鷹の人2
ラグズ奴隷解放軍の首領である少年は、鷺の民を奇跡の種族だ、と、彼なりの言葉で讃えていた。そして、ミカヤが伴っていた、白鷺の王子ラフィエル。何故、あの時気付かなかったのだろう。半獣など、というデイン人であれば誰しも少なかれもつ差別的な感情が、彼らの姿を歪ませて目に映していた。そう、考えるしかあるまい。
ミカヤの力は、鷺の種族のそれに酷似している。人を癒し、人の心を安らがせる。その姿を見ただけで、安堵する。
印付き。ラグズと同様に、言う程に恐れるような者ではないのだろう。ただ、人とどこか違う。ベオクとどこか違う。周りに当たり前のように存在している日常の範囲内のものと、いささか異なる。その違和感が、恐怖になる。
そのことを、ペレアスもまた己の身をもってよくよく理解していた。
だが、同時に思うのだ。ミカヤの、人心を安定させ魅了する力は、おそらくそのようなベオクとラグズの両種族の間に横たわっている深い深い溝のような差別的感情も、吹き飛ばす事が出来るのではないか、と。
用意されたとはいえ、日頃から特別扱いを嫌うペレアスの意を側近が理解してるため、他の将校と何ら変わりのない殺風景な部屋を、退出する。明かりをともした燭台は、廊下に掛けておく。
初歩の魔道とはいえ、使うものにはそれなりの代償を必要とする事に変わりない。魔道書を介さぬかわり、こういった手合いの魔道は、直接本人の精神に影響を及ぼす。ゆえに、消える事のない光を用いるのは、このような非常時に限られていた。
手には馴染んだ魔道書と、ノクス付近の地形を記した地図。そして馴染まないー馴染みようがなかった指揮杖。
様々な事を考えるだけは考えてみた。やれる事もやった。立ち止まっている暇などは、もうない。ミカヤたちに全てを告白したのが、数ヶ月前のような気もする。その間、殆ど眠ってはいない。死ぬ気になれば、恐れというものは自ずと遠ざかるのだという実感を、今まさに抱いている。
今回ばかりは、総指揮はタウロニオに任せるつもりだった。
ミカヤの体力が限界だ。彼女は、ただ、戦場にあるだけでよい。彼女にはひたとよりそう弟のサザや常に従う狼の民であるオルグもいる。ミカヤの事は、彼らに任せておけばよいだろう。
それに、ミカヤに付き従うものは他にも居た。先ほどの戦闘の直後に合力を願い出て来た二人のラグズ。癒しの術をその身に秘める、白鷺王子ラフィエルとハタリの女王であり同時に屈強の戦士でもあるニケ。
それでも彼女を戦場に出す事には変わらないーーその事を、ペレアスは自嘲するつもりはなかった。ミカヤにもまた、覚悟があるのだ。
静かな、灯だけがこうこうと輝く廊下を歩む。あれほどにざわついていた夕刻とは違い、兵達の気配はあまりない。彼らは既に、各自待機しているのだろう。あの時、ノクスが瓦解しかけた時の混乱がまるで嘘のようだ。やはり、この軍は強い。この結束力は、それだけで、力だ。そしてこの結束力は、ひとえにミカヤの存在があるからこそのものだった。
冷たい音を響かせて、長い廊下を歩き、やがて辿り着いたノクス城中心部。無骨な大広間の扉を開けた。
既にそこにはタウロニオとミカヤ、サザがいた。ハタリの女王やラフィエル、オルグの姿もある。他には、ペレアスのもう一人の側近でもある男、それからゴルドアの竜王子とアムリタ。そしてミカヤ直属部隊でもある暁の団からはノイス。それで、この場にいる者は全てだった
入って来たペレアスを認め、その手に携えたものに気がついたミカヤとタウロニオが、それぞれ違う反応で驚きを見せる。ミカヤはむしろ、漆黒の背表紙の魔道書に不安を覚えたらしかった。
中央にある質素な机の上に置かれた燭台に灯されたのは魔道の光を応用したものだろう。揺れる事もなく、そして、こうこうと広い部屋を照らし出している。
ペレアスは魔道書と地図を机上に置き、指揮杖を一度握る。己の立場。言うべき事。なすべきこと。頭の整理をした。そして、指揮杖も卓の上に重ねて,置いた。