たとえばいつか哀しい空が 6-8
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ここにくると、こんな反応はいつものことだった。
青い軍服が行き交う大総統府を、前だけ見据えてエドワードは歩く。昔のように気軽に声をかけてくる人はほとんどいない。たいていは構えた態度をとるか、忌々しいという感情を目の奥に隠しているかどちらかだ。
それほど自分はイレギュラーだから。士官でも国家錬金術師でもない。軍服も着ずに、軍の施設をうろうろし大総統に何かよからぬことを吹き込んでいる――。そう思われていることは、無論自分でもよく分かっていた。
だから今までは、ここに寄り付こうとしなかった。
(だけど、もう逃げない)
あいつの側に自分が必要であることは、もうとうにわかっていたから。
カチャ 執務中であるだろう大総統の執務室を静かに開ける。扉の隙間から、レベッカ・カタリナ中尉の姿が見えた。コートを大総統に手渡している。
エドワードは部屋の中に入った。
「これから街中視察?」
レベッカとロイが揃ってエドワードを見る。
「あらエドワード君。そうよ、これから視察」
「俺も行っていい?」
おや、と言うような表情を浮かべてふたりはエドワードをもう一度見た。慌てて付け加える。
「護衛は多い方がいいだろ」
「それは…エドワード君がいてくれたら大助かりだけど」
レベッカは指を顎にあてて答えながら、大総統をちら、と見上げた。
ロイは何も言わず、コートを羽織りながら部屋を横切り入口まで歩いてくる。そして
「好きにしたまえ」
扉の前のエドワードとすれ違いざま、斜めに視線を残してそう答えた。
に、とエドワードは口角を上げて笑む。
「りょーかいっ」
ぴし、と敬礼の真似事をしてロイの背中を追いかけた。黒いロングコートが目の前ではためいている。あまり背丈の変わらなくなった今でも、ロイのその背中は凛とし、とても大きく見える。
ついて来いと、口に出さなくてもその背中が語っている。あの頃と変わらず。
「エドワード君、これ」
「?」
隣に追いついたレベッカに、白い手袋を渡された。
「大総統の手袋よ、持っていてくれない?」
そう言うレベッカの手にも、もう一組の手袋が握られていた。手の甲にあたる部分に錬成陣が描かれている。焔の錬金術を生み出すための発火布。
「ああ、分かった」
ぐ、大切に握り締めてエドワードは手袋をポケットにしまいこんだ。
焔の錬金術師にして大総統である彼。
彼はこの国に必要な男。
そして、自分にとって何よりも失えないひと。
(だから俺は――)
最後のその瞬間まで、この男の盾になる。
市街地に出ると、人通りも多くにぎわっていた。装飾のない車に乗って、大総統一行はゆったりと進む。後部座席でエドワードの隣に座る大総統は、カーテンのひかれた窓から外を眺めた。
「昔は良かったな。いくらでも街で動くことができた」
特に感情のこもってない口調でロイはそう漏らす。
「昔のことを言い出すのは、おやじの証拠だぜ?」
「…君と比べられるのは心外だな」
「だいたい、あんたは情報収集と称して女遊びしてただけだろ」
「情報が得られて女性にサービスもできるのだから、素晴らしいことではないかね?」
「俺にはできねぇけどな」
「君が旅をするのと同じようなものだ」
ロイは目を伏せて微笑った。
エドワードは視界の片隅にその笑みをとらえて、そんなもんかねぇ、と呟く。
分かっている。自分のような根無し草ではいられなかったから、彼は。自分の見えないところで何が起こっているのか知る術を求めるのは当然で、それは今でも変わらない。
(今も色んな方法で情報を買ってるんだろうな)
ちら、と隣の男を見た。エドワードの視線に気付いているのかどうか、彼はそ知らぬ顔でカーテンの向こうを覗き見ている。
自分がこうして地方の実情を彼に逐一報告するように、他にもきっとたくさんいるのだ。彼に協力し、彼も頼っている人物が。
それはこの男には必要なことだ。
複雑な心境に気付かないようにして、エドワードは自分に言い聞かせた。
その時。
「止まりますっ!」
レベッカの声が響き、車が急に止まった。反動で身体が前のめりになる。前席のシートにしがみついてエドワードは叫んだ。
「どうした!」
「すみません。子どもが…っ」
車の前方を見ると、地面に膝をついてしゃがみこんでいる小さな女の子の姿が見えた。
エドワードは即座に車を飛び出す。
「おい!車から出るなよ!」
窓の外からロイにそう言い置いて、女の子に駆け寄った。
「大丈夫か!?」
しゃがみこんでいる女の子を覗き込む。
「う、うん…」
膝をすりむいているが他に外傷はないようだった。
「転んじゃったの…ごめんなさい」
目に涙を浮かべて女の子がエドワードを見上げる。素直な瞳だった。
「いや…無事ならよかったよ。ほら」
エドワードは女の子を抱え上げて立たせる。地面に落ちていた巾着袋を拾おうとした。
「エドワード君っ!!」
レベッカの声が耳に届いたのと同時に、シュッと風を切る音に、反射的にエドワードは身をそらせた。
ザクッ。無機質な音をたてて、小刀が地面に突き刺さった。飛んできたその力を物語るように、小刀の鞘がビィンと振るえて止まった。
「っんだぁ!?」
エドワードは瞬時に身構える。首から熱いものがつたっているのを感じる。掠めたか。
どこからだ?
凶器が飛んできたと推測される場所を注意深くみやる。そうしている間にもう一本小刀が飛んでくる。その向こうに黒い影。
「そこかぁっ!」
キィンッ、と右手で小刀を叩き落として、エドワードは影に向かって距離を縮める。
「エドワード君!」
レベッカは銃を構えてエドワードの背中に声をかける。しかしすぐに建物の向こうにその姿は消えてしまう。レベッカは大総統の傍を離れることができない。
「中尉、彼は大丈夫だ。それより少女を保護してやれ」
ロイが手袋をはめながら車を出てくる。
「はい」
気を取り直してレベッカは少女の下へ視線をやった。
突然のことに目を丸くして立っている少女へ声をかける。
「あなた、大丈夫?お母さんは?」
「ひ、ひとりでおつかいに来たの…」
「そう、おうちはこの近くかしら?」
レベッカの声を聞きながら、ロイは地面に突き刺さったままだった小刀を引き抜く。このあたりでは見ない形のものだ。
「……」
ロイは小刀をハンカチで包んでポケットに入れた。
「中尉、その子を家まで送ってやろう。車に乗せてあげたまえ」
「あ、はい」
「ち、見失った」
エドワードも周囲に目を配りながら戻ってくる。
「ったく、すばしっこいやつだな」
「深追いはしなくていい。戻るぞ」
「ああ…」
「エドワード君も車に乗って」
そう言ってレベッカはドアに手をかける。
「君は家まで道案内できるかい?」
ロイは女の子に声をかけ、手を差し伸べた。
「うん」
少女は微かに笑ってロイの手をとる。
エドワードは後ろから、車に近づいていく。
キラ、視界の左端で何かが光を反射した。
「…ロイ!!!」
刀を持った黒い影が、一瞬でロイと向かい合う女の子の背後に回りこんだ。そのまま刀で突きの構えをとる。
「!」
ロイは息をつく暇もなく渾身の力を込めて少女の手を脇に引っ張った。刀が閃く。一直線に、一分の乱れもなく貫いた。
作品名:たとえばいつか哀しい空が 6-8 作家名:吉野ステラ