鷹の人1
老人は日頃から正しい国の姿など、どこにもない、と自嘲気味に呟いていた。それに対してペレアスが問えば、「民が死んでいる。民は、それだけで国なのだ」そう答えた。それから、あまり老人はその話をしなくなったが、ペレアスはその事について自分なりに考えていた。その考えを助けるような書物は、膨大な程に蔵書されていた。老人の素性は結局わからなかったが、わからなくてもよい、と思っていた。
考えてみれば、それら老人の趣味でしかなかった教育が、玉座についてから役に立ってくれた。まさかこのような可能性を彼が想定していた、とは考えにくい。が、少なくとも人材不足であるデインにおいて、国の内部だけでも破綻させないでこれたのは、あの老人の授けてくれた知恵のお陰だった。
過去を振り返る、などという余裕はこの一年半ほどはなかった。状況に追いつこうと必死だった。力がない。器ではない。だがそれでも、王でなければならない。
そして、もう一つ。精霊との契約にまつわる記憶より、あるいはこの数年感忌避しつづけた記憶と向き合わなくば、自分は戦場に立つ事など、出来ない。
それは恐れであり、怯えであり、絶望であり、逃げつづけて来たものだった。デイン王遺児、などといわれ、舞い上がり、すっかり記憶の隅に留めておいたもの。
一度、ミカヤに触れられたことのある記憶だった。だが、あのときは、全てを吐く事はなく、だからこそあえて思い出さずにいた。
だが今の自分ならば向き合える。理屈ではない、妙な確信をペレアスは持っていた。絶望に対峙すればこそ、逆に強くもなれるのだろうか。遅すぎた、とは思う。だが、それをしないよりも、ずっと良い、とも思う。
見上げる空は、灰色から闇へと、徐々にその明るさを失って行く。兵士達をねぎらい、充分な食料と酒を与えよう。この場を凌げば、或いは、か細い希望の光は見えてくるのだから。
ペレアスは踵をかえす。暖をとってはいない部屋は、寒い。それでも、風雪に直接晒されているよりは、あたたかい。