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日野 青児
日野 青児
novelistID. 26667
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黄昏の王

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ここ数日の東京はまるで雪でも降りそうな寒さが続いていた。その日はその数日の中でも最高に寒気が強い日で、成歩堂法律事務所にも依頼人は全く現れなかった。最も、その事務所にはそうそう依頼人など現れることなどないのだが。

事務所の所長とは言えば、すっかりくつろいだ様子でソファに腰掛けていた。しかし、目付きは非常に真剣で、彼は法廷でだけ見せるあの鋭い表情である一点を見ていた。それは、一面のチェス盤だった。濃淡の茶色のチェックが鮮やかなそれには白と黒の駒がちりばめられている。成歩堂はそのなかから白い駒を一つ、動かした。

向かいには男が一人座っていた。臙脂(エンジ)のスーツにフリルタイ、黒い髪を真ん中できっちりと分け、姿勢正しく座っている。しかし、彼は成歩堂に仕事を依頼しに来たわけではなかった。彼は15年ぶりに再会した成歩堂の幼馴染みだった。・・・・そして、彼の最大のライバルでもある男だ。
彼は余裕綽々、といった表情で先ほど動かされた駒を骨の太そうな指で指した。その動作は一見傲慢そうに見えかねないものだったが、男の纏う雰囲気にはそのようなものはみじんも含まれていなかった。逆にどこか不安定な感じを受ける。成歩堂はその真意を測りかねていた。



「成歩堂。・・・・・もっと頭をつかったらどうだ。ここでナイトを動かすべきでないのはよく考えたらわかることではないか!」


成歩堂は、逡巡した後、明らかに「しまった」という表情を見せたが、何かに気づいたらしいものとみえて、急に表情を余裕あるそれに変えた。腕を組み、目を細めてうれしさを隠しきれないといった様子でいう。


「異議あり!・・・・・頭をつかわないと勝てないのはそっちだと思うね、御剣。」


御剣、と呼ばれた男は首をかしげながらも、自分の黒い駒を動かした。先ほどのナイトが、黒の駒の餌食になって盤面から消え去った。その瞬間、成歩堂はしてやったり、という表情ですぐに自らの盤面を進める。先ほど動かした御剣の黒いクイーンは、あっさりと白い駒に陣をあけ渡した。彼は自信たっぷりの声で言う。


「検事に必要なのは、先読みじゃなかったっけ?」

「・・・シロウト弁護士ごときにいわれたくはないな。これは作戦のうち・・・・・・ムムム。」


成歩堂は、明らかに困り果てた顔の検事を見やると、くすくす笑って見せた。それに対し、笑われた当人は気分を害したらしい。ただでさえ寄っていた眉間の皺の本数が目に見えて増加した。それを見て、さらに成歩堂は笑みを深めた。




「こ、これでどうだ!成歩堂。」


鼻息荒く駒を動かして見せた御剣の声に導かれるようにして、成歩堂は盤面をみた。そしてそのまま、一瞬固まった後、半眼で切り返す。


「待った。検察側が苦しいのはようくわかるけど・・・・・偽証するな!馬鹿御剣。」

「な!言いがかりも甚だしい!弁護側の見間違いだ!」


法廷のまねごとのような芝居がかった台詞回しに、思わず御剣もつられるように言った。しかし、それは嘘であることは見抜かれているらしい。成歩堂は、ばし、と威圧するように机の端をたたいた。人差し指をまっすぐに御剣の前にさしだし、いつもの調子で言う。


「異議あり!・・・・よく見ろよ・・・・さっき取り除いたはずのルークが生き返ってるじゃないか。」

御剣は、彼のもっともな指摘に軽く舌打ちした。


「・・・・ち、ばれたか。」

「ばれたか、じゃないよ、この腹黒検事が。」


成歩堂は心底呆れた、といった表情で御剣を見据えた。その眸にはどこか冷たいものが宿っている。それは御剣にとってあまりみたい表情とはいえなかった。彼をなだめるように、御剣は謝罪する。


「・・・・おい、まて、そういう非難がましい目で見るな。わかった、もうやらない。・・・すまなかった」


彼はそういうと、先ほどこっそり生き返らせたルークをまた盤から取り除いた。成歩堂はそれを確認すると、何事もなかったようにプレイを再開した。手を前に差し出して、御剣に打つように進める。御剣は、今度こそ動かす手を慎重に考えていた。

そんな御剣に、成歩堂がぽつりと言った。


「・・・・そういえば、何でぼくが連絡とろうとしても出てくれなかったんだ?」


その声に、御剣は駒を持ち上げようとした手をぴたりと止めた。その三白眼を成歩堂の黒目がちの大きな眸に向ける。成歩堂の視線は、痛いほど真剣だった。触れたら切れてしまいそうなそれに、御剣は内心で震えを感じる。

しかし、揺れる内面とは対照的に、彼は何事もなかったかのように冷静に話した。それは御剣にとっては長年自らを守るためにやってきた、いわば鎧のようなものだった。


「・・・理由など聞いてどうするというのだ。もちろん、きみからの連絡をとらなかったことは謝る。それでいいではないか。」


御剣は、止めていた手を動かし、駒を進めた。成歩堂はまったくそれに納得していなかった。まるで聞き分けのない癇性な子供のように怒ったような顔をする。それでいて、盤面を考えているその姿はまるで冷静で、怒っていることなど嘘のようだ。

彼にとって、この成歩堂という人物と連絡を取りたくない理由など数え切れないくらいあったのだ。彼はすべてを奪われる前の、理想的な自分を知っている。そして、それを知っているが故に今現在自らが置かれている状況とあまりにもそれがかけ離れていることに気づかされる。それが御剣にとっては堪らなかった。
しかし、その理由はすべて自らの内面の状況に起因するものであり、それを口に出してはいけないことぐらいは、御剣にもわかっていることだった。

しかし、たまに御剣は思っていた。もし、自分の中の醜い部分、弱い部分をあえて曝すとすれば、それはこの男以外にはあり得ない、と。それは甘えなどではなく、彼ならば、その告解を黙って聞き、何も感情を差し挟むことなどないだろう、とそう思うからだ。

こと、と成歩堂は駒を動かした。御剣はそれにはっと我に返る。状況は変わらなかった。未だにどちらに有利ともいえない。まるで今現在の自分たち2人のようだ、となぜか彼は思った。
御剣にとって有利性のない状況というものはあまり経験がなく、それであるが故にそのような状況は得意ではなかった。つねに戦略を練り、あと一押しで勝てるところまで駒を進めておく、それが彼の師の教えであり、実際彼と師が今までに成し遂げてきたことだった。
しかし、と彼は思う。自分がそれを果たして行う資質などあったのだろうか、と。そもそも彼は、盲信的に男に従ったのみで、そこに自らの意志があったかと言えば非常に怪しいものがあった。その支えを失い、彼は迷っていた。まるで盤面が膠着した現在の状況のように。

御剣は息苦しさを感じ、わずかにタイをゆるめた。成歩堂はちらりとそれを見遣ったが、何も言わなかった。一瞬かみ合った眸は、非常に冷たい光を宿していた。その低温に御剣は恐怖していた。なぜ、成歩堂はこれほど冷たい表情を浮かべることができるのだろう。それよりも、なぜ彼はそれほどまでに冷たい眸を自分に向けるのだろうか、と。




作品名:黄昏の王 作家名:日野 青児