CC大阪84無配
それ以上は仕事をする気にならず、というか正直なところ彼の顔を見ていられずに、俺はマウスの購入申請書を総務に提出して早退した。
自室の窓からは夕暮れのシュテルンビルトが一望できる。普段の帰宅は日没後だから、それなりに新鮮な眺めだ。だが絶景を楽しむ気にも、スクリーンでニュースを見る気にもなれなかった。
(……。)
深々とチェアにかけて嘆息する。
結局は、何も解決していない。
気持ちを告げて、なおかつ今まで通りに接してくれというのは、ないものねだりの我が儘でしかないのだろうか。
(あの人なら……できると、思って。)
そう、いつの間にか期待してしまっていた。
ゆるゆると首を振り自嘲に唇を歪めると、目の端でランプが点滅した。来客の合図だ。
モニタに切り替えるとスクリーンにエントランスの映像が表示され、映った人影に驚いて立ち上がる。
「お、バニーちゃん?中、入れてくれよ。」
回線が通じたことに気付かれたか、めいっぱいカメラ目線で相棒の彼が笑っていた。
「広っ!物がねー!オマエ、こんなトコで生きてんの!?」
「人の部屋をこんなところ呼ばわりしないで下さい。」
脊髄反射でツッコミを入れてハッとする。脇道に逸れている場合ではない。ただでさえ情緒不安定な自覚があるのだ、原因にはさっさとお帰り願って平穏を取り戻さなくては。
「何しに来たんですか。」
「そりゃ、バニーちゃんを助けにさ。」
できるだけ攻撃的を装った言葉を飄々とかわされる。おー、とか何とか言いつつ窓から街を見下ろす後姿からは、昼までのビクついた態度は窺えなかった。
まるで何らかの覚悟を決めたようだ───そう思って背筋が薄ら寒くなる。
慄然とする俺には気付かず、オジサンはゆっくりとこちらを振り返った。
そうして芝居がかった調子で、大げさに両手を広げる。
「俺がいいなら、やるよ。」
俺マヨネーズ好きなんだわ、と言う程度の軽い言葉。夕陽を背負った彼の表情は陰になって分からない。
だが、どう考えても正気ではなかった。
「……どこまでも、貴方はヒーローなんですね。」
「あ?そんな言い方、」
珍しく皮肉が通じたらしい。反駁しようとした彼を遮って、声を荒げる。
「貴方は本当に無神経です。そんな誰にでも配られるものが欲しい訳じゃない!」
「おい、誰にでもって、」
「例えばアントニオやネイサンでも、貴方は同じコトをするんでしょう。そんなの残酷なだけで」
「んなワケねーだろ!?」
「っ!」
金切り声で否定されて、勝手にボロボロと出ていた声が止まった。
「つーかアントニオはともかくネイサンて、微妙にシャレになんねーだろ!ヤメロ!」
大股で歩み寄った彼が俺の肩をつかむ。確かなてのひらの感触。正面を見れば、真剣な光を帯びた目とかち合った。
「あのな。バニーちゃんだからこんなに悩むんじゃねーか。」
はー、と思わせぶりなため息に、訳が分からなくなる。
「俺さあ、子ども居るワケよ。」
「……知ってます。」
「いい年だし。」
「おかげさまで身にしみてます。」
「お前はホンット……まあそりゃ今はいい。」
後で覚えておけ、ということだろうか。呆然としている割に冷静な頭のどこかが揚げ足を取る。そうでもしていないとこの場でへたりこんでしまいそうだ。
「何よりお前とおんなじモン付いてるしさ。」
「もうちょっと上品な表現できないんですか。」
なけなしの忠告を聞いたのかどうなのか、いつもは根拠もなく自信家の彼が苦笑を浮かべる。
「そんなんと付き合って万一バレてみろ。俺はいいけどお前顔出しじゃねえか。二度と外歩けなくなっちまう。」
「え……」
まるで、自分のためを思って、と言わんばかりの言葉。胸の奥深くにしまおうとしている感情が、波立つ。
「ヒーロー的にも問題だし最初はやっぱビビったけど、でもあんな顔見せられちゃなぁ。降参するしかねーって。」
「………ど、んな?」
「さみしくて死にそうですー、みたいな顔。」
からかうような口調に、カッと頭に血が上る。
だがとっさに開いた口は、すかさず何かでふさがれた。
「!」
髭が、少しあごに当たってむずがゆい。目を閉じる間もなく離れていったくちびるが、至近距離でニヤリと笑った。
「これから大変だな。お互い気ィつけねーと。」
ぽりぽりと髭をかく彼に、むくりと反抗心がわく。そもそも何か考えるのは俺の専売特許のはずだ。
「オジサンは、そういうの考えなくていいです。」
「はい?」
「考えるのは僕がやりますし、全面的にフォローもします。だから余計なコト考えないで好きに行動してて下さい。」
「何か微妙に、バカにしてないかお前。」
微妙も何も思いっきりしているのだが、相変わらずこの人は鈍い。
肩をすくめて、呆れたポーズを取る。
「まあ要するに、オジサンの癖に生意気だってことです。」
「何だとー!?」
たちまち噴火しはじめた彼にくるりと背を向け、真っ赤な頬をどうしたものか、俺はぐちゃぐちゃになった頭で考えた。