ところにより吹雪になるでしょう
去年の自分は一体何をしていたんだっけ。春は確か着慣れないスーツで入学式に出ていた。草野球のサークルに入って友達もできた。試験をして、夏休みが始まって終わって、また試験があって、春休みが終わったら新入生が入ってきた。それで割と仲の良い後輩から自分へ好意があるらしい女の子を紹介してもらって、二ヶ月もしないうちにだめになった。
出来事はつらつらと思い出せるのに特に感慨が沸かないのは、それらすべてに栄口が何も感情を持てなかったからだった。話を覚えていない人のことを『耳の右から入って左から出て行く』と例えることがあるが、正にそのように、景色も季節も人物も、栄口の目の前をただ横切っていった。確か去年は冷夏で、冬も全然雪が降らなかったことを覚えている。期末考査は難しかったし、長い休みは草野球のみんなと合宿にも行った。だが自分がそこにいたという実感はない。
こんな遠くへ来てしまえば忘れられると思っていた。新生活によって次々に自分へと降りかかる、慣れないことをこなせば水谷の存在は新しいものに埋もれて見えなくなってしまうはずだったのに、なぜか願いは叶わない。かなりの間顔も見ていない、声も聞いていない相手をどうして好きでいられるんだろう。
(多分オレがそれを望んでいるからだ)
結論にたどり着くといつも心が冷える。空調の入っていない少し蒸し暑い教室の中でも、水谷へすべてを話そうと出向いたあの日の帰り道の寒さまで一気に逆戻りする。
隣の後輩は熟睡しているようで、眠りについたときから体勢は変わっていなかった。元彼女は後輩と高校からの友人で、一度だけ試合を見に来たことがあった。しかし「今日試合を見に来てた子のうちの一人が先輩とつきあいたいらしいんです」と言われても顔が全然浮かばなかった。珍しく女子が数人いるなぁ程度にしか認識していなかったのだから当然だった。
そんな相手と二つ返事でつきあうのはひどいことだとわかっていたが、この子を好きになれたら水谷のことを忘れられるのかもしれないという小さな期待もあった。普通の大学生のように普通に女の子と恋愛をすれば、きっと昔の自分は上書きされて見えなくだろう。
栄口に彼女ができたことは橋渡しをした後輩が同じサークルにいたのもあり、すぐに広まった。サークルの仲間たちは口々に栄口の彼女をかわいいと羨ましがるのだが、当の本人はピンとこなかった。
(オレはもっと髪がふわふわしてて笑顔がだらしなくて目元が……)
浮かんできた好みのタイプは深く考えなくても水谷の特徴だった。その時から既に栄口には終わりが見えていた。
結局栄口は彼女を自分の肯定マシーンにしてしまった。過去を知らない相手の盲目的な好意によって安易に肯定されるのはとても楽だった。彼女に手を引かれるまま普通の一般男子の普通のおつきあいというものを経験させてもらったが、自分を変えてくれると期待していたそれも栄口の表面をてらりとなぞっただけで、中の氷の塊は全く溶けなかった。
実のところ栄口のスタンスは一貫して、「君がオレを好きになるのは自由だけど、オレは他の人のことが好きだから君を好きになることはありません、それでもつきあいたかったらどうぞ」というものだった。こんな本心を知られたら発狂されそうで決して口にはしなかったが、上辺だけの栄口にだんだん彼女も気づいてきたようで、つきあった二ヶ月の内、あとのひと月は怒った顔しか見ていない。
栄口へ一方的に不満をぶつけたら今度は「何か言ってよ」と言葉を乞う。だが栄口の中に彼女に対する言葉なんてなかった。一応探しはしたがびっくりするほど見つからなくて逆に栄口のほうが驚いてしまった。天秤が大きく相手側に傾いたまま微動だにしなかった恋の終止符は彼女の平手によって打たれたが、目に涙をためて今にも泣きそうな姿を見ても栄口は何も感じ取れなかった。
他に好きな人がいても、その人じゃない誰かとつきあえるなんて高校生の栄口だったらあからさまに嫌悪感を示していただろう。それを何の感慨もなくこなしてしまった今の自分のいかに汚れたことか。あの頃の栄口だったらこんなことをする奴を絶対に軽蔑している。多分、水谷だって。
作品名:ところにより吹雪になるでしょう 作家名:さはら