5月は恋の季節
淡々と語り終えると本田は、床に手をついて深々と頭を下げた。
全身を丸めたその姿勢に、まだ話の内容が整理できていないフランシスは、ぼんやりと人生で初めて土下座を見たなと思う。
「あのさ」
「はい」
土下座のまま返事をされて、フランシスは弱った。さらさらした髪の黒い小さな頭しか目に入らない。
「とりあえず、顔を上げてもらっていいかな」
「……」
渋々といった緩慢さで上げられた本田の顔は青ざめて無表情だった。いや、よくよく見てみれば、口元が強張っている。正座の膝の上の手も、固く握りしめられていた。
徐々にフランシスの頭に、先ほどの本田の言葉がしみこんできた。
彼はフランシスが好きだと言っている。フランシスは本田が好きだ。つまりこれは、両想いというやつではないだろうか。
しかし突然の告白が受け止めきれず、フランシスはおずおずと硬い表情の本田を見つめた。
「俺の勘違いがあったら言ってほしいんだけど、まず一つ、あの日、君は自分から進んで俺と寝た」
一瞬視線をさまよわせてから、こくりと本田の小さな頭が上下する。
「君は、前から俺のことが好きだった」
再び頭が縦に振られる。
ほう、と思わずフランシスの口からため息が漏れた。急な感情の乱高下に振り回されて頭がうまく回っていない。
「俺のこと、顔も見たくないほど嫌いなわけじゃ、ない……?」
「あなたの顔なら一日中でもみていられます」
きっぱりと言い切られ、フランシスの頬に久しぶりに笑みがのぼる。
「良かったぁ……」
安堵で、汚れた頬を再び涙が滑って行った。泣き顔を見られたくなくて両手で顔を覆う。
「私は卑怯な臆病ものです。あなたをこんなに傷つけてしまった。もう遅いとは思いましたが、それでも私も告白しておきたかったのです。申し訳ありません」
静かに語られる声をたよりに、フランシスは片手で目元を覆ったままで本田の体を探り当てて、小さな肩に頭を乗せた。
拒絶されない。
涙はますますあふれてきて、先ほど本田が飲ませてくれたコップ分はとうに流れ出てしまっただろう。フランシスはとうとう、力いっぱい華奢な体を抱きしめた。
「俺もっ、君が好きだ……!」
耳元でひゅっと息を吸った音がした。本田の体に力が入ったのがわかる。
「私は……そんな風に、言っていただけるような」
「好きだ、好きだ、本田のことが好きだ」
肩口に伏せていた顔を擦りつけて至近距離で目を合わせた。逸らしたそうに揺れる視線を、顎に手をかけることで制す。
夜のように黒い瞳をしっかりと見つめて、フランシスは愛を告げた。
「君が好きだ。俺の恋人になってくれ」
囁きに、本田の顔がみるみるうちに赤く染まり、触れている手にまで熱が伝わってくる。
「あの、私っ…」
「お願いだ」
じっと見つめていると、これ以上ないくらいに眉を下げて困った顔をしていた本田だったが、しばらくの沈黙ののちに不意に唇を結んで、まっすぐにフランシスの眼を見返してきた。
固唾を飲んでその唇が開くのを待つ。
「ふつつか者ですが、よろしくお願いいたします」
きりりとした声で、顔で、そう告げた本田を、フランシスは再度固く抱きしめた。喜びが言葉にならない勢いであふれだす。
「いたた、痛いです、痛いです」
ハッとして腕の力を緩め、夢ではないかと思ってまた抱きしめる。間違いなくここに本田菊がいる。フランシスの恋人になった本田菊が!
気づいたらキスをしていた。
唇の柔らかさによる陶酔から我に返ると、自分のあまりの浮かれっぷりに慌ててフォローを入れようとする。
「ごめ」
今度はキスをされた。赤い顔の恋人に。
「謝らないでください。あの、いいですから……」
「……いいの?」
こくりと首が振られて、改めてキスをと思うが、緊張に手が震えた。これほどキスに緊張したことなど、フランシスの人生で初めてだった。
ゆっくり二人の顔が近づく。
「菊ちゃん大丈夫かー……!?」
「時間通りだぜぇ! ……え」
びしりとその場の空気が凍った。
乱入してきたアントーニョとギルベルトの目に飛び込んでくる、友人のキスシーン(一歩手前)。乱入された方といえば、こちらもぽかんとするしかない。
「……申し訳ありません、三十分経っても出てこないようなら、修羅場になってるかもしれないから来て下さいとお願いしたんでしたね」
ぽつりとこぼした菊の呟きに、乱入者たちは必死になって首を縦に振った。かつてない形相になっていたフランシスは、やや表情を和らげたものの口元が曲がったままだ。
「しっかしまあなんだ、お前ら、まとまったのか」
ギルベルトの言葉に、フランシスは顔を輝かせて「そう!」と明るく返す。もはやこの世に何も怖いもののないような気持で、ぎゅっと本田の肩を抱き寄せた。恥ずかしそうにうつむくのがまたいい。
「フランシス、顔面がとろけてるで……。発禁ものやわ」
「まー落ち着くところに落ち着いたんなら、それでいいわ。じゃ、お前らのおごりで、今度の週末飲むからな! 俺様達のあつい友情に感謝しろよ!」
「え…お酒はちょっと」
「うっせーじじい、感謝の印だって言ってんだろうが」
「ギルベルト君に何かしてもらったような覚えがないのですが……」
わいわい言っている所に、開け放しだった玄関から緑の風が入ってくる。
五月はいい季節だ、とフランシスはこれまでのもやもやを全て忘れ去る気持ちで笑った。
【終】