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物体もじ。
物体もじ。
novelistID. 17678
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望郷

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「言うのが遅れたけれど、ありがとう、クリオネ。オレを心配して来てくれたんだろう?」

「あ、っと……」


 心配。

 自分は、ジェイドを心配していたんだろうか? 彼の、何を?


「ありがとう」


 思ってもみなかったことに礼を言われて、戸惑う自分に、もう一度繰り返して、目の前の同期生は、笑顔のまま、軽く首をかしげた。


「それじゃあな。また明日も早いし。おやすみ、クリオネ」

「あ、ああ。おやすみ……ジェイド」


 くるり、と背を向けて、歩み去る、この相手の。

 どこでもない、銀の鎖の揺れる、左手首を、どうしてだか、目で、追ってしまって。

 それは、彼が角を曲がって視界からその姿を消すまで、変わらなかった。























 宇宙空間にあるHFからは、地球と違って、月、というものは見えない。

 いや、月に似た、恒星の光を反射する丸い衛星ならばあるのだが、それは別段ひとつ、と言うわけでもなく。

 惜しみなく広がる大小さまざまな星々の中、それは、かえって存在感を薄くさせてしまう。

 地球から見る月のように、絶対の存在として夜空に君臨する銀盤は、この空には、確かにないのだ。


「……レーラァ」


 自室の寝台に転がり、見るともなしにそんな夜空を眺めながら、ふとジェイドはあの月の下、故郷のベルリンにいる人への呼びかけを、漏らす。

 頭の下に敷いていた左腕を目の前に掲げれば、そこにはいつもと変わらぬ銀の鎖が、かすかに部屋に灯された明かりを弾いて、涼やかに光っていた。

 しゃら、と。

 それが立てる、あるかなしかの音すら紛うことのない沈黙を室内に降ろして、ジェイドが思うのは、夜毎変わらぬ、故郷のこと。

  郷愁 ( ホームシック ) 、などと言うものではない、そんなものなどよりも余程に強い、彼の地への感情。


 ―――あの人は今、どうしているだろうか。

 ―――あの邸は今、どうなっているのだろうか。

 ―――あの森は、今も、変わらず。


「……レーラァ」


 つめたく、けれど、肌からうつる体温を吸ってあたたかい、鎖にかすか、口唇で触れる。




 ―――これで、満足か?

 ―――……ja,Lehrer……




 つめたい鎖に、遠い距離を知り、あたたかな鎖に、離れぬ想いを確かめる。

 鎖に触れた余韻を楽しんでいた口唇が、ふと、笑みを浮かべた。



 ―――それは……何か、意味があるのでしょう?



 思い出される、先ほどの同期生の、少しばかり混乱したような、言葉。

 そして、嘲りと興味を持って、この鎖を衆目に晒した、もう1人の……厳つい姿をした、同期生。


 関係ない、と言い、おかしいか、と問うた。

 彼らは、まるで思ったとおりの反応を返してくれたけれど。


 くつくつと、ジェイドは咽喉を鳴らす。

 あれも、ただの……言葉遊び。


 言うまでもなく、この鎖は、ただひとり以外の、誰にも関係ないものでしかないし、本来なら、自分にそぐわないのも、また、事実。

 けれど、それを言った自分が、おもったのは。


 ただ、確かめたかった。言葉にして、すこしでも、現実に、留めて。

 あの天球を、己れのものなのだと、そのことにすこし、酔いたかった。


 関係があるのも、この鎖が相応しいのも、ただひとりのひとで。


 確かめた、その事実が、限りなくいとおしかった。












 月のない夜空を、見上げるようになっていかばかりか。

 そして、あとどれだけで、再びあの月を、見上げることになるのか。


 考えて、銀鎖にくちづけながら。

 もう一度、ジェイドは。


 それを、己れの腕に飾ったひとのことを、おもった。




作品名:望郷 作家名:物体もじ。