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手の中のキラキラ

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手の中のきらきら



「あ、バイトいくわ」

お決まりの台詞とともに伯方が立ち上がった。

「もうかよ」

「ごめん」

円田は不満げな顔を見せつけながらも、さっきまで熱中していた対戦ゲームのスイッチをあっさりと切る。

バイトが趣味と言い切るこの友人に今更何を言っても馬の耳に念仏だ。

いつもの言葉と苦笑いを見せ、てきぱきと荷物をまとめる友人をぼんやりと眺めながら、散乱した菓子の袋や空になったペットボトルをビニール袋に押し込む。既に鞄を肩にかけた伯方は、ごく自然にその袋を受け取り、口を結んだ。

そして、先ほどから微動だにしないもう一人に目をやる。

二対の視線をものともせずに、くうくうと平和な寝息をたてている青年。二人のもう一人の親友、ゆうたは、誰もが釘付けになる美貌を無防備に晒している。

「ゆうた起こそうか」

「いいよ。そのうち起きるだろ。起きなかったら、後で適当に起こすわ」

「苛めるなよ」

「はー?俺がゆうたを苛めるわけないじゃん」

「そのつもりがなくてもお前は言葉尻がきついんだよ」

「はいはい、さっさと行けよ」

「ゆうたは純粋なんだからあんまりからかうなよ」

「へえへえ、はやく行けって。バイトなんだろ」

「わ、もうこんな時間。じゃあね」

ばたばたと珍しく慌てた様子で伯方が行ってしまうと、円田の部屋には寝こけるゆうたと部屋の主が二人きりで残された。

手持ち無沙汰にテレビをつけようと、リモコンを探して手を彷徨わせる。一時的に行方不明になっていたそれの在り処に気づいた円田は、眉を潜めた。

(やっぱりさっき起こせば良かった)

それはゆうたが抱きしめているクッションの下にあった。無理に引き抜こうにも微妙な位置だ。あっさりと気を変え、ゆうたを揺する。

「ゆうた、ちょっとどけ。リモコン」

「ん」

むずがるような声を上げ、ゴロンと位置を変える様はまるで子供のようだが、それがゆうただというだけで、円田でさえ思わず頬を緩めてしまうような愛嬌がある。

もともと色素の薄い髪は、陽の光を弾いて、まるでブロンドのようにきらきらしている。寝顔を縁取る産毛さえも光の粒を纏い、出来物の痕ひとつない肌は光沢のある絹のように、暮れる間際の強い日差しをゆらゆらと写していた。無造作に投げ出された手足さえ、一幅の絵画のように完成された比率を魅せつける。同世代の他の誰がしても間抜けとしかえいえない、あどけない寝顔は、無垢の象徴のようだ。

(本当に美形だな)

まじまじとその顔を眺める円田の脳裏からは、リモコンの存在は消え失せていた。

円田は面食いだ。友人はかっこいい人間しかいらないし、女の子は可愛い子に限る。

ゆうたはそんじょそこらの女の子より余程繊細で気品のある顔立ちをしていて、一目見た時に友達になると決めた。どういう原理かわからないが、きらきらと光を纏って輝いて見える。どんな仕草にも華がある。何もしなくても女の子が寄ってくる羨ましいほどの魅力があった。

その上、伯方が純粋と言ったように、ゆうたは物知らずで狡賢さの欠片もなく、人の悪口など一切言わない、穏やかで無邪気な性格だ。何をしても許されそうなほどの外見を持ちながら、そんな誰からも愛される性格をしているなんて、まるでお伽話のようだ。

もう一人の友人に取り残されたつまらない気分はどこへやら、悪戯心がむくむくと沸き上がる。

何をしてやろうか。この美しさを損なうような落書きなんて、問答無用で却下だ。以前氷を入れてやったときは失敗したから、今回はしっかり考える。起きたときのゆうたの素直な反応を想像し、にやにやと底意地の悪い笑みを浮かべる。

本当にゆうたを怒らせるような嫌がらせなどはしない。T郎や宇野とは違う、友人なのだから。

時々やり過ぎて伯方に怒られようとも、その辺りのボーダーラインはしっかりと引いてるつもりだ。

ただ、少しいつもの腹いせをしてやってもいいじゃないか。

嘘がつけない。感情が顔にでる。そんなゆうたが何か隠しごとをしているのは、ずっと前から知っていた。

きっとT郎はそれを知っている。円田にはそれが羨ましくて、苛立たしい。誰もが仲良くなりたがるゆうたが唯一心を許しているのが、あんなヲタクだなんて。

その上、陰気な宇野にもゆうたは心を許そうとしている。宇野はそれを嫌がっているようだが、それも円田には信じられない。
ゆうたがあんなに仲良くしようと不器用に頑張っているのに、それを拒絶し、ゆうたを悲しませるなんて、性格の悪い嫌な奴。そもそもあんなのにゆうたの優しさなど分不相応なのだ。だから、どんなに伯方やT郎、そしてゆうた自身に窘められようと、苛立ちをぶつけずにいられない。

さらさらと触り心地の良い肌の感触を楽しみながら、むくむくとやるせなさが沸き上がる。

人と遊んでいるときに眠りこけるなどという失礼なことをされようとも、気を許されていると気分良く思うほどには円田はゆうたが好きだった。

しかし、その直後走り抜けた衝動は、それ以上の何かがあった。

長い睫毛が震え、ゆっくりと瞼が上がる。目覚めたばかりの澄んだ瞳は潤み、ゆらゆらと揺れる水膜が円田を映した。

(あ、起きた)

そう思ったのと、ごくりと唾を飲み込む音をどこか遠くに聞いたのは同時だった。

「円田?」

ゆうたの声がやけに近くに聞こえた。さらさらと顔に当たる髪からシャンプーの匂いがする。寝起きだというのに少しも汗臭さのない男なんているもんだな。

(男でも唇ってやわらかいんだな)

呑気にそう思った一瞬後、はっと正気に返る。 

シミ一つない肌が可哀想なほど赤く染まっている。潤みきった瞳は今にも水滴を生み落としそうだ。いっそ哀れなその風情はますます円田を焦らせた。

(何呑気に赤くなってんだよ。怒れよ、怒ってくれれば悪ふざけが過ぎたよ、キショいことして悪かったって言えるのに)

この膨れ上がる劣情をごまかせるのに。

ぎゅっと握りこんだ拳とか、唇を覆う様子とか、そんなものがますます円田の嗜虐心を煽っているのだと、ゆうたは気づかない。

(俺は、女の子が好きで)

綺麗でかわいい女の子。

(だけど、こいつは今まで俺が会ったどの子よりもキレイで、男の癖に汚いものなんか何も知りませんって顔をしていて)

嘘なんかつけないくせに、ずっと隠し事をしていて。

(今、俺は、こいつに、キスした)

ゆうたは、顔を真っ赤に染め、俯いておろおろと視線を彷徨わせている。やめろ。そんな色気今はヤバいんだ。

いよいよパニックに陥った円田に追い打ちをかけるように、ゆうたから信じられない言葉が飛び出した。

「お、俺、ち、ちゃんと、責任とるから!」

(加害者妄想?)

いつだったか一度抱いた発想がもう一度沸き上がる。

同時に、このめったにない機会を逃すなといつもの狡猾さが顔を出す。

「あー、じゃあ、そうしてもらおっかな」

口から滑り出しきた言葉は、自分でも信じられないことに今までになく弾んで聞こえた。





「う、わー」

あまりの展開に、T郎は宙を仰いだ。
作品名:手の中のキラキラ 作家名:川野礼