番躯 天球05
日々、あたらしい傷に覆われていた、幼い肌は。
やがて、あたらしい皮膚に庇われていった。
それは、つよく、かたく。
少し、強くなれたのだと。
少年は少し、喜んで笑った。
番い/b
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つう、と赤い血が流れる。
明るい部屋である。
夕方までも遠くない午後の光が惜しげもなく取り込まれた部屋で、その分の陰もないではないが、少なくとも、少年の小さな身体は、ただ光の中にさらされていた。
陰の中から、もう一度、光を弾くものが差し出される。
ぴたりと白い肌にあたり、しばらく後に、すぅっと引かれる。
流れる血が、これで二条。
「っ……」
明るい部屋、つめたくもあたたかい、木づくりの床を踏みしめて。
白い肌に赤黒い血をあふれさせて、ジェイドは一瞬、眉をひそめた。
しかし、それはほんの瞬きも出来ぬほどの間のことで、すぐにまた、幼い面からは、その苦痛は拭い去られる。
代わりに、自分の身体についた傷を見下ろしたジェイドの翠の瞳が、満足げな色を浮かべた。
ごく薄く斬られただけの皮膚は、始めこそ玉のように血をあふれさせていたものの、もうすでにふさがりはじめ、流れた血も固まりつつある。
もう一度。
少年の様子に頓着せずに、男はその肌にサーベルを走らせる。
そこから新たに流れ出た血が、ふさがりつつある傷を横切り、色を濃くして固まった血と、あざやかなまでの対比を見せた。
腕、足、そして今は、あらわに外気にさらされている、身体。
男は、その幼い肌のいたるとことに、容赦のない傷を飾った。
それでも、男が細心の注意を払っていることを、ジェイドは知っている。
細められた、彼を見る目が、冷徹に、どこまでを切り裂くべきか、計っている。そのことを。
斬られるたびに、わずか、眉を寄せ、けれどもう、声を上げることも、歯を食いしばることもない。
その程度には、ジェイドは、この男に斬られることに慣れていた。
「よし」
かたんと、今まで少年を傷つけていたサーベルが、鞘を払った抜き身のままに、サイドテーブルに置かれる。
それが、この部屋での訓練が終わったことの合図、であった。
「……ありがとうございました」
流れる血が細い脛を伝わり、明るい飴色をした床を汚す中に立ちながら、淡い笑みすら浮かべて、ジェイドは師に対して礼を取る。
少年が幼い口唇に笑みを刻むのは、わずか。
今のように、訓練を終えたとき、それだけなのだ。
それに対して軽くうなずいて見せ、ブロッケンJr.は陰の中から歩み出、部屋の一画に置かれた布張りのソファに深く腰を下ろす。
かつては各界の名士も集ったのだろうこの部屋で、まさに主としての態度で、男はくつろぐ。
遥か極東から運ばれた黒檀のサイドテーブルには、当然のようにクリスタルで出来た灰皿と、精緻な細工の施された銀のシガー・ケースが置かれてはいるが、男がそれに手を伸ばすことはなく、ただ、ジェイドが動き出すのを眺めている。
その視線を受けながら、ジェイドはようやくに固まり始めた血溜まりの中から踏み出した。
ぺたり。と。
ただの素足とは明らかに違う、濡れた音が、飴色の床を伝わる。
そこを点々と染める赤い足跡を省みずに少年は続きの間へと姿を消し、すぐにまた、戻ってきた。
短い下穿きの他には何も身につけず、その白い肌を飾る傷跡も、血も、拭うことすらしていない彼は、薄汚れた雑巾と、水の入った器、そして白い布を手にしていた。
濡れた足音が、ソファに座る男のすぐ横で、止まる。
ちいさな手が、己れを斬ったサーベルを取り上げ、丁寧に水で拭った。
白いばかりだった布が、わずかに付着していた血とそれを溶かした水を吸い、薄く色づく。
血脂を落とし、鋼の輝きを取り戻したサーベルを眺める少年の目が、ふと、柔らかい色を浮かべる。
軽く湾曲した刃面にうつるその身体は、落としてもいない血の汚れで、ひどく薄汚れて見えた。
無言のままにそのサーベルを差し出せば、これも無言のままに男は受け取り、取り上げた武骨な鞘に、それを収める。
それを見届けて、ジェイドは身体を返し、今度は先まで己れの中に流れていたはずの、床の血溜まりの横に膝をついた。
水に濡らし、固く絞った雑巾で、すでにただの「汚れ」となってしまったそれを拭き取り始める。
それも、いつものことであった。
己れの流した血の量を確認するように、少年は床を清める。
小さな手が薄茶色に染まり、飴色の木肌が本来の色合いを取り戻して、それでようやく。
この明るい部屋は、訓練の場から、静謐な寛ぎの空間へと、立ち返る。
先までは、まるで当然のようにジェイドの血を吸っていた木づくりの床も、そのさまを眺めていた壁も、天井も、家具も、すべて。
今はただ、血に汚れた少年を異物として廃するように、あたたかくもつめたく、明るい午後の光の中に、端然として、在る。
その部屋を一度、眺め回して。
ジェイドは布張りのソファに腰を下ろす男に視線を向けた。