ところにより吹雪になるでしょう
この歌手のこのアルバムは、水谷が高校三年生のときに大流行したものだった。それがここ最近またドラマに使われたり、ベストアルバムが出たりで、リバイバルブームが起きている。
水谷はそのラブソングをまだ覚えている。離れ離れになった相手を想い続ける歌詞に、昔は自分と栄口のその後を想像したりした。今はただ、栄口がその曲をとても気に入っていてよく口ずさんでいた思い出だけで胸が詰まる。だから箱の中にしまっておいたのだ。つらくなるから。
話の流れで阿部がベストより昔のこのアルバムを聴きたがっていると知った。よく確かめもせずに、日ごろの恩返しも兼ねて貸すと口約束したはいいものの全然見つからなくて、見つかったはいいものの泣きすぎて瞼が腫れてしまった。
頼まれていたCDを供物のように渡し、水谷も阿部の隣へ腰を下ろした。阿部はそれを受け取って歌詞カードを読み始める。今日サボったり遅刻したりせずに学校へ来たのはそのせいだった。窓から覗く空は淀み、水谷は栄口のいるところはまた『吹雪』なのかなと雲を見ながら思いを馳せていると、突然阿部から声がかかった。
「……水谷、今日誰かと会う約束してんのか?」
「え? なんで?」
「なんか手紙が入ってる」
手紙なんて阿部に言われるまで知らなかった。渡された紙切れには、ボールペンで見覚えのある字が書いてあった。
栄口の字だった。彼が器用な指先で自分の名前を書く、それだけでなにか特別な気持ちになったのだ。まだ忘れられない。
『……日 夕方四時、いつもの公園で会わない? 話したいことがある』
何度も目でなぞり、確かめた。手紙の示す日付が今日ではなく、高校三年のときのそれであることは水谷にもよくわかっていた。でも、会いたくて、知りたくて、いてもたってもいられなくなった。
もう、二年経った栄口がどうなっていようと、二年経った自分が栄口にどう思われようともかまわない。ダメで元々、そういう半端な気持ちすらなく、ただまっすぐに栄口に会いたかった。
机の上へ出していたノートや筆記具を乱暴に詰め込むとそれだけで準備は整う。もうどこへでも行ける。いや、行かなければならない。確かめたいことがあるのだから。上着に片腕を通しつつ阿部へ別れを告げようとしたら、いぶかしげに遮られた。
「水谷どこ行くんだよ、講義始まっぞ」
「あとで喋る! 今は見逃してっ」
「あいつんとこ行くんだろ」
誰、と水谷は聞かなかったし、阿部も言わなかった。しかし阿部はすぐさま薄い手帳から何かを書き写し、携帯の番号とメールアドレスは変わってねぇよと言付け、水谷に渡して寄こした。そのルーズリーフの切れ端には見慣れない住所とアパートの名前が書いてあった。
「これは昨日出たばっかの俺のバイト代、足しにしな。絶対後で返せよ」
「あ、あべ、何で?」
「行ってやれよ」
愛想もなくそれだけつぶやくと、阿部はそっぽを向いてしまった。おそらく自分でも、らしくないことをしてしまったという実感があるのだろう。そういう阿部の不器用な優しさにすごく感動した。
「あっ(りがとうございま)した!」
「いーから行け!」
深々と頭を下げた水谷がくるりと身を翻し、足を急がせる。階段教室へ次々と押し入ってくる人の流れに逆らい、ドアを閉めると同時に始業のチャイムが鳴った。構内は急いで授業に滑り込む人で混み合っていたが、建物を出るとすぐに水谷は走り出した。
作品名:ところにより吹雪になるでしょう 作家名:さはら