鷹の人3
彼が纏めてくれた情報によれば、やはりベグニオンの、その圧倒的な数を誇る民衆の支持は、サナキにある。今回の内乱も、その現れだ。
しかし政を行っているのは元老院であり、何より各地に点在する神殿もまた、彼らには逆らわない。何故ならば、逆らわぬ事でその利のおこぼれを手にし、かわりに熱心な信者の寄進を元老院議員の袖の下に包む、といった具合である。当然ながら彼らは私利私欲のため、暴政を敷き、他国に対しても高圧的な外交を当然とばかりになしてきた。民や神使の意志などは、あってないようなものだ。
形式としては絶対的な王を戴き、その下に元老院、貴族、司教、そして民衆というまさにデインのそれと同一の様相を呈しながら、しかし、ベグニオンという国は、国としての土台が最早腐りきっていた。
切れ者と噂の宰相セフェランも、何やら不穏な動きばかりしている。トメナミは、あの若き宰相こそ、気を許してはならないのだ、とペレアスに直接書をしたためてきたこともある。
それでもベグニオンは大国には他ならない。その力も、決して侮れない。そして、その中で、神使の権力というのは、あってないようなものである。あれほど巨大な国ともなれば、その国の構造を変えることは難しかろう。その事はペレアスも十二分に承知していたが、それでも神使の不甲斐なさには憤りすら感じる。宰相と神使の名を持ってすれば、多少の強引な改革も可能であろうに。それに、ペレアス自身は神使を信頼などしてはいない。査察の折も、一度は宰相をよこすなどと言っておきながら、結局直前になりガドゥス公がよこされた。国境侵犯に関しても、具体的な接触をもってきたのは、この、切迫した状況になって初めてだ。
「……元老院とは別の思惑が、あるいは動いているか…?」
ペレアスの呟きに、間者と入れ違いに戻って来た側近の青年と、フリーダ、タウロニオが同時に反応を示す。それを知ってか知らずか、ペレアスはしばし考え込んでいた。
あの間者の口ぶりからすれば、こちらの返書は、神使には届いていないということになる。その使からは未だ連絡もなく、帰還もしていない。
元老院の間者により消されたのかと思い、神使が国境を越えたとの報が入ってから、二人目を派遣したが、こちらも戻ってはいない。二人目は「草」を使った。確実性を増す為だ。だが、彼も未だ消息不明である。「草」とは、王家直属ながらも独自で判断し、徹底した働きをする諜報組織の便宜上の名称だった。彼らが何故王家に忠節を誓うのか、それはペレアスもわからない。
「早急に『草』を放ち、あの者の追え。決して、殺さぬよう…殺されぬようにとな。阻むものは、元老院以外のものかもしれない」
側近の青年にペレアスは告げた。青年は黙って頷き、退出する。
ペレアスの囁きを聞いたのは、フリーダとタウロニオの二名だった。タウロニオはだが、既にあてがわれた席についている。
フリーダは、己の席につきながら、主君の言葉の意を探っていた。生かし放った間者は、いずれにせよこちらと接触したもの。元老院にとって、デインと神使が接触したというその事実だけでもまず恐ろしい筈だ。さて、どう動くのか。
仮に元老院側に勘付かれたとて、現にデインは皇帝軍の国境越えを阻止すべく、軍を展開している最中。呪いを発動させれば、彼らは自分で自分の首を絞める事になる。デイン軍が崩壊すれば、阻む者のなくなった皇帝軍は、この砦の兵糧を奪いそのまま帝都になだれ込むであろう。
更に、すぐさま呪いを発動すれば、こちらは元老院に逆らわぬ理由がなくなる。
そうなったら最後、おそらくペレアスは神使に、元老院により罠に嵌められた事実を直訴するだろう。それでは全てが無に帰す。気がついておらぬ場合は、考慮するまででもない。
フリーダは改めて、この若き主君の聡明さに頭が下がる思いだった。そして、そのような主君に、間違いを犯させた事を悔いた。
我らが、当初よりこの方のお側近くにあり、その心よりの信頼を得ていたのなら……フリーダは、王都解放前のペレアスの言葉を思い出していた。あのとき、確かに感じたのだ。この王があればこそ、デインは生まれ変わる事が出来るのだ,と。
それを、この王にさせなかったのは、そして他ならぬ自分たちなのだと、フリーダは薄い唇を噛み締める。血の味が、舌に滲んだ。