獣のようにもう一度
じゃあ帰るか、と栄口は引き下がり、部室の鍵を手で弄ぶ。少し寂しいような残念なような。オレもまたバッグを肩に掛け、栄口の後ろに並んだ。
「なんでさ、突然そんな……」
「うーん」
靴を履く前に戸口でそんな質問をしたら栄口はかがんだ体勢から背を伸ばし、しばらく考え込んでしまった。
「オレ、水谷に汚されたい」
「へ?」
「水谷が口でしてくれるのはオレを汚したくないからだろ?」
ずっと心の中にあった信念をずばりと見破られてたじろぐ。オレが野生と獣性を出して栄口を汚してしまったとしよう。そのあとの自分は栄口にどう映るのだろう。嫌悪感を示されることに常に恐怖が付きまとっていたから、それならいっそ汚れるのはオレだけでいいって思ってた。栄口のほうに負い目があるのならきっとオレは捨てられないだろうという浅はかな考えもあった。
「気にしないで汚せばいいんだよ」
「そんなの無理に決まってるだろぉ」
すべてをさらけ出せるくらいの度胸もなく、そうしたところでハッピーエンドになる保障もない。
オレにとって両思いは片思いよりよっぽど難しい。どうでもいい奴から嫌いな奴になるのと、好きな奴が嫌いな奴になっちゃうのでは、突き落とされる崖の高さが違ってくるだろう。なるべくダメージは小さく、リスクは低くしたいのに、栄口はオレをかついでどんどん高くへ追い詰めていく。
「二人で汚し合って二人で片付けよう?」
「栄口はオレに何されるかわかって言ってんの?」
「大体は。だからオレはそれを受け止めたいって思う」
「本当に?」
「オレだって一応水谷が好きなんだし」
そういうふうに簡単に笑い飛ばされたから、オレは何かを信じてしまう。その行く先を塞ぐかたちで腕を伸ばし、部室の内鍵をしめた。ガチャリという金属音が胸に響いて、なにかとんでもないことをしでかしてしまったような気分になる。
栄口は本当にオレを受け止めてくれるのかな、汚してしまっても嫌わないでいてくれるかな。
焦る気持ちに上目遣いで隣の相手の様子を伺うと、栄口はオレの瞳の色をじっと確かめ、きれいな動作で部室の電気を消してしまった。それが答えだった。
しかし『汚されたい』なんてすごい誘い文句だなぁ。オレが思うよりずっと、栄口はオレのことを愛してくれているのかもしれない。そう自惚れるとほてった頬から血が登り、眼がじわりと熱っぽくなる。
薄汚れた畳に立ち尽くし、どこか砂っぽい空気を飲み込むと決意が強さを増す。外のぼんやりとした光に煽られ、暗い部室の中からでも窓ガラスがずいぶん濁っているのがよく見て取れた。