番躯 天球05
それが、どうしてなのか、などと言うことは……正直ブロッケンJr.自身にも、分かっていた、というわけではない。
ただ、そう感じたのだ。
こここそが、相応しい、と。
番い/a
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訓練の日々にも、少年はだいぶ馴染んだようであった。
見た目だけならば、それこそ線のほそい、頼りなげにすら見える子どもだと言うのに、驚くほどに、厳しい鍛錬にも喰らいついてくる。
天性のものもあるのだろう、基本的な技や体捌きを教えれば瞬く間に吸収し、貪欲なまでに次を、高みを、求める。
それは、弟子として、この上なく好ましい資質であろうと思えた。
ブロッケン一族が昔から修練を積んできた場所で、ひととおり、闘う者としての動きに慣れさせたブロッケンJr.は、そろそろ別のことも教えなければならないと、ふと感じたのだ。
それは、痛み。そして、「負傷する」ということ。
両者は、同じようでいてもけしてそうではなく、そして共に、格闘の世界に身を置くものにとっては、避けては通れないものであった。
彼は、思い出す。
かつて、幼かった日々に、自らが味わったそれらを。
ものごころついたころには、それらはすでに、彼の日常であって、深く、彼自身の中に刻み込まれていったものだ。
だからこそ……あの戦いの日々の中、この身体で、恐れもなく突き進んで行くことができたのだと、今では、理解している。
そして、だからこそ。
今、あの幼い身体に、教え込まねばならないことなのだ。
「……ありがとうございます」
ふと、取りとめもない思考を遮った高い声に、ブロッケンJr.は目瞬く。
自らが流した、彼が流させた血で白い肌を飾った少年が、いつも通りの眼差しで、そして、口唇の端をわずかに吊り上げさせて、こちらを見上げていた。
……笑っている。
惰性のようにそれにうなずいて、彼は今までその身を沈めていた陰の中から姿をあらわし、重厚な布張りのソファに腰を下ろした。
無意識のように、傍らにあるサイドテーブル上のシガー・ケースに手が伸びかけるが、視界に捉えたままの幼い姿に、自制する。
少年は、ようやく、血溜まりの中から足を踏み出したところであった。
白い素足にまとわりつく半乾きの赤黒い血液が、点々と、床に足跡を描いていく。
いったん続きの間へと消え、そしてほどなく戻ってきた少年が、真っ直ぐに彼のもとまで歩いてきて、その傍らに置かれたサーベルを手に取った。
人の血脂に汚れたそれは、ひどく生々しく、不吉なものにすら見えたが、少年の手によって水で拭われたその刀身は、窓から惜しげもなく入る午後の光に照らされ、ただただ静謐に、輝いている。
それが、まるで。
どれだけ傷を受けようとも、平然とそれを受け入れ、何もの言わぬままに、その痕跡すら消してしまう、少年にも似ていると、感じられて。
目を細めて、彼はその輝きに、見入った。
血に汚れたままの腕で、少年が、拭い終わったサーベルを差し出す。
鋼の色を取り戻したそれを、彼はゆっくりと鞘に収めた。
ただ、光を弾いて輝くばかりの剣と、まったく飾り気のない、実用一辺倒な―――武骨なばかりの、鞘。
……それは。それは、まるで。
今はもう、こちらに背を向けて床を清めている少年の姿を凝視し、彼は浅く息を吐いた。
笑いの衝動が、こみ上げる。
応接間としてつくられ、ととのえられた部屋は当然、採光にも細心の注意を払っていて。
陰となるのは、カーテンによって遮られた、わずかな空間。
注がれる光の中心に立たせたのは、弟子である少年。
陰から差し出され、光の中に少年を斬り裂く、鋼の刃。
幼い肌のしろさと、流された血のあか。
笑う、少年。
もし、この場にいたのが、彼ひとりであったのなら。
少年を斬ったこの手で顔を覆って、こころゆくまでわらうことも、出来ただろうか。
一心に床を磨く少年の背に向けて、口唇だけでつぶやく。
そうか。
そうなのか、と。いつか、了解された事柄が、すとんと胸に落ちる。
ああ、そうなのだ。
そう、望みは、たったひとつ。
彼も、少年も、ただひとつのことを、望み、そして、選んだ。
結果、何が曝されようとも、何を塗りこめようとも。
もどれない。
もとより、もどるつもりもない。
ならば、この身は、鞘にも、天球にもなろう。
まもるのか、朽ちるのか。それすら、愉しみとして見据えよう。
立ち上がった少年が、奇妙なまでの穏やかさを湛えた室内を一瞥し、彼を見つめる。
白い肌には、黒く固まる血の跡を飾ったままに、口唇には笑みの残滓を貼り付けて。
ああ。それでは。
この少年に抱く、感情に名前をつけろと言われれば、それは。
「愛しい」、という名にもなるのだと。
薄く、薄く。
彼は哂った。
幼い肌が、傷に塗り込められるたびに、愛しさが募り。
その跡が消えるたびに、よろこびを抱いた。
笑う少年を見つめ、ひそやかにわらって。
つよく。
ひとつがいののぞみを、こめる。