楽園
そんなものを愛と呼のかと君は笑う
そんなものしか愛と知らずと僕は苦笑う
楽園
「おいで」
声を掛けられて浅黄色の髪の少年は振り向いた。そこには年恰好こそ違うが、少年と瓜二つの青年がいた。親子よりも、兄弟よりも、さらに近しい存在。窓を背にして大きなソファに座る青年の前に、少年は立った。逆光のせいか、男の表情は読み取る事が出来ない。
「お前に名前を与えよう。お前の名前はリボンズ。リボンズ・アルマークだ」
「リボンズ」
少年は与えられた名を繰り返した。
「そう、リボンズ。君は、いや、いずれは君たちになるのかな……。まぁいい。君は僕達人類の希望だよ。有能な人間がいたら素直に学びなさい。従うべき人間には頭を下げなさい。愚かな人間には、蔑むことなく優しくありなさい。正しい道を歩む人間は静かに見守りなさい。もし道を違えようとする人があれば、正しい方向に進むように導きなさい。いいね。僕達の希望、僕達の理想、そして僕達の可能性。お前にはそれが出来る。そうであるように僕が造った」
男はリボンズを見つめ、頬をなでた。
「リボンズ。可愛い息子よ。人類をより良い方向へと導く天使よ。そして……僕達を地球に繋ぎとめる最後の枷よ」
* * *
ザ、ザザ……ザザン……。
所は地中海のとある孤島である。島には屋敷が一件しかない。例に漏れず、この屋敷の壁も白く石灰で塗られていた。この文明の発達した二一〇〇年も目前と迫った時代に、本土に行く方法は船のみであるという、文字通りの孤島だった。周りは崖で囲まれ、一カ所だけ入り江があり、そこに小さな船着き場があった。屋敷は以前資産家の別荘だったらしく部屋数だけは多かったが、使用している部屋は数えるほどだ。住んでいる人物はといえば、偏屈な老人ではなく、まだ壮年の部類に入るだろう一人の男だった。
男の名前はイオリア・シュヘンベルグ。
天才の名をほしいままにし、科学技術分野では彼の名前を知らぬ者などいない。実用化こそしていないが、半永久機関の基礎理論や、量子演算処理システムの発明や、軌道エレベーター建造、それに伴う太陽光発電システム等々あげたらきりがない。現代のレオナルド・ダ・ヴィンチといっても過言ではないだろう。しかし論文こそ発表しても学会や人前にはほとんど露出せずに、その生活のほとんどをこの孤島の屋敷で過ごしていた。厭世家なのだとか、極度の人間嫌いなのだとか、人々は勝手に噂し合っていたが誰も本人に確認することはなく、真偽のほどはわからなかった。
波の音の間に低く唸るモーター音が響いた。
イオリアがモニタから顔をあげ海に面した窓を見やると、本土からこちらに向かって浪間に一筋の白い軌跡を残す一隻の小型クルーザーが見えた。友人の船だ。今から十五分もすればこの部屋にやってくるだろう。
イオリアはやってくる友人を迎えに出ることもなく、モニタに視線を戻した。
* * *
「やぁ」
「呼んでないぞ」
「酷いな。いつも様子を見に来てくれる友達に向かって」
友人はイオリアの予想通り、十五分きっかりに玄関のチャイムを鳴らした。モニタを見れば見慣れた友人の顔。返事はしない。それでもイオリアがいることは分かっているのだろう。応答を待つことなく、友人は躊躇せずに玄関のドアを開けた。
そして勝手知ったる他人の家というように、イオリアの前で、居間の椅子に座り寛いでいた。
友人の名前はE・A・レイ。浅黄色の髪をした青年である。同じ研究者仲間であり、理論だけでなくイオリア自身を知る数少ない理解者であり、なによりチェスの好敵手であった。歳は離れていたが、お互い良き友人として、認めあっていた。イオリアが表舞台から去り、隠遁生活を始めた後も、事あるごとにレイはイオリアを訪ねた。その主な目的はイオリアを本土や研究所に戻るよう説得することだった。だが今となってはイオリアの指定した嗜好品を運ぶことや、チェスの相手をすることに落ち着いてしまった。
イオリアはレイに構わずに、変わらずモニタの前でキーボードを叩いていた。レイはといえば黙っていても茶は出ないと知っているのだろう、勝手に奥の台所へと向かう。カチリとスイッチを押す音が聞える。暫くしてシュンシュンとお湯の沸く音がする。毎日聞いている日常の音のはずなのに、どこか新鮮さを感じる。部屋の中に自分以外の人の気配がするだけでこんなにも変わるものかと、イオリアは改めて感じた。カチャカチャと音を立ててレイが運んできたトレイをテーブルの上に置いた。用意したトレイには湯の入ったポット、紅茶の茶葉、そしてカップが三つ。
―――カップが三つ?
「今日は客人が一人いるんだよ」
「何」
イオリアはレイが自分の許可なしに他人を読んだことに対して、眉をひそめた。だがレイはイオリアのそんな態度に意を介さない様子で、開け放されたドアに向かっておいでおいでというように手招きをした。
「見てくれ、イオリア」
「なんだね、それは…」
そこにはE・A・レイ瓜二つの少年が、立っていた。
特徴的な浅黄色の髪、十代半ばと思われる容姿、そしてなにより、神秘的な色をした紫の瞳。
イオリアが少年を指差し誰と聞かずに、『それ』と物扱いしたことに対して、レイは満足を覚え、にぃと笑った。
「『イノベイド』さ」
「完成させたのか」
驚きを隠さずに、まじまじと少年をイオリアは見つめた。
「君、基礎理論を書くだけ書いて、放って置いたじゃないか。まぁ、まだプロトタイプだけどね。いずれはこの子をベースにしようと考えている。中々の出来だと思うのだけど。一度実物を見てもらおうと思って。メール、届いてなかったかな」
何でもないというように、レイは淡々と語り、ポットからカップへ紅茶を三等分に分ける。そのうちの一つのカップをソーサーに乗せ、少年に持たせてイオリアに差し出させた。イオリアは少年から黙ってそれを受け取った。
「その顔は」
「僕の遺伝子データを元にしている。どうだ、可愛いだろう。学生時代の僕を思い出すかい」
たしかにイオリアは大学時代のレイを知っている。初めて研究室で出会った時、彼はたしか一七歳の少年であったはずだ。世の中の天才の例に違わず、レイも飛び級で大学に入学した者の一人だった。そうだ。その時の彼にそっくりなのだ。
「悪趣味だ……」
「はははは。君の考えている事と比べたら、よほどましだよ」
イオリアははぁ、と深いため息をついてみせたが、レイはただ笑うばかりだ。
「あとはうちの研究員の遺伝子データを元に、いくつかモデルを造ってみるつもりだけど。どうなるかはわからないな。今のところヴェーダの外部端末扱いだけれどね。後々にはもっと機能を拡張させるよ。デザインは女性社員に喜ばれている。可愛いってさ」
「まったく」
冷めかけた紅茶を啜る。ちらと少年の顔を見ると、たしかに顔は整っているが、どうにも無表情である。人形じみた雰囲気が凄味を与えていたのかもしれない。
そんなものしか愛と知らずと僕は苦笑う
楽園
「おいで」
声を掛けられて浅黄色の髪の少年は振り向いた。そこには年恰好こそ違うが、少年と瓜二つの青年がいた。親子よりも、兄弟よりも、さらに近しい存在。窓を背にして大きなソファに座る青年の前に、少年は立った。逆光のせいか、男の表情は読み取る事が出来ない。
「お前に名前を与えよう。お前の名前はリボンズ。リボンズ・アルマークだ」
「リボンズ」
少年は与えられた名を繰り返した。
「そう、リボンズ。君は、いや、いずれは君たちになるのかな……。まぁいい。君は僕達人類の希望だよ。有能な人間がいたら素直に学びなさい。従うべき人間には頭を下げなさい。愚かな人間には、蔑むことなく優しくありなさい。正しい道を歩む人間は静かに見守りなさい。もし道を違えようとする人があれば、正しい方向に進むように導きなさい。いいね。僕達の希望、僕達の理想、そして僕達の可能性。お前にはそれが出来る。そうであるように僕が造った」
男はリボンズを見つめ、頬をなでた。
「リボンズ。可愛い息子よ。人類をより良い方向へと導く天使よ。そして……僕達を地球に繋ぎとめる最後の枷よ」
* * *
ザ、ザザ……ザザン……。
所は地中海のとある孤島である。島には屋敷が一件しかない。例に漏れず、この屋敷の壁も白く石灰で塗られていた。この文明の発達した二一〇〇年も目前と迫った時代に、本土に行く方法は船のみであるという、文字通りの孤島だった。周りは崖で囲まれ、一カ所だけ入り江があり、そこに小さな船着き場があった。屋敷は以前資産家の別荘だったらしく部屋数だけは多かったが、使用している部屋は数えるほどだ。住んでいる人物はといえば、偏屈な老人ではなく、まだ壮年の部類に入るだろう一人の男だった。
男の名前はイオリア・シュヘンベルグ。
天才の名をほしいままにし、科学技術分野では彼の名前を知らぬ者などいない。実用化こそしていないが、半永久機関の基礎理論や、量子演算処理システムの発明や、軌道エレベーター建造、それに伴う太陽光発電システム等々あげたらきりがない。現代のレオナルド・ダ・ヴィンチといっても過言ではないだろう。しかし論文こそ発表しても学会や人前にはほとんど露出せずに、その生活のほとんどをこの孤島の屋敷で過ごしていた。厭世家なのだとか、極度の人間嫌いなのだとか、人々は勝手に噂し合っていたが誰も本人に確認することはなく、真偽のほどはわからなかった。
波の音の間に低く唸るモーター音が響いた。
イオリアがモニタから顔をあげ海に面した窓を見やると、本土からこちらに向かって浪間に一筋の白い軌跡を残す一隻の小型クルーザーが見えた。友人の船だ。今から十五分もすればこの部屋にやってくるだろう。
イオリアはやってくる友人を迎えに出ることもなく、モニタに視線を戻した。
* * *
「やぁ」
「呼んでないぞ」
「酷いな。いつも様子を見に来てくれる友達に向かって」
友人はイオリアの予想通り、十五分きっかりに玄関のチャイムを鳴らした。モニタを見れば見慣れた友人の顔。返事はしない。それでもイオリアがいることは分かっているのだろう。応答を待つことなく、友人は躊躇せずに玄関のドアを開けた。
そして勝手知ったる他人の家というように、イオリアの前で、居間の椅子に座り寛いでいた。
友人の名前はE・A・レイ。浅黄色の髪をした青年である。同じ研究者仲間であり、理論だけでなくイオリア自身を知る数少ない理解者であり、なによりチェスの好敵手であった。歳は離れていたが、お互い良き友人として、認めあっていた。イオリアが表舞台から去り、隠遁生活を始めた後も、事あるごとにレイはイオリアを訪ねた。その主な目的はイオリアを本土や研究所に戻るよう説得することだった。だが今となってはイオリアの指定した嗜好品を運ぶことや、チェスの相手をすることに落ち着いてしまった。
イオリアはレイに構わずに、変わらずモニタの前でキーボードを叩いていた。レイはといえば黙っていても茶は出ないと知っているのだろう、勝手に奥の台所へと向かう。カチリとスイッチを押す音が聞える。暫くしてシュンシュンとお湯の沸く音がする。毎日聞いている日常の音のはずなのに、どこか新鮮さを感じる。部屋の中に自分以外の人の気配がするだけでこんなにも変わるものかと、イオリアは改めて感じた。カチャカチャと音を立ててレイが運んできたトレイをテーブルの上に置いた。用意したトレイには湯の入ったポット、紅茶の茶葉、そしてカップが三つ。
―――カップが三つ?
「今日は客人が一人いるんだよ」
「何」
イオリアはレイが自分の許可なしに他人を読んだことに対して、眉をひそめた。だがレイはイオリアのそんな態度に意を介さない様子で、開け放されたドアに向かっておいでおいでというように手招きをした。
「見てくれ、イオリア」
「なんだね、それは…」
そこにはE・A・レイ瓜二つの少年が、立っていた。
特徴的な浅黄色の髪、十代半ばと思われる容姿、そしてなにより、神秘的な色をした紫の瞳。
イオリアが少年を指差し誰と聞かずに、『それ』と物扱いしたことに対して、レイは満足を覚え、にぃと笑った。
「『イノベイド』さ」
「完成させたのか」
驚きを隠さずに、まじまじと少年をイオリアは見つめた。
「君、基礎理論を書くだけ書いて、放って置いたじゃないか。まぁ、まだプロトタイプだけどね。いずれはこの子をベースにしようと考えている。中々の出来だと思うのだけど。一度実物を見てもらおうと思って。メール、届いてなかったかな」
何でもないというように、レイは淡々と語り、ポットからカップへ紅茶を三等分に分ける。そのうちの一つのカップをソーサーに乗せ、少年に持たせてイオリアに差し出させた。イオリアは少年から黙ってそれを受け取った。
「その顔は」
「僕の遺伝子データを元にしている。どうだ、可愛いだろう。学生時代の僕を思い出すかい」
たしかにイオリアは大学時代のレイを知っている。初めて研究室で出会った時、彼はたしか一七歳の少年であったはずだ。世の中の天才の例に違わず、レイも飛び級で大学に入学した者の一人だった。そうだ。その時の彼にそっくりなのだ。
「悪趣味だ……」
「はははは。君の考えている事と比べたら、よほどましだよ」
イオリアははぁ、と深いため息をついてみせたが、レイはただ笑うばかりだ。
「あとはうちの研究員の遺伝子データを元に、いくつかモデルを造ってみるつもりだけど。どうなるかはわからないな。今のところヴェーダの外部端末扱いだけれどね。後々にはもっと機能を拡張させるよ。デザインは女性社員に喜ばれている。可愛いってさ」
「まったく」
冷めかけた紅茶を啜る。ちらと少年の顔を見ると、たしかに顔は整っているが、どうにも無表情である。人形じみた雰囲気が凄味を与えていたのかもしれない。