青色サヴァンと戯言遣い
頼まれもののプリントの束を抱えながら、水野はコピー機を目指していた。
「あ、水野」
不意に声をかけられる。すると、廊下に直接腰を下ろして携帯ゲーム機で遊んでいた根岸と目が合った。
「お疲れさまです」
「うん」
根岸は再びゲーム機に目を戻して、それから顔を上げた。それと同時にパチンとゲーム機の電源をオフにする音がする。
「コピー行くの?」
「はい」
「じゃ俺も行くよ。一人じゃ大変だろ? 俺も手伝うよ」
「えっ」
一番近いドアを開けて、根岸は部屋の中にゲーム機を片付けた。空になった両手を水野へ差し出して、プリントの束の半分こを要求してくる。
対する水野はと言えば、困ったように突っ立ったままだった。
「いいですよ、俺が頼まれたことだし、先輩に迷惑はかけられません」
「平気だよ。それに困ってる後輩を放っとくほうがよっぽど迷惑じゃないか」
根岸は有無を言わさず水野からプリントを半分奪うと、受付の側にあるコピー機に向かって歩き出した。ここまでされてしまっては仕方なく、水野は根岸の後に従った。
プライベートでの一軍メンバーは基本的にみんな苦手だったが、根岸はどちらかと言えば付き合いやすい相手だった。ただし、根岸と話していると必ず絡んでくる中西が非常に苦手だったので、自然と根岸も避けてしまっていた。今は中西の姿は見えないので少しだけ気が楽だった。
受付までやって来た二人は、プリントの順番を確かめてからコピーを始める。
その間少し手持ち無沙汰になって、どちらからともなく他愛ない話を交わした。
「そういえば根岸先輩は廊下にいることが多いですね」
「うん。中西が寝てるときは起こさないように外に出ることにしてるから。でもそういうときって暇だから、廊下にいて、通りがかった誰かと一緒に遊ぶことにしてるんだ」
「なるほど」
「大体は辰巳に拾ってもらうか、三上か藤代を構ってやるかするんだけど、水野は珍しいなー。これもなんかの縁ってやつ?」
「そうですね」
先輩相手に上手に返事できなくて、会話が途切れてしまう。水野は慌てて続けた。
「それにしても、中西先輩と仲良いんですね。親しい仲にも礼儀があって、とてもいいと思います」
「だって俺中西のこと大好きだもん」
「そ、そうなんですか」
「水野には好きな人とかいないの?」
無邪気に覗き込んでくる根岸に、水野は一瞬だけ躊躇ったが、ちゃんと応えた。
「……いますよ」
「マジ!? どんな奴? 武蔵森にいる?」
「武蔵森にはいません。今は大阪にいます。ときどきはこっちにも帰ってきてるみたいだけど」
「大阪かぁ。遠距離恋愛だね。水野はすごいなぁ」
「よく言われるけど、電話やメールもしているし、そんなに苦じゃないんですよ。真面目にサッカーに打ち込んでるみたいだし、昔みたいな風来坊をされるよりはずっと気が楽です」
「風来坊って何?」
「……なんて言ったらいいかな。落ち着きがなくて気まぐれな奴のことです」
「ちょっと中西に似てるね」
根岸の言葉にはっとなる。中西が苦手な理由は、そこにあるのではないか。
コピーされたプリントを手際よく取り出して新しいものをセットしながら根岸は言う。
「なあなあ、水野の好きな子って、もしかしてのほほんとしてる?」
「そうですね……のほほんとはちょっと違うけど、飄々としています」
「そんでもって基本的には何考えてるのかわからない?」
「はい。でも最近ちょっとずつわかるようになってきました」
「なんか無駄に作戦とか練っちゃうタイプ?」
「作戦……は、あんまり。どちらかと言えば行き当たりばったりです。策士かどうかで聞かれたら答えはイエスなんだろうけど、多分中西先輩のほうが上だと思います」
「心のどっかが欠けてるように見える?」
「欠けてた……って言うか、壊れて破片が落ちたっていうほうが正しいかな。昔は本当にそういう奴でしたけど、今はよくなったみたいです。何事にも前向きになって真剣に取り組むようになりましたから」
「そっか。じゃやっぱり中西によく似てる」
根岸は子供のように笑った。
「んじゃ、中西によく似た人に遠距離恋愛中の水野にだけ教えるよ。内緒だからな。指切りげんまん嘘ついたら、えーと、エリザベスとちゅーな」
「爬虫類は勘弁してほしいんですけど」
「だめー」
根岸の分が終わって、今度は水野の番だった。プリントを再びコピー機にセットする。
コピーが終わったばかりの温かい用紙に頬を寄せながら、根岸は内緒話をするために声のボリュームを小さくしてから、周囲に誰もいないことを確認した。
「中西って、なんか他の人より頭いいんだって」
「はあ」
唐突に言われた言葉に面食らい、思わず間の抜けた返事をしてしまった。
その反応に自分の言葉がたりないと思ったのか、根岸が補足してくれた。
「中西のおばさんから直接聞いたから間違いないよ。詳しいことは教えてくれなかったけど、アイツ、ホントはものすごい天才なんだってさ。天才だから、なんでも簡単にできるんだって。水野は武蔵森に来る前、中西の名前をどっかで聞いたことある?」
「中学のとき、桜上水で一度試合をしたときに」
「それより前は?」
「……いいえ」
「中西ね、武蔵森に入るときに初めてサッカーやったんだって」
「冗談ですか」
「違うよ。ホントのこと。中西、それまでサッカーなんて興味なかったって言ってた。あんときって確かJリーグが盛り上がってた頃だったから、テレビで見て、ちょっとやってみたくなって武蔵森の入部テスト受けたんだって」
「……それで、受かったんですか?」
「そうだよ。そんでもって一軍」
「馬鹿げています。そんなことあるはずない」
先輩の言葉だということも忘れて、一蹴してしまう。
根岸は困ったようにプリントの束から顔を離し、顔色を窺うように見上げてきた。その視線は子供のようで、さすがの水野も呆れを削がれてしまう。
「ま、信じる信じないは聞かないよ。中西の言うことだから俺をからかうためのウソかもしんないし、おばさんだってグルになって俺で遊んでたのかもしんないしさ。でも、ここからは全部本当の話で」
そこで根岸は続きを焦らすようにした。
「そのせいかはわかんないけど、コミュニケーションはあんまりできないんだよね」
中西が天才云々の話は信じられないが、これには同意できた。
水野が中西を苦手とする理由の一つとして『わけのわからなさ』が挙げられる。いつも飄々としていて、つかみどころがない。常に物事の三手四手先を読んでいて、こともなげに相手を弄んで、真っ向から不意討ちを浴びせる。到底理解できない手管を幾重にも操って、愉快犯の名の下に好き放題暴れ回り、トリックスターの名において、往きたいように生きている。
彼と意思疎通をすることは難しいと、水野は短い高校生活の中でもう悟っていた。
それは好き嫌いでも得手不得手の問題でもなく、なんとなくの直感だった。
作品名:青色サヴァンと戯言遣い 作家名:ジェストーナ