Luxurious bone ―前編―
ゾロは次々と襲い掛かってくる刃を3本の峰で受け止めながら、そんなサンジの戦いを見ていた。口元に笑みさえ浮かべているが瞳に宿る殺気は怜悧だ。強烈に赤みを増した空気のなかで、髪を陽光に染めたサンジは敵の隙間を抜ける速さで飛び回っている。脚力に裏づけられたその跳躍は、刀の破壊力さえ無にする。ふわりと空中に浮いた姿勢で向きを変え、反動で全体重を封じ込めた蹴り技が弾け飛ぶ。それを受けた海兵は歪む程大きく体を曲げて後ろに飛び、地面に沈んで果てる。サンジの動きは全てが正確で、スローモーションのように静止して見える。
海軍の刀がサンジの頬を掠める。切れた皮膚から一筋の血が流れ、しかしそれ以上の傷を残すまでもなく海兵はサンジの爪先を顔面に受けて倒れこむ。流れた血を手の甲で拭うと、サンジは無表情に倒れた海兵を見下ろす。
女神とは言いすぎだ、とゾロは再び思う。
この男は女神なんかより残酷で、暗い魅力を宿している。今までゾロが出会ったどんな男よりも度し難く、業が深い。
「ゾロ!」
サンジの叫びに我に帰ると、背後で倒れていた男が刀を取って再び襲いかかってきた。 ゾロは姿勢を低くして腰に力を溜める。腹の底で怒りにも似た気を爆発させる。
一瞬で獣と化したゾロは、男に刀を振り下ろす。叫び声とともに太陽よりも赤い血液が噴出して男は果てる。間髪開けずまた数人がゾロを取り囲む。妖刀の刃が人の血を吸うことで鈍い輝きを増す。
無の境地などに興味はない。ゾロの網膜にぎらつく極彩色の光、精神を昂ぶらせる殺気の迸り。
負けない。俺は強い。全てを刀に叩きつけて、空の高みだけを目指す。
対峙する男の尋常ではない存在感に、海兵たちは怯む。既に半分は倒れている。
上官らしき男が刀を掲げて、ものすごい勢いでゾロに突進してきた。虚空を睨みつけながらゾロは刀を構える。交差する瞬間の一太刀で蹴りをつける。解き放たれた戦いへの欲望がゾロの体を駆け巡り握られた刀へも伝わって外界にまで溢れ出る瞬間だった。
負ける、と男は思った。怯んで引かない程度に刀の技能は身に付けている。しかし気力が違いすぎる。この剣士には髪の毛一本分の隙もない。欠点も多いが、少なくとも自分の敵う相手ではない。
口に咥えた刃で男の一振りを受け止め、ゾロは流すように両手の刀を振るった。武者震いの余韻に目を閉じると、ゾロの背後でどしりと男の体が地面に落ちる音がした。
サンジがゾロの戦いを見つめている。ゾロの臥せられた瞳には、船の艇先に舞い降りる女の姿が浮かぶ。漂流するようにあちこちの島を旅していた少年の頃、立ち寄った小さな島の朽ち果てた遺跡の壁一面に描かれていた。それは背中にある大きな翼を広げて吹く風を全身に受けて、今にも大地に降り立とうとしている戦いの女神。
振り返ってサンジを見る。粗い息を吐きながらサンジは倒れた男たちの体の隙間に立っている。砕けたワイン樽の残骸が転がり、零れた赤い液体が血と混ざりあって白い地面を染めている。残った者たちは二人の強さと勢いに完膚なきまでに圧倒され、背中を向けて走り去っていった。
青い瞳でゾロを見返すサンジに何か言葉をかけようとしたとき、倒れていたはずの一人がゆっくりと上半身を起こした。警戒して刀を握り治すと、その男はゾロに視線を向けて懐に右手を入れた。取り出されたのは黒く光る拳銃だった。一瞬で男との距離をゾロは測るが切っ先の届く間ではないのは一目瞭然だ。しかしゾロは怯まない。間合いを詰めて最後の太刀を浴びせるつもりで地面を蹴った。弾を避けることなど考えない。当たれば体に穴が空いて、大地に沈むだけだ。それは逃げても同じこと。
ゾロが低い唸り声を上げた瞬間、黒い影がゾロの眼前を遮った。どん、と乾いた銃声が響きその影は足元に崩れ落ちる。サンジだった。
その姿を視界に捉えながらゾロは、サンジの体を飛び越して男に刀を突き刺した。滝のように男の首から血液が吹きだし、男は息絶えた。
振り返ってサンジに走り寄る。白い土の上に倒れた体を抱え起こす。腕に抱いたサンジの右肩に開いた小さな弾痕から血液がとめどなく溢れ出している。
「おい!!なんで庇った!」
歯をむき出して叫ぶ。サンジは口元に僅かに笑みを浮かべたままかくりと首をおとし、そのまま気を失った。ゾロは頭のバンダナを解いてサンジの右腕にきつく結んだ。そしてその体を両腕に抱いて立ち上がる。何処か治療できるところに急がなければならない。村の方向を見渡すが検討もつかない。
「畜生ッ!!!!」
きゅっとサンジの小さな頭を胸元に押し付けると、ゾロは走り出した。
気を静めて注意深く探さなければ、海軍が既に包囲網を敷いているだろう。しかし出血の量からして一刻の猶予もない。
ふと走りながら目線を向けた道の片隅に立つ木の陰に、緑色の布がちらりと見えた。一人の少女がこちらを窺っている。ゾロが驚いて立ち止まると少女は陰から姿を表し、真っ直ぐにゾロを見上げた。昼間、市場でゾロの足にぶつかってきた少女だった。間違いない。
サンジの肩から溢れ出る鮮血はゾロの白いシャツを赤く染めていく。少女は鋭いゾロの形相に怯む様子を見せない。ゾロが口を開くより先にその少女は叫んだ。
「来て!」
少女の言葉にゾロは一瞬、躊躇う。信用してもいいものか、しかし小さな少女は、ゾロを少しも怖がる様子がない。
「何してるの。はやく来て!その人、死んじゃう」
駆け出した少女に、ゾロは続いた。
太陽は地平線に沈み、分厚い雲の合間から三日月が覗いている。島に暗い夜が訪れようとしていた。
作品名:Luxurious bone ―前編― 作家名:nanako