夜の足音
「もうやめなくっちゃ」
何度も繰り返している言葉を、僕はまた口にした。
暗くなってしまった部屋に、虚ろな声が響いた。
明かりを付ける気にはなれなかった。どうせすぐに消えてしまうんだ。それに僕は、隣の部屋の一角に、明かりを早い時間に消したことを気づかれたくなかった。
一角はいるだろうか。
それとも隊員たちと飲みに行ってしまっただろうか。
わからない。
最近の僕は、一角の全てを把握することをあきらめていた。
あきらめて、彼の訪れを待っていた。
やめなくっちゃいけない、本当に好きなのは一角だって自分に言い聞かせようとして、いつも失敗していた。
彼は完全に気配を消してくる。
それは彼の、優しさなんだろう。
音もなく開いた戸に、僕はゆるゆると顔を向けた。
「…修兵」
檜佐木修兵が立っていた。
約束はしていなかった。けれど昼にすれ違った時に、彼は少しだけ笑った。
あれは食堂へ向かう通路。死神たちの話声があちこちから聞こえてきて、明るい光りが溢れていた。
僕は一角と歩いていて、彼は数人の隊員達と歩いていた。
彼は僕に気づいた。僕も彼に気づいた。
固い髪が跳ねるように揺れて、きついまなざしが一瞬だけゆるんで、僕の顔を盗み見て笑った。
それだけで、彼が来ることを知った。
僕はすれ違った副隊長に会釈をしただけだったけど、僕たちはそれだけで通じた。
いつの頃だろう。
彼のことを、名前で呼び始めたのは。
それだけ僕は彼に慣れてしまった。彼を受け入れてしまった。
好きになってしまったのかもしれない。
「弓親」
彼が、嬉しそうに僕の名を呼ぶ。
僕はひどく、苦しくなる。思わず強く手を握ってしまって、彼は案外聡いから気づかれてしまいそうで、それは避けたかった。
「あのさ」
「会いたかった」
もう君とは会いたくない、という言葉を、僕はまた言えなかった。一人きりだといくらでも言えるその言葉が、彼の前だとどうしても言えない。
ねえ、修兵。
どうして言わせてくれないんだ。
君が嬉しそうにしていると、僕は言えないんだ。君を傷つけたくないんだよ。
僕が本当に好きなのは一角で、それを君だって知っているだろう?
暗い部屋で、彼が僕の前に座る。そうして僕を抱きしめた。
彼は僕の帯を解くだろう。襦袢の袷を割り開いて、肌に触れるだろう。
僕は肌に触れる手を受け入れて、熱のこもった息を吐いて、彼を受け入れるだろう。
手が触れたから。
きっかけはそれだけだった。
一月ほど前のあの日、僕は珍しく一人で歩いていた。夕暮れ、一番隊隊舎を横に見る道は赤の色に染まっていた。長い影の先を見ていて、ああ影が一つだと僕は思ったんだ。
九番隊副隊長が前から歩いて来て、僕は軽く頭を下げた。
その時、手が触れた。
たぶん彼は、僕に話しかけようといて近づいたのだろう。僕は一つ長く伸びる影を見ていたから、気づかなかった。
弾かれたように顔を上げて、僕たちは視線を絡めあった。
僕は一角になんとも思われていないことがどうしようもないくらい悲しくって、たぶん彼は僕のことが好きだった。
僕は何か言おうとして何も言えなくて、彼も何か言おうとしたのに何も言わなかった。
ただ僕は手を彼に伸ばして、彼はその手を強く引いた。
それからだ。
僕たちはすれ違うたびに視線を絡め、日が落ちる頃にどちらかの部屋へ行く。
何度も繰り返している言葉を、僕はまた口にした。
暗くなってしまった部屋に、虚ろな声が響いた。
明かりを付ける気にはなれなかった。どうせすぐに消えてしまうんだ。それに僕は、隣の部屋の一角に、明かりを早い時間に消したことを気づかれたくなかった。
一角はいるだろうか。
それとも隊員たちと飲みに行ってしまっただろうか。
わからない。
最近の僕は、一角の全てを把握することをあきらめていた。
あきらめて、彼の訪れを待っていた。
やめなくっちゃいけない、本当に好きなのは一角だって自分に言い聞かせようとして、いつも失敗していた。
彼は完全に気配を消してくる。
それは彼の、優しさなんだろう。
音もなく開いた戸に、僕はゆるゆると顔を向けた。
「…修兵」
檜佐木修兵が立っていた。
約束はしていなかった。けれど昼にすれ違った時に、彼は少しだけ笑った。
あれは食堂へ向かう通路。死神たちの話声があちこちから聞こえてきて、明るい光りが溢れていた。
僕は一角と歩いていて、彼は数人の隊員達と歩いていた。
彼は僕に気づいた。僕も彼に気づいた。
固い髪が跳ねるように揺れて、きついまなざしが一瞬だけゆるんで、僕の顔を盗み見て笑った。
それだけで、彼が来ることを知った。
僕はすれ違った副隊長に会釈をしただけだったけど、僕たちはそれだけで通じた。
いつの頃だろう。
彼のことを、名前で呼び始めたのは。
それだけ僕は彼に慣れてしまった。彼を受け入れてしまった。
好きになってしまったのかもしれない。
「弓親」
彼が、嬉しそうに僕の名を呼ぶ。
僕はひどく、苦しくなる。思わず強く手を握ってしまって、彼は案外聡いから気づかれてしまいそうで、それは避けたかった。
「あのさ」
「会いたかった」
もう君とは会いたくない、という言葉を、僕はまた言えなかった。一人きりだといくらでも言えるその言葉が、彼の前だとどうしても言えない。
ねえ、修兵。
どうして言わせてくれないんだ。
君が嬉しそうにしていると、僕は言えないんだ。君を傷つけたくないんだよ。
僕が本当に好きなのは一角で、それを君だって知っているだろう?
暗い部屋で、彼が僕の前に座る。そうして僕を抱きしめた。
彼は僕の帯を解くだろう。襦袢の袷を割り開いて、肌に触れるだろう。
僕は肌に触れる手を受け入れて、熱のこもった息を吐いて、彼を受け入れるだろう。
手が触れたから。
きっかけはそれだけだった。
一月ほど前のあの日、僕は珍しく一人で歩いていた。夕暮れ、一番隊隊舎を横に見る道は赤の色に染まっていた。長い影の先を見ていて、ああ影が一つだと僕は思ったんだ。
九番隊副隊長が前から歩いて来て、僕は軽く頭を下げた。
その時、手が触れた。
たぶん彼は、僕に話しかけようといて近づいたのだろう。僕は一つ長く伸びる影を見ていたから、気づかなかった。
弾かれたように顔を上げて、僕たちは視線を絡めあった。
僕は一角になんとも思われていないことがどうしようもないくらい悲しくって、たぶん彼は僕のことが好きだった。
僕は何か言おうとして何も言えなくて、彼も何か言おうとしたのに何も言わなかった。
ただ僕は手を彼に伸ばして、彼はその手を強く引いた。
それからだ。
僕たちはすれ違うたびに視線を絡め、日が落ちる頃にどちらかの部屋へ行く。