たとえばいつか哀しい空が 6-8
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あいつを護りたいと思った。
やっと隣で歩く決意をした。
なのになんで
俺の手は今あいつの血で染まっているんだ。
軍属の総合病院の一室。賊に刺されて極秘裏に運び込まれたロイ・マスタング大総統は、無事に手術も済んで麻酔によって静かに眠りについていた。
ベッドの隣に座って、エドワードは自身の手のひらを眺めてはその震えを抑えるように握りこむ。
「くそ…っ」
出血量は多かったが急所はぎりぎり外れていて、幸い命に別条はなかった。躊躇のない刀の一糸乱れぬ突きのお陰で逆にロイは命を拾ったようなものだ。しかし
元々が健康な身体であれば、の話だ。
ロイの身体は病に蝕まれている。
以前よりも抵抗力が落ち、体力も低下してきている。そんな身体でこの傷は
(致命傷だ…)
エドワードはロイの顔を見つめた。憔悴した目元、痩せた頬。
いやだいやだいやだいやだ。
俺はこいつを失くしたくない。
絶対失くせない。いやだ。いなくなるなんて。いやだいやだ。
怖い。
不安が胸の奥からじわじわと染み込んでくる。絶望感に全身が覆われそうになって、いてもたってもいられず立ち上がった。
「エドワード君?」
突如背後から声をかけられた。誰かが入室したことすら気付かなかったエドワードは緊張した面持ちで即座に振り返る。
そこにはプラチナブロンドの、凛々しい目つきをした女性が立っていた。
「ホークアイ少佐…」
その顔を見た途端、安心と懐かしさで目元が潤みそうになった。それを必死に堪えながらぎこちなく微笑んだ。
かつて常にロイの側にいて彼を守り彼を叱咤し、そして彼を愛していた有能な副官。リザ・ホークアイ。副官を解任され少佐として執務をこなす現在も、彼女の目に浮かぶロイに対する敬愛の色は全く色あせていなかった。
「少佐、ごめん…」
「どうして謝るの?」
「ロイを、こんな目に遭わせちまった」
うつむいて答えた。彼女には合わす顔がない。誰よりも彼女がロイを守りたいはずなのに。
(俺は…何もできなかった)
「エドワード君らしくないことを言うわね」
「え?」
「目を開けて、今できることをしろ。大総統ならきっとそう言うわ」
「少佐…」
リザが眉をゆがめさせて微笑んだ。そして目を閉じたままのロイを見つめた。
エドワードはそんなリザの横顔を見る。
そう、本当は彼女だってずっとロイの傍にいたいはずなのだ。
傍にいたくても、できない。その辛さは俺が一番良く分かっているはずだった。
(ごめん、少佐…)
弱音を吐いてる場合じゃなかった。
エドワードは唇に力を込めて、上を向いた。
「少佐、ひとりで来たの?」
「ええ、大総統がこうして隠密で入院しているのだから。私もできるだけ人目につかないように来たつもりよ」
エドワードは声を潜めた。
「いま、カタリナ中尉が凶器を分析に出してくれてるけど…多分シン製のものだと思う」
「シンの?」
「ああ。俺こないだまでシンに行ってたからさ。あの形状と造作は、シンの製法にしかないものだ」
「シンには、暗殺の傭兵部隊があったわね。表舞台にはほとんど出てこないと言う…」
「ああ。暗殺部隊は、最近はシンだけじゃなく近隣国の依頼も受けるってもっぱらの噂だ」
「そう」
リザが考え込むように遠くを見つめた。そしてエドワードを見る。
「私も、上層部に怪しい動きがないか探りを入れてみましょう。レベッカとは内密に連絡を取り合えるから、何か判ったら報せるわ」
「ああ。俺も…」
シンにいるアルフォンスやリンと連絡をとることを考えていた。表立っては無理だろうから、何か方法を見つけないと。
(カタリナ中尉が戻ってきたら、護衛を交替してもらって…)
「エドワード君」
「え?」
「大総統が目を覚ますまでは、側にいてあげて」
窓から夕日が差し込んでいた。朱い光がその顔を照らす中、リザは優しく微笑んだ。
「大総統を、よろしくお願いします」
そう言って敬礼した。そのまま踵を返す。
「少佐、もう帰るの?」
慌ててエドワードが呼び止めるが、リザは背中を向けたまま振り返らない。
「ええ。…私は私のできることを」
静かにそう言い残して、部屋を去った。
再びロイとふたりきりになった病室で、エドワードはすとんと椅子に座り込む。
ロイの寝顔を見つめた。
そう。俺も、できることをするよ、ロイ。
ぐ、と拳を握りしめた。
作品名:たとえばいつか哀しい空が 6-8 作家名:吉野ステラ