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鷹の人4

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「ぶしつけで悪いのだが、少し良いか、デイン王。この場を借りて、まず、そなたらに伝えねばならぬと思った事がある」
 沈黙を保っていたハタリの女王が、豊かな銀毛の尾を揺らしながら、進み出た。その鋭い隻眼は、先ほどからじっとペレアスを見据えている。或いは、数日前の己ならば、このような視線に耐えうる事適わなかっただろう、と、ペレアスはどこか他人事のように感じていた。
「我らラグズの、ベオクとの違いというものについて、説明しておいたほうがよいだろうと思ってな」
 ベオクとラグズの種族差に関しては、ペレアスはある程度は書物で読み、ミカヤやトパック、ムワリムなどから聞いて知ってはいた。だが、詳細までは把握しきってはいない。
 王という立場である己ですらそうなのだ。この場にいる者は、ラグズと肩を並べ戦ったものばかりだが、正確な事を知っておくにこしたことはない。まして、共に戦場に立つというのであれば、尚更だ。
 ラグズ蔑視の風が強いデインにおいて、兵卒一人ひとりにまで認識を変えろというのは、無茶だった。それを変化させるには、大河の流れを変えるがごとく、長い長い時を経てゆかねばならない。
 それでも兵士たちは、恐れている「半獣」を前にしても、恐慌に陥る事なく、果敢に戦ってくれる。
 そのような中において、オルグの存在は、ミカヤ付きの奴隷という扱いで皆が納得をしていた。そういう納得の理由を作ったはペレアスだったが、ミカヤも、そしてオルグも、その事に対し、何ら不服を述べる事はなかった。
 デインという国で、ラグズがもし認められるとするならば、そうせざるをえないことを、二人ともよく理解していたのだ。
「わかりました。お願いします、ハタリの女王ニケ」
 わざわざ客人の申し出を断る理由はない。これから告げるつもりであった作戦とも関わりがあり、むしろラグズであるニケの口からの方が、説得力も増すだろう。
 ニケは鷹揚に頷くと、集う各々の様子を確認し、切り出した。
「我らラグズは、いわば、戦いに特化して来た種族、といっても良い。その精神の根底にあるものは、強い衝動だ。戦いを望む、欲望だ。それは本能のようなもの、と我らは認識している。もっともラフィエルのような鷺の民はまた別なのだがな」
 女王の視線が、すぐ背後に控える白翼の君にちらと向けられる。その、ほんの僅かな視線は、ひどく穏やかだった。ラフィエルに、何ら変化の兆しも見えない。銀細工のような、瞼を縁取る長いまつげがわずかにも動くことすらもなかった。このような、慣れぬ場であるというのに、落ち着いた態である。
 この二人は、夫婦でもあるという話は、ミカヤからペレアスも聞き知っていた。
「わかる気はします。鷺の民の方は、印象が…己を戦士と誇るガリアの民たちなどとは違う。そして、ラグズの特性のこと。クリミアの書物に記されておりました。戦いを始めれば、その衝動を止める事は非常に困難である、と。だからこそラグズは、悪戯に戦線を開くような真似は滅多にせぬ、とも」
「ほう。よく知っていたな」
 ニケが、腕を組んだまま隻眼を細めた。艶めいた豊かな唇の端があがり、黄金の瞳は照り返しを受け,獰猛さを際立たせている。それは獲物を前に舌なめずりをする狼そのものだ。
「以前訪れた折は、この国は変わっていないと感じた。だが、なるほど、デインの民はそなたのような王を選んだか」
 彼女の言葉はどこか皮肉めいていたが、己の所業が、他国の王からは嘲笑されてもしかるべきな愚行であることを、誰よりペレアスは認識していた。ニケの言葉が、だから腹が立つなどということはない。
「いかに我が国が反ラグズ思想に塗り固められているとはいえ、和睦を結ぶにせよ、戦を交えるにせよ、相手を知らずして臨むは愚かです。こと、我が国はあらゆる意味で三年もの間、閉ざされてきておりました」
「なるほど。それは道理だな」
 ただ放たれた言葉であろうとも、ラグズの王たるものの口から発せられるそれの、なんと威厳に満ちている事か。それでも、その事に動じずにあれるくらいには、ペレアスもなっていた。
「今、デイン王が言ったように、連中はおそらくこちらの目的が足止めと知っても、全力で戦うだろう。どちらかが滅びるまで、な」
「ラグズ兵たちは死を恐れることのない…それは、そのような性があったからなのですね。その性ゆえ、…全力で、戦いにくる」
 ミカヤがため息のような細い声で呟き、頭を垂れ、目を閉じた。はらりと、白銀の髪がゆれ、白い額に前髪がかかる。胸の前におかれた拳が、僅かに震えていた。
 すぐ背後に控えるサザが、ちらちらと姉に気遣わしげな視線を送っている。ノイスは、ニケの言葉に意を得たのか、姿勢は正したまま、小さく頷いた。フリーダやタウロニオも、同様だった。
「皇帝軍の大半を占めるガリア兵はその傾向が特に強い。彼らを率いる若獅子の君の気性がそれを助長もしよう」
 不安げな瞳のまま沈黙を守っているクルトナーガの表情が、わずかに動いた。
 俯きはしなかったが、両手を胸の前に握りしめ、薄い唇を頑に結び、眉根を寄せている。
「竜鱗族の力は強大だ。そして、その衝動……戦いたいという欲望を、最も強く秘めている。強大な力、相応にな」
「だ、大丈夫です!私は、大丈夫です。ペレアスがついていてくれますから」
 クルトナーガは、か細い声で、だが迷いなくニケの懸念を否定してみせた。
 あげられた顔に浮かぶ表情は、不安がない交ぜになりながら、その奥に意志を秘めたる事を感じさせるものだった。
「何、どういうことだ、竜王子よ」
 ニケの疑問に応えるように、ペレアスは卓上に置かれた魔道書を手にとってみせた。それを認めたミカヤの小さな唇が、何かを呟いた。
 漆黒色の、古びた背表紙と、記された古代文字。ハタリの女王には、その文字を読む事が出来る。
「私は闇の魔道を扱えます。その魔力の源たる精霊は、「負」の気に近い性質を持ち、また、好むのです」
「…噂だけは耳にしている。ベオクの秘術か」
 秘術。ラグズはそういう言い方をすることもある。呪術、などと文字通りの表現をするものの方が多い。
「それが、どうかしたか」
「ラグズが戦に呑まれるのは、その本質を助長させる戦場にただよう「負」の気が原因でもあるといいます。そこで私は考えました。それを、逆手に取る事が出来れば、平静さを保てるのでは、と」
 静かな声だった。だが、宣言するようなペレアスの言葉は強い意志を秘めている。何らかの確証を抱かねば、ここまでは言い切れまい。
『申し上げます,女王よ。先の戦いの折も、デイン王は私に力を授けました。お陰で、私は、冷静さを失う事なく、今、この場にいることができます』
 憶測ではないな。ニケがそう踏んだ、直後だった。影のごとくに暗がりにあったオルグが、半化身の姿のまま、主の側に寄り早口で告げてくる。
「ほう、我が側近で試した、というのか」
 顔をわずかに傾け、オルグとペレアスを交互に、値踏みするようなニケの口調は楽しそうだ、とラフィエルは思った。隻眼は、まるで若者のように輝いている。
作品名:鷹の人4 作家名:ひの