骨に刻んだ約束の証
目を開けると知らない天井だった。此処は何処だ、とやや呆けた頭で考えていると、意識が覚醒していく内に己がどういう状態にあるかを思い出す。
――ああそうか、刺されたんだっけ
その割りに痛みが無いという事は鎮痛剤か何かで抑え込まれているのだろう、痛まない為に下腹に巻かれた包帯が空々しく思えた。近くにあった鞄から出した携帯電話の示す日時の方が余程に現実的で、帝人が最も信頼している機器の1つが言う事には、あれから丸1日経過しているらしい。もしやと着信履歴を確認すれば案の定、幼馴染の名で埋め尽くされていた。無事ではなかったが生存報告はしなければならない、しかし現状がよく分からないので連絡しても説明の仕様が無い。ならば兎にも角にも状況確認をしようと布団を出て扉の方へ歩く。
――あれ……?
1歩踏み出したその時、違和感を覚えた。何と言うか、歩き辛い。鎮痛剤の所為で感覚がおかしくなっているのかと首を傾げ、転ばない様に注意しながら部屋を出た。どうやら岸谷家にいるらしい、廊下には見覚えがある。住人は居間だろうかと其方へ向かったのだが、扉を開けたと同時に閉めたくなった。
扉を開けると其処は修羅場だった。
セルティが新羅の首を締め上げていて、それを昨日助けてくれた少女が止めようとしている。昼メロとも思えたがセルティに並々ならぬ想いを寄せている新羅が浮気するとは思えず、ならどういう経緯だと考えようとして、止めた。何にしても関わりたくない。熱が冷めるまで寝た振りでもしていようと踵を返したところで、帝人に気付いたセルティが新羅を放り出して抱き付いてくる。首無し妖精と交友が出来るのは非日常なので歓迎したいが、たとえ友情や親愛であっても抱擁されている事実があるだけで新羅が恐ろしいので拒否せざるを得ない。
『聞いてくれ! 美香の惚れた相手が惚れたのが私の『首』で、美香がそいつを追い掛ける為に私と同じ顔に整形したところまでは良いんだが執刀したのが新羅だったんだ!!』
どうにか彼女の腕から逃れようともがきつつ、半ば一方的に知らされた修羅場までの経緯はやはり心底から関わりたくない内容だったので更に深い理由を問う気にはならない。新羅はセルティが関わっただけでどうしてこうも暴走するのだろうと隠しもせず嘆息する。
「セルティさん、その新羅さんに殺されたくないので放して下さい」
「いや、いくら僕でも今の君が相手だと微妙だね」
ところがその元凶から思わぬ言葉が投げられた。驚愕して発言者へ顔を向ければ、彼はソファに座り直してヘラヘラと笑っている。
「身体に違和感は無いかな?」
とてつもなく嫌な予感はしたが、現状を確認しに修羅場へ来ざるを得なくなったのに現状から逃げては本末転倒だ。1つ息を吐いて、帝人も新羅の向に座った。
「こっちが男性の骨格、こっちが女性の」
ローテーブルの並べられた2つの小さな骨格標本には確かに性差がある。男性より女性の方が華奢な造りになっているのは当然として全体的に男性は凹凸があり、女性は丸い。頭蓋骨にそれと同じ事が言え、肋骨は男性のそれが茶筒状であるのに比べ女性のそれは腰へ近付く程に狭くなっている。何より骨盤の形がどの部位よりも際立って異なっていた。
「で、これが君の」
新たに置かれたレントゲン写真は右腰骨に紋の様な痕があり、そして華奢と言えるか否かは分からないが女性の方の骨格に近い。
「嘘だと思うならウェストを見てみれば良い。位置が高くなって細くなってる筈だよ」
違和感の正体はこれか、と服の上から腰骨に触れる。肉付きが悪い為に骨の変化は何となく知れた。卓上の標本と写真を見比べて、一度顔を上げる。
「……元に戻らないんですか? 歩き辛くて」
「歩き辛い以前の問題だと思うけど。まあこういった事はセルティの方が詳しいんじゃないかな」
『すまないが管轄外だ』
そうですか、と卓上に視線を戻す。
1日寝込んだだけで済んだという事は骨以外に損傷や変化は無いのだろう。しかしこれ以上斬られてはどうなるか分からない、否、何となく予想が出来てしまう故に分かりたくない。更には歩き辛い、即ち多かれ少なかれ行動制限が生じてしまっている。今後の為に改めて対策を練らなければならないのは明らかだ。さて先ず何をすべきか、と考えていると美香に肩を叩かれた。
「あのさ、私、来良学園の入試で帝人君の隣の席だったんだけど」
だから名前を知っていたのか、と納得しながら相槌を打つ。
「もしかして受かった? 通うのは来良?」
「え、まあ……」
質問に肯定した途端に重苦しい溜息を吐かれた。祝われても良いだろうにこの反応、美香が落ちたのかとも考えるがそれなら受験時の話を持ち出してくるには抵抗があるだろう。落ちた様子も抵抗を感じている様子も無い、美香は恐らく合格していて帝人と同じく来良学園へ通うのだろう。同校に通う事に何か不都合がある、もしくは帝人が来良学園に通う事に不都合がある様だが思い当たる節が無い。首を傾げると美香は重々しく口を開いた。
「罪歌が取り憑いてる娘、園原杏里ちゃんっていうんだけど」
帝人は罪歌に乗っ取られている彼女しか知らないが普段は別人の様に、実際的にも別人格なのだが、控えめで自己主張に消極的な性格らしい。ただ罪歌との遭遇を避ける為に彼女とも接触をすべきではないと考えた帝人にとって、それが事実か否かは知り得ない事になるだろう、なれば良かったのである。
「杏里ちゃんも来良に通うの」
思考し続けていた帝人の脳が停止した。セルティが慌ててPDAを向けてくるが視覚情報を拾えない。美香が何か言っているが聴覚情報を拾えない。ピタリ、と何かが額へ触れたが触覚情報も拾えない。
次いで額に走ったドン、という衝撃に帝人は再び眠りに落ちた。
目が覚めて後、幼馴染から着信があり説明に一悶着、セルティから一方的に契約され嫉んだ新羅が暴走して一悶着、迎えに来た幼馴染が住人である都市伝説に驚き騒いで一悶着、幼馴染が口を滑らせてセルティに住居が発覚して一悶着、と明日を迎えるまでに忙しなく騒動が起こるのだが、どれもこれも入学後の波乱に比べれば可愛いものでしかない。
それを帝人が思い知るのは少し先の話である。