仮面舞踏会
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「お断りいたします」
彼のその声には若干の怒気が含まれていたことも、ホーマーには予想済みのことであった。だから悠然とした態度のまま、肘を机について指を顔の前で組み、目の前に立つ男の表情をじっくりと観察する。
けれど顔全体を覆う鉄仮面のせいで、彼の怒った顔があまり見られないのが残念だ。
「命令だと言ったら?」
仮面の男は、驚いたように目を見開いた。
「……私に独自行動の免許を与えてくださったのは、貴方でしょう?」
「左様。よって、私の命令は君の持つライセンス権よりも上を行くということだ」
「──っ」
ググっと、声を詰まらせ、仮面の男は恨みがましさのこもった視線をよこしてくる。実にわかりやすい態度を露にする男に、ホーマーは口元を緩め、内心では吹き出しそうなくらいの可笑しさに耐えていた。
「私も君の自由を奪いたくはないのだよ。だから首を縦に振って欲しいのだがねぇ」
命令だなんて脅すのではなく、彼の自主性でもって。
仮面の男はプルプルと小刻みに震えながら、様々なことと戦い己を宥めすかそうとしていた。しかしそれでも、言いたいことは止まらなかったらしい。
「──何故、私がアロウズのパーティなんぞに出なきゃならんのですか!? そ、それも女装してなんて、断るに決まっているでしょう!?」
怒りのあまりか、おかしな言葉遣いになっている男を面白そうに見上げ、ホーマーは軽く笑んだ。
「個人的なリクエストだよ」
「は?」
「私が、見たいだけさ。君のドレスアップした姿を」
さぞや美しく化けることだろう。パーティ会場に華麗な大輪の花が咲き誇るに違いない。
ハニーブロンドは、夜空を照らし出す月光の煌き。オリーブグリーンの水晶に見つめられれば、まるで魔女に魔法を掛けられたかのごとく、枯れきった噴水や花壇にも生命の息吹が芽吹くだろう(※ここまでホーマーの妄想)。
そもそも政財界や軍事のトップが集まるパーティなんて、コンパニオンを雇わない限り致命的に華が足りないのだ。ホーマーはいつも──ユニオン軍時代から──そう思っていた。
「是非、私の願いを叶えてくれたまえ」
「……」
仮面の男は、『空いた口が塞がらない』状態を、文字通り表現していた。理解できない。その瞳がありありと語っている。
「か、仮に。もし仮に女装したとしても、アロウズトップの中には、私の顔を覚えているものだっているでしょう。絶対にバレます。だから……」
お断りします、と続くはずだった彼の言葉を手で遮って、ホーマーは言った。
「その件については、問題ない」
「すでに問題だらけなんですが」
「まぁ、聞きなさい。実は、今度のパーティは『仮面舞踏会』なのだよ」
ピシャーン、と、今から仮面装着中の男の周りにだけ雷が落ちたようだった。
「つ、次から次へと……!」
まるで図ったような展開に、男の身がさらなる怒りで震えた。ホーマーにしてみたら、その通り図っていたことなので、面白いように逃げ場を失っていく彼の姿に笑いが止まらなかった。
「き、傷があります!」
「そんなものメイクでなんとでもできるよ。ああ、メイクとドレスは私の妻が担当するから安心したまえ」
「──奥様、ですか……?」
男の怒りが瞬時に収まった。彼とホーマーの妻は、すでに顔見知りである。
「会うのは久しぶりだろう。妻も君に会えるのを、とても楽しみにしているよ」
「そう、ですか……」
仮面の男は不服そうに言葉を濁しながらも、それ以上の反論はしてこなかった。彼の性格はホーマーもよくわかっているつもりだ。
可愛い甥っ子のビリーが彼と親しくなったと知り、以降、彼がどんな男であるかを見定めようと、何度か食事に誘ったり、家に呼んでみたりして、彼の人となりを観察し続けた。その結果、ホーマーも彼のことがすっかり気に入ってしまったのである。
一つ、軍人らしい気概があること。一つ、男気があること。一つ、素直な性格であること。一つ、パイロットとしての才能が特に優れていたこと。など、上げれば限がない。
「君はどこか、日本の『武士』を思い起こさせるところがあるね」
「ブシ? サムライのことですか?」
「興味があるかね? 私の家にもいくつかコレクションがあるから、今度見にきなさい」
「はい。拝見させていただきます」
鮮やかなブルーの制服に身を包んだ彼が、キリッとした態度で敬礼をする。その姿はお世辞ではなく、よく様になっていたと思う。
「では、引き受けてくれるかね? ミスター・ブシドー」
「その呼び名はやめていただきたい。……わかりました。その代わり、以後、二度と引き受けることはないと、宣誓させていただきます」
「いいとも」
フフフ、とホーマーは内心でこっそり笑った。もともと一回きりしか使えない手だし、その一回が見たかっただけなので、二度目はなくても全然構わないのだ。
失礼と言って去ろうとする男の背中に、ホーマーはもう一つだけ最後に付け足した。
「君をエスコートする男性にも声を掛けてあるから。まだ返事はもらっていないが、必ずオーケーするだろう」
「……誰ですか? まったく知らない相手に芝居などできませんよ?」
女性らしく振舞うなど、仮面の男には確かにできない芸当だろう。ホーマーは安心させるように微笑んだ。
「君のよく知る男だよ」
そう前置きした後で、騎士となる相手の名前を告げたときの彼の表情は、まったく見ものであった。