鈍色に暮れる
ぎゃんぎゃん騒がしく言い争いながら帝人は走る。目指すは己の借家、鍵をかければ青葉も入ってこれないだろうと踏んだのだ。鉄製の階段を踏む甲高い音がする。ドアを開いて、すぐに閉めようと体に向かって引いた。
「っ、させませんよ!」
手をかけて無理に体をねじ込むと、勢いでドアから手を離した帝人はもんどりうって畳に倒れた。青葉はとっくに中に入っていて、ああこれでは逃げられないなと溜息を吐く。まあいいか、この場所にはからかってくる狩沢さんもいないことだし、いくら恥ずかしかったとはいえ急に逃げて青葉くんには悪いことしたかもしれない、狩沢さんには誤解されたかもしれない。つらつらととりとめのないことを考える。
ただひとつ不可解だったのは。
「どうして、あんなこと言うの」
憮然としたように言う帝人は畳の上にしどけなく座り、青葉を見上げている。ふと、青葉の影が揺れた。とん、と腰を下ろす。膝立ちで、帝人に向かって縋るように手を伸ばした。
やがてぽつり、と声が落ちる。
「……嘘ですよ」
「青葉君?」
「先輩を好きなんて嘘です。嫌いです。大嫌いです。でも外でそんなこと言ってたら先輩と接触できないでしょう?それは困ります。だから好きだって言うんです。演技なんです」
全部全部嘘っぱちなんですと青葉は言う。そのくせ表情をなくしたまま近づいてくる。
帝人が反応できていないのをいいことに細い指が輪郭をなぞり、髪を撫で、背中に手を回す。抱きつくように凭れかかる。
「俺は先輩のこと、嫌いですよ。大嫌いです。憎いくらいあります。だって俺の手をこんなに傷つけた人なんだもの」
「……ごめん」
「なんで謝るんですか?先輩が謝る必要なんて何処にも無いんですよ。だってこれはただの報復だし、謝られても俺が先輩を嫌いなことに変わりはありませんし」
青葉は帝人の肩口に顔を埋めるようにして目を閉じた。甘えているような態度。仔猫のようだ、と帝人は頭の隅で考えた。
「嫌い嫌い大嫌いです。先輩なんて」
ぎゅうぎゅう青葉は帝人を抱き締める。隙間に何も入れないようにぴったりと体をくっつける。そのままの体勢で「嫌い」だとか「憎い」だとかを壊れたレコードみたいに延々繰り返していた。
だから帝人はただ一言、「知ってる」とだけ言って黙るしかない。
おさない頬にほろりと涙が零れたことを、帝人は知る由もなかった。