望郷
「おい、ジェイド。そりゃ、何だ?」
最初にそれを発見したのは、スカーフェイスだった。
望郷
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過酷な訓練を終えたあとの、まさに命の洗濯とも言えるバスタイム、シャワールームから出て涼んでいたジェイドを目ざとく見つけ、思わず声を上げたのだ。
「……ん?」
ただでさえ、スカーフェイスの声は大きく、目立つ。まして、その対象がHF訓練生の中でも注目株であるジェイドともなれば、周囲の視線を集めてしまうのは、当然のことだった。
脱衣室にいた生徒たちは皆そろってジェイドとスカーフェイスに視線を向けたし、その中でも割合に彼らと親しい者などは、わざわざ人込みを掻き分けて歩み寄りさえした。
「それって、何だ?」
痛いくらいの注視と沈黙の中、そんなものなどまるで意にも介さない、と言うように、あっさりと無視して顔を上げたのは、当のジェイド。
ミネラルウォーターのボトルを手に、湯上りらしく、部屋着だけを着た肌に湯気をまとわりつかせながら、傍らに立った同期生を、小首を傾げながら見上げる。
その、ボトルを持ったほうの手をいきなりスカーフェイスは掴み上げ、どこからどう見ても悪人です、と言わんばかりに、にやりと笑った。
「コレだ、コレ。んだぁ? お前、こんなモンつけてんのかよ?」
高々と差し上げられた形のジェイドの手首を見て、その近くに居た者たちが、揃って虚を突かれたような顔になる。
それもそのはずで、そこには、似合わぬ……いや、ジェイド本人にはともかくとして、格闘超人というその身には不釣合いなほどに、繊細に輝く、銀の鎖が巻かれていた。
細く撚った銀を繋いで作ったのだろうそれは、どう見ても女性が飾るべきものにしか見えず、その品とジェイドとの接点が、解らない。
恋人がいるような素振りは見せたこともないし、まさか女装趣味などは……いや、そんなことを考えたと知れただけで―――
一部の、想像を逞しくしていた者たちは、不意に視線をぐるりと巡らせたジェイドに、思わず肝を冷やす。
こそこそと今さらながらに視線を外したり身を隠したりするそんな同期生たちには構わずに、ジェイドは不思議そうな顔を、スカーフェイスに戻した。
「おかしいか?」
「おかしいに決まってンだろ。何だよ? そのチャラチャラしたモンは」
「……別にこれは、アクセサリーじゃない」
「ああ? じゃ、何だって言うんだ?」
「それって、お前に言う必要、あることか?」
「何だと?」
「別にオレが何をつけてようがお前には関係ないだろう?」
にこり、と、口唇の端を吊り上げておいて、ジェイドは掴まれた腕をやんわりと振り払う。
そのまま座っていた椅子から立ち上がり、スカーフェイスどころか、今だ群がっている人垣そのものを無視したような足取りで、歩き始めた。
「おい、テメっ……」
冷め始めて本来の白さを取り戻したその左手首で、銀の鎖がしゃらりと小さな音を立てる。
ふとそれへと視線を落としたジェイドは、もともと厳つい顔をさらに不愉快そうに顰めたスカーフェイスに、向き直った。
「関係、ないだろう?」
しろい頬に浮かぶ、無邪気、とすら言えるような笑み。
それは、どこかとても、嬉しそうで。
そのひとことだけを置いて、後はもう忘れ去ったように、ジェイドは思わず道を空けてしまう人垣の向こうへと、歩き去った。
「……何だ? アイツ……」
再びざわめきを取り戻した脱衣室の中。
残されたスカーフェイスはしばし憮然とした顔をしていたが、やがて彼もゆっくりと歩き去った。
何かを、考え込むような顔をしながら。
かつんかつんと、規則的な音が廊下に響く。
別段早くもないその足音の主に、クリオネマンはさほど急ぐことなく追いつくことが出来た。
「ジェイド」
声をかければ、あっさりと振り返る、姿勢の良いその同期生を見て、彼は少し、目を瞠る。
てっきり……先ほどのことに、気分を害しているかと思っていたから。
「何か、用か?」
だいぶ高い、こちらを見上げる翠の瞳には、見慣れた、静かな色以外は、浮かんではいなくて、少し、安心した。
「クリオネ?」
「……あ、え? あ……」
「何か、オレに用があったんじゃないのか?」
けれど、そう、重ねて問われて、思わず、口ごもる。
「あ、いや……特に用があったわけじゃ、ないんだが……」
不思議そうに見上げる相手の視線から、不自然でないように、自分のそれを、逸らした。
「何となく、気になったので……」
何と、稚拙な言い訳か、と……自嘲が浮かぶ。
それでも、それ以外、自分の中に、理由が見当たらなくて、それだけ言って、口をつぐんだ。
「気になった? 何が?」
「何が、と言われても……私にも……あ、いや、その……」
「……変なヤツだな」
くっと、ジェイドが苦笑する。
首を傾げて笑って、つ、と視線を落とした。
「……お前も、この鎖、おかしいと思うか?」
その視線をジェイドの左手首まで追って、問われたことに、慌てて首を振る。
「私は、別に、おかしいとは……」
繊細なつくりの、細い鎖。
もとは、婦人のほそい首か腕を飾るために作られた……そんなものに見える銀鎖は、まるで当然のような顔で、ジェイドのしろい手首を飾っていて。
「そうか?」
「そうですよ! それに、それは……何か、意味があるのでしょう?」
とっさに出てきた言葉ではあったが。
不思議そうに、、顔を上げて、凝視してくる翠の瞳に、知らず、たじろぐ。
「……どうして、そう思う?」
視界の端。ジェイドの右手が上がって、ゆっくりと、左手首を押さえた。
無意識なのだろうか……と、ぼんやりと思う。
「さっき……そう、言っていたでしょう? 飾りものではないと」
では、何なのか……は、当然知らない。知りたいと、好奇心が湧かないことも、ないが。
この相手が口を割ることはないだろう、とも、思った。
「……そう、だな……」
再び、視線が、落とされる。
押さえた指の向こうから、垣間見える、かぼそい銀鎖。
翠の瞳からこぼれる、クロムの輝き。
「でも、やっぱり……皆、不思議には思うんだな。オレが、こういうものをつけていると」
「それは……私たちは、格闘超人だから」
「そうだな」
すう、と目を細めたジェイドが、ちいさく、つぶやく。
それでも。
これは、あの人にもらったものだから、と。
それが、聴こえてしまったのは、彼の、ミスなのか……それとも、自分の、ミス、なのか。
それとも。
一度、右手の指だけで、かすかに、銀鎖を撫でた、ジェイドは、彼を見上げて、にこりと笑った。
最初にそれを発見したのは、スカーフェイスだった。
望郷
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過酷な訓練を終えたあとの、まさに命の洗濯とも言えるバスタイム、シャワールームから出て涼んでいたジェイドを目ざとく見つけ、思わず声を上げたのだ。
「……ん?」
ただでさえ、スカーフェイスの声は大きく、目立つ。まして、その対象がHF訓練生の中でも注目株であるジェイドともなれば、周囲の視線を集めてしまうのは、当然のことだった。
脱衣室にいた生徒たちは皆そろってジェイドとスカーフェイスに視線を向けたし、その中でも割合に彼らと親しい者などは、わざわざ人込みを掻き分けて歩み寄りさえした。
「それって、何だ?」
痛いくらいの注視と沈黙の中、そんなものなどまるで意にも介さない、と言うように、あっさりと無視して顔を上げたのは、当のジェイド。
ミネラルウォーターのボトルを手に、湯上りらしく、部屋着だけを着た肌に湯気をまとわりつかせながら、傍らに立った同期生を、小首を傾げながら見上げる。
その、ボトルを持ったほうの手をいきなりスカーフェイスは掴み上げ、どこからどう見ても悪人です、と言わんばかりに、にやりと笑った。
「コレだ、コレ。んだぁ? お前、こんなモンつけてんのかよ?」
高々と差し上げられた形のジェイドの手首を見て、その近くに居た者たちが、揃って虚を突かれたような顔になる。
それもそのはずで、そこには、似合わぬ……いや、ジェイド本人にはともかくとして、格闘超人というその身には不釣合いなほどに、繊細に輝く、銀の鎖が巻かれていた。
細く撚った銀を繋いで作ったのだろうそれは、どう見ても女性が飾るべきものにしか見えず、その品とジェイドとの接点が、解らない。
恋人がいるような素振りは見せたこともないし、まさか女装趣味などは……いや、そんなことを考えたと知れただけで―――
一部の、想像を逞しくしていた者たちは、不意に視線をぐるりと巡らせたジェイドに、思わず肝を冷やす。
こそこそと今さらながらに視線を外したり身を隠したりするそんな同期生たちには構わずに、ジェイドは不思議そうな顔を、スカーフェイスに戻した。
「おかしいか?」
「おかしいに決まってンだろ。何だよ? そのチャラチャラしたモンは」
「……別にこれは、アクセサリーじゃない」
「ああ? じゃ、何だって言うんだ?」
「それって、お前に言う必要、あることか?」
「何だと?」
「別にオレが何をつけてようがお前には関係ないだろう?」
にこり、と、口唇の端を吊り上げておいて、ジェイドは掴まれた腕をやんわりと振り払う。
そのまま座っていた椅子から立ち上がり、スカーフェイスどころか、今だ群がっている人垣そのものを無視したような足取りで、歩き始めた。
「おい、テメっ……」
冷め始めて本来の白さを取り戻したその左手首で、銀の鎖がしゃらりと小さな音を立てる。
ふとそれへと視線を落としたジェイドは、もともと厳つい顔をさらに不愉快そうに顰めたスカーフェイスに、向き直った。
「関係、ないだろう?」
しろい頬に浮かぶ、無邪気、とすら言えるような笑み。
それは、どこかとても、嬉しそうで。
そのひとことだけを置いて、後はもう忘れ去ったように、ジェイドは思わず道を空けてしまう人垣の向こうへと、歩き去った。
「……何だ? アイツ……」
再びざわめきを取り戻した脱衣室の中。
残されたスカーフェイスはしばし憮然とした顔をしていたが、やがて彼もゆっくりと歩き去った。
何かを、考え込むような顔をしながら。
かつんかつんと、規則的な音が廊下に響く。
別段早くもないその足音の主に、クリオネマンはさほど急ぐことなく追いつくことが出来た。
「ジェイド」
声をかければ、あっさりと振り返る、姿勢の良いその同期生を見て、彼は少し、目を瞠る。
てっきり……先ほどのことに、気分を害しているかと思っていたから。
「何か、用か?」
だいぶ高い、こちらを見上げる翠の瞳には、見慣れた、静かな色以外は、浮かんではいなくて、少し、安心した。
「クリオネ?」
「……あ、え? あ……」
「何か、オレに用があったんじゃないのか?」
けれど、そう、重ねて問われて、思わず、口ごもる。
「あ、いや……特に用があったわけじゃ、ないんだが……」
不思議そうに見上げる相手の視線から、不自然でないように、自分のそれを、逸らした。
「何となく、気になったので……」
何と、稚拙な言い訳か、と……自嘲が浮かぶ。
それでも、それ以外、自分の中に、理由が見当たらなくて、それだけ言って、口をつぐんだ。
「気になった? 何が?」
「何が、と言われても……私にも……あ、いや、その……」
「……変なヤツだな」
くっと、ジェイドが苦笑する。
首を傾げて笑って、つ、と視線を落とした。
「……お前も、この鎖、おかしいと思うか?」
その視線をジェイドの左手首まで追って、問われたことに、慌てて首を振る。
「私は、別に、おかしいとは……」
繊細なつくりの、細い鎖。
もとは、婦人のほそい首か腕を飾るために作られた……そんなものに見える銀鎖は、まるで当然のような顔で、ジェイドのしろい手首を飾っていて。
「そうか?」
「そうですよ! それに、それは……何か、意味があるのでしょう?」
とっさに出てきた言葉ではあったが。
不思議そうに、、顔を上げて、凝視してくる翠の瞳に、知らず、たじろぐ。
「……どうして、そう思う?」
視界の端。ジェイドの右手が上がって、ゆっくりと、左手首を押さえた。
無意識なのだろうか……と、ぼんやりと思う。
「さっき……そう、言っていたでしょう? 飾りものではないと」
では、何なのか……は、当然知らない。知りたいと、好奇心が湧かないことも、ないが。
この相手が口を割ることはないだろう、とも、思った。
「……そう、だな……」
再び、視線が、落とされる。
押さえた指の向こうから、垣間見える、かぼそい銀鎖。
翠の瞳からこぼれる、クロムの輝き。
「でも、やっぱり……皆、不思議には思うんだな。オレが、こういうものをつけていると」
「それは……私たちは、格闘超人だから」
「そうだな」
すう、と目を細めたジェイドが、ちいさく、つぶやく。
それでも。
これは、あの人にもらったものだから、と。
それが、聴こえてしまったのは、彼の、ミスなのか……それとも、自分の、ミス、なのか。
それとも。
一度、右手の指だけで、かすかに、銀鎖を撫でた、ジェイドは、彼を見上げて、にこりと笑った。