今こうしてお茶を一緒に楽しんでいない。
だが、いくら帝人でも警戒を怠るわけではない。周囲の言が正しいということも知っている。そんなわけで信頼する一方で不審な眼差しを向ける帝人を気にするわけでもなく、臨也は自分の前に置かれたお茶を含む。
「ただ単純な好意さ。そうだなあ、それでも君が気にするって言うなら快気祝いでもいいよ。完治おめでとう」
「……その節はご迷惑をおかけしました」
「迷惑なんかじゃないよ。むしろ恩人なのはこちらさ。迷惑をかけたって言うなら俺の方が謝るべきかな、もちろんこんなことじゃ侘びにもならないんだけど」
「いえ、でも、」
「それでも君が気にするならあの件については責任は半々として、とりあえずはケーキ食べたほうがいいと思うんだけど」
生ものだしね、と笑う臨也はお茶と同じく給された皿を指して笑う。釈然としないが貼り付けたような笑顔を前に何も言っても無駄と悟り、素直に皿を引き寄せた。
「それじゃ、ありがたく頂きます」
「どうぞ召し上がれ」
フォークを入れて口に運ぶ。季節の果物をふんだんに使ったタルトは美味しい。さくさくとした生地と濃厚なクリーム、果実の甘さに頬が緩む。
「おいしい?」
「はい。凄く」
甘いものが特別好きというわけではないが、差し出されれば食べる。滅多に食べれないものだし、ここぞとばかりに味わうのは人として正しい姿だ。そんな風に食に対して割と無頓着な帝人がうっとりと感嘆するくらいにはケーキは秀逸だった。
「そう、それはよかった。遠慮しないで食べなよ」
「いただきます」
そうしてまた一口。生クリームが濃くて飽きるかと思えばいやいや全然そんなことは無い。むしろそれが更に果実やスポンジを引き立てて……とあまり食に詳しくない帝人でも手の込みようが感じられる一品だった。さすが臨也さんの選んだ店、と密かに感嘆する。
このカフェだって内装も綺麗だし店員の接客も感じがいい。かといって敷居がそれほど高いわけでもなく、高校生がちょっと頑張れば来れるような値段だ。現に下校中の高校生や若い男女が店内にちらほらいる。そこで帝人はこっそりと溜息を吐いた。
(……このひとはあんまり気にしてないんだろうけどなあ)
洒落た店内で、男二人でケーキをつつく様を。
さきほどからちらちらと視線が注がれて、正直帝人としては早く出たい。だが平然と紅茶の入ったカップを傾ける臨也は気にも留めていないだろう。むしろそれさえも一興と人間観察の一環とするに違いない。
店内の客層としては男女が三対七。しかも男性はほぼ女性と同伴だ。そんな場所に青年と高校生の二人連れ。……目立っている、と内心で呟く。
帝人はそれほど目立つ方でもない。人ごみに入ればすぐに群衆を構成する人間その一になりそうなくらいに存在感は薄いと言える。だが目の前に座る相手は別だ。
折原臨也とは内包する性格と人格に見合わず、外見だけは最上に位置していると言っていたのは誰だったか。
「なーに、そんなに見つめて? あ、もしかして俺に見惚れた?」
「ええ。臨也さんってなんでそんなに残念なんだろうって」
「ひっど! こんなやさしいお兄さんになんて事言うの帝人くん!」
「自分で言わないでください」
はぁと溜息をつけばくすりと笑った臨也は周囲に視線をやり、納得したように頬杖をついて帝人を見遣る。
「ああ、この視線? 別に気にしなければいいじゃない」
「……気になりますよ」
「まあ確かにちょっと遠慮したい類の視線も混じってるけどさあ、そんなの好きにさせとけばいいよ。大丈夫大丈夫」
「……どこが大丈夫だって言うんですか」
ひらひらと手を振って問題はないと告げる臨也に心から告げたい。既にこの状況が苦行に他ならないと。そもそもこうやって注目を集めることは苦手なのだ。かかる緊張のせいで顔から火が出そうだ。
そんな帝人の状況を見かねるどころか楽しんでいる様子で臨也はこちらを見ている。悪趣味めと毒づくが堪えた様子は一向にない。むしろそれさえも笑って受け入れた。
「ちょっとあの子たちの間で話題に上るくらいだよ。彼女たちの中で何人が君の素性を知っていると思う? 人の噂も七十五日っていうしね。暫しの我慢我慢」
「それ言ったら臨也さんなんて無駄に知られてるくせに……」
「まあちょっとばかり知られてる自覚はあるけど、微々たるもんだよ。首無しライダーに比べたらね」
「比較対象が違うと思いますけど……まあいいです」
これ以上何を言っても無駄と悟り、溜息を吐いてケーキについていた苺を口に入れる。甘酸っぱい果物は帝人の食欲を潤してくれたが、残念ながら気分までとはいかなかった。