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物体もじ。
物体もじ。
novelistID. 17678
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求望

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 あたたかい日差し。
 やわらかな風。
 みどりの葉陰。

 もしも、望むのならば。





 求望

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 森を抜ければ、街まで続く石畳が、整然と彼らを迎えてくれて。
 長いこと、朽ちた葉や、倒れた木をも飲みこんできた黒い土から踏み出せば、硬い石に、かつん、と踵が鳴る。

 さえぎるもののない陽光が、惜しみなく、降り注いでいた。


「いい天気ですね、レーラァ」


 沈黙に耐え切れなくなったように、ジェイドがぽつりと、つぶやく。

 困惑げに首をかしげたその髪は、常とは違い、穏やかな陽気の中にさらされている。

 そのことに違和感と、不審とを感じ、彼は軽く頭を振った。

 ちらりと視線をくれた先に、やはり見慣れない、銀色の髪に縁取られた、横顔。


 レジェンド・ブロッケンJr.。


 今の彼を見て、そうと看破できる者など、片手の指も余るほどの数しか、いはしないだろう。

 常、身に纏う軍服も、コートも、軍帽をすら外した姿は、目を見張るほどに体格が良いとは言え、人間として在り得ないほどではないせいもあって、およそ格闘超人とは、見えない。

 と言っても、そんなことを考えるジェイド自身、着慣れたコスチュームを脱ぎ、世間一般の若者とも変わらぬ服装に身を包んでいる。

 そして、それは、他でもない師匠、ブロッケンJr.の命じたことだった。

 低く、


『少し、歩くか』


 と、たったひとこと。

 それ以来、ブロッケンJr.は何も言葉を発そうとはせず、ただ、黙々と歩を進め、ためらいながらも、ジェイドはただそれに、着いていく。


 落ち着かない。


 あたたかな日差しも、やわらかな風も、萌える緑の葉陰も、何も、すべて。


 知らない、ものだ。


 わずかにこぼれる光、さやぐ音に知る風、濃く、くろい木々の陰。


 それ以外を望んだことなど、なかったと言うのに。


 慣れない日差しに己れの髪が輝くたび、不思議になる。

 風が頬を撫でてゆくたびに、胸が騒ぐ。

 薄く木陰をつくる若木の横を通り過ぎれば、不安になる。


 ここは、違う。

 違う、違う、違う。


 けれど、これを、望んだ、示した、この人は。


 陽光に輝く緑の草葉よりも深い、ゆれる翠の瞳が、わずかに高い、横顔を見上げる。

 姿は見慣れぬものでも、その顔も、軽く引き結んだ口唇も、静かな眼差しも、常と変わるものではない。

 けれど、揺れぬ瞳を見上げる翠の奥は、とうてい凪ぐものでは、なくて。

 口唇を開きかけては、引き結ぶ。それだけを空しく、くりかえす。

 ちらとも、それに視線を向けるものではないが、わかって、いるのだろう。

 見上げる先で、苦くほころぶ、厳しい口唇。


「いい天気だな」


 ほころんだまま、ゆっくりと、先のジェイドの台詞を鸚鵡に返す、乾いた口唇。


「……はい、レーラァ」


 そこから目を離せぬまま、浮かされたように、ジェイドも返す。

 すいと、ブロッケンJr.は、人を避けて身体をかしげた。

 わずかに離れた距離も不安で、ジェイドは大股に一歩、詰める。

 ひたすらに、師の顔を、仰ぎ見て。


「こんな日には、誰だって、散歩に出たくなるもんなんだろうな」


 人込み。

 見渡す視線の先など、どうでもよかった。

 その藍の色だけを、無心に、追う。


 人の憩う、緑豊かな公園。

 けして大きなものではなかったけれど、そこは、そのまま閉じ込めれば、「平和」の典型、とも言えそうなほどに、安らいで。

 そこに紛れ込むジェイドは、居心地悪く、師匠に身を寄せる。


 ―――もしも。


 涼やかな水を噴き上げる噴水の傍らで、ようやくブロッケンJr.は足を止めた。

 煙る水飛沫の向こうを見透かすように、藍の瞳を細め、佇む。


 ジェイドの視線の先には、師匠が居り、その師匠の視線の先には、何が、在るのか。

 幾重にも降り積もる不安が、ジェイドの脳を痺れ、させる。


 ―――こんな、ふうに。


 穏やかな、中にあり、和らいだ表情(かお)をつくる師の姿など、知らない。

 陽の下に、銀糸の髪をさらして、この人は。

 自分は、こんなにも。


 ふわりと、麻痺した意識から、現実感が、乖離する。

 視線も、身体も、想いさえ置き去りに、感覚だけが、遠く、放れて。


 ちがう。

 ちがう、ちがう、ちがう。

 ここはちがう。

 このひとは、ちがう。

 じぶんも、ちがう。

 ちがう。


 ここには、あたたかいひざしも、やわらかなかぜも、しずかなはかげも、しあわせなひとびとも、へいわなせかいも。

 すべてがあるのに。

 じぶんだけが、いない。


 ―――レーラァ。レーラァ、レーラァ。


 ここを、オレは。

 これを、あなたは、求めたのですか?


 ならば。ならば、自分は。


「ジェイド」


 吹き上げる水を追っていた視線に、ひたと見据えられる。

 ゆるく引き結んだ口唇も、常人とも見紛う姿も、先とは何ら、変わりはなくとも。

 厳然と、捉えて放さぬ藍の瞳が、それだけで。

 乖離した現実を、そのままに、引き寄せる。


「ja,Lehrer」


 知らず、紡ぎだされた声は、自分でも驚くほどに、鋭く、厳しく、響いた。


「ここは、平和だな」

「ja」

「喜ばしいことだ」

「……ja」

「だが、正義……いや、格闘超人は、その中に、安らぐことは赦されない」

「ja」


 ふっと。ブロッケンJr.は短く息を継いだ。

 閉じた両の瞼に、浮かぶのは、わずかな、苦悩。


 ―――もしも、あなたが、望むのなら。


「ジェイド」

「ja」

「この、平和な場所では、いくらの人がいようとも……どれだけの人とすれ違おうとも、その中で、俺たちは二人きり、だ」


 常、身に着ける軍帽も、軍服も身に纏ってはおらずとも、ブロッケンJr.でしか……彼の師でしかありえぬ男が、やわらかく、自嘲を口唇に刻む。

 見開いたジェイドの瞳からはクロムの輝きが、そして、薄く開かれた口唇からは、かすれたつぶやきが、こぼれた。


「……ja,Lehrer」


 武骨な指が、伸ばされる。

 出会った頃と変わらず、大きな掌が、ジェイドの髪の上を、滑った。


「―――もし。もしも、お前が、望むなら」


 耳の後ろまで、辿った指に、視線を固定されて。

 わずかに見上げる、藍の瞳の中に、翠の色がうつり込んで。

 あの、黒い森の、色をジェイドに、見せつけた。


「この中に。この場所に。留まっても、かまわない」





 わずかにこぼれる光、さやぐ音に知る風、濃く、くろい森の陰。





「……あなたは? レーラァは」


 ―――もしも、望むなら。


「俺は、その能がないからな」


 するりと、視線が、身体が、想いが。

 乖離した現実感を、取り戻す。

 ジェイドは、わらった。

作品名:求望 作家名:物体もじ。