痛みで出来た世界 ~アフターバースデー~
「貴方にとって、五月四日はブルーな日でしかなくてもね…」
本来、彼女に間(ま)は出来ないはずだった。けれども、
「………」
交差する視線に、二人は観念したのだった。
「きっとね、祝福されるべき日でもあるの」
五月蠅いか静寂かの二択しか存在しない部屋にあって、二人が二人を見つめたその瞬間は、どちらにも属さない。
「遅れたけれど、お誕生日おめでとう」
第三の選択の中で、彼も彼女も、微笑んだのだ。
「…昨日、ちゃんとプレゼント貰ったのに」
唇をほころばせる彼に彼女はきょとんとするも、それ以上を彼は言ってやらない。
必要が、あってはいけないからだ。
「予定を狂わせないで欲しいものだわ。今日なら全部平らげて頂けるでしょうね。食材がもったいないのよ」
「ああ、任せろよ。その可愛くない口も手伝ってくれたら、すぐだぜ」
ふっ、と笑い、膝をついていた彼女が立ち上がる。
何となく赤ワインがお出ましする予感を抱き、彼もまた笑った。
「蝋燭は何本立てましょうか」
「決まってるだろ、二十一本だよ」
背もたれで首を反り返し眺める彼女は、彼の瞳に、やさしく映る。
『痛みで出来た世界 ~アフターバースデー~』
晩餐がひと段落すると、彼は仄かに上気した吐息を零す彼女に質問した。
「今夜も、痛くないみたいだね」
「ええ、大丈夫」
グラスに残る液体を舐めつつ、彼女は頷く。
「僥倖だ」
「大袈裟なのよ、貴方は」
同じくグラスをあおると、彼は僅かに引き締めた音色を響かせた。
「そうでもないんだよ」
カタリ、テーブルに置かれたグラスが奏でた声に、彼女は斜め前に座る彼を見遣る。
「あ…、…」
ワインとは異なる紅が、彼女を見つめていた。―真摯に。
「嬉しいんだよ、俺」
「ん…」
「君の笑顔を、この二日に見ることが出来たのが、嬉しい」
「っ、」
にじり寄り、そっと自分の手に触れてしまう彼のそれに、彼女は躊躇うも、結局グラスをテーブルに預ける。
「痛く、ない?」
微かに上擦ったように窺いを立てる彼に、彼女は諦めたように瞼を閉じて、応えた。
「痛いわ、貴方に握られたところが」
「ふふ…ごめん」
はにかんだような彼の身体が、近い。
二人を隔てるソファを、彼は容易く凌駕するのだ。
「―ごめんね」
「…良いのよ」
何に向けられた謝罪か、彼に訊くのは無粋というものだろう。
だから彼女は、ただ微笑むだけだった。
「ありがとう」
全身で伝えようとする彼の重みを、同様に全身で感じつつ、彼女はその背に腕を回す。
―本当は、もう、痛くなかった。彼女はもう、痛みに苛まれる毎日など、過ごしてはいなかったのだ。
けれど、それを教えるつもりなど、その理由ごと、ない。
「良いの?」
「良いのよ」
重なる寸前の唇で囁き合い、二人は考えることを、止めた。
(痛いの、痛いの、飛んで行け)
作品名:痛みで出来た世界 ~アフターバースデー~ 作家名:璃琉@堕ちている途中