神話の後
目が覚めては夜に身を寄せるのを繰り返し、日々はあっという間に過ぎてしまっ
た。呆れるほど長い歴史の中で人が作り上げた現世から取り残された古代文明が、
生き永らえる為に作られた世界と道連れになるようにして関わっていたことが
大分前に感じてしまう。他人からしたらそれなりに長い間縛られていたと思える
だろうし、事実カタシロだってそう思っていた。けれど、なかなか人の手、脳で
は明かせないゼロ時間だって壊れてしまえばそれまでだった。呆気ない。執着も
何もない、むしろ壊れてしまうのならばそれでいいと思っていた。ただ、隣で崩
壊の時を呆然と見ていたレイジがこの夜が明けたら宵の紺に溶けてしまったかの
ようにふっといなくなってしまうんじゃないかと、横顔を見ていて不安になった。
だがそんな不安とは裏腹に、レイジに限らず終わりを迎えたゼロ時間も、綺羅
星十字団も過去の一部分になり、すぐまた各々の日々を生き始めた。息をする、
瞬きをするといった自分の意識から離れたところで繰り返し行われていることを
止めるよりは、流れに身を任せて生きている方がずっと楽で、それは、今は形な
き別世界に囚われ続けていたレイジも、そうだといい。
あの夜が明けてから、カタシロはレイジに会っていなかった。探しにも行ってい
ない。彼を探さないと選んだのは初めてだった。いつも選択肢として存在してい
たはずのに、見えていなかった。本能的に動いていた足は動かなかった。彼と自
分を繋いでいたものが無くなって尚、追いかけてどうするのか。今まで思い浮か
ばなかった疑問が頭を占める。何もなくなった状態で傍に居たって、どうしよう
もないじゃないか。レイジの夢という名の野望の行き先は見届けた。彼が永遠に
手にしたい過去にすらいないカタシロが傍に居られるのはそこまでだろうと、初
めから分かっていた。自分は彼の世界に入ることは出来なかった。許されなかっ
た。なのに、追うのを止めた両足は前に進むのを拒み、誰の影もない後ろを時折
振り返っている。その先で、一目でいいからレイジの姿が見られることを願って
しまっていた。未来を望まない彼の未来が、どんな形でもいいから、存在してい
るといい。
理想と、何の関わりもなくなったカタシロの前にレイジが現れるはずがないとい
う現実的思考を半分ずつくらいに抱いている間にも、季節は足元をひっそり流れ
て、一周して戻ってきたのかもしれない。そう考えてしまう程、記憶と重なる光
景を目の当たりにしていた。夕陽のオレンジの光の眩さも、思い思いに学園祭を
楽しんで帰る人の波も、最後までクラスの出し物に精力を尽くす生徒の姿も、レ
イジが一様理事長だから、と言ってふらっと顔を出した去年の学園祭でも見たも
のだった。変わったのは、レイジが遠い存在になってしまったことだけ。去年彼
が見に行くと言っていた演劇部の公演に、もしかしたらと思い足を運んだが、い
なかった。頬を撫でていった風の冷たさが、段々夜に近づいていくのを感じさせ
る。もうそろそろ、本当に諦め時だと言われているような気さえしながら、校門
まで続く屋台の並び沿いに歩いていく。少し顔を上げると、紺に染まりつつある
夕陽から離れたところにある細い雲がゆっくり動くのが見えた。
「ねえ」
何個目かの店を通り過ぎようとした時、肩越しに声がして思わずカタシロは立ち
止まった。静寂の中に落とされた一瞬の音のように、胸の中で響き、引き絞られ
るような心地がした。一度息を吐いてから、怖いような、早く彼の姿を見たいよ
うな思いで振り返る。レイジはカタシロを前に、ふっと口元を緩めて笑っている。
「・・・クレープ、奢ってよ」
言われていることにいまいちピンと来ていない、ぼんやりした頭のまま、横に並
ぶ出店の看板を見た。そのまま目線を下げると、店先で応対する係りの生徒と目
があって愛想よく微笑まれてしまった。このまま買わないで立ち去るのも何だか
忍びないし、買わないのに店の前で話をし続けるのは迷惑だ。仕方なく財布を取
り出す。
「・・・何がいいんだ?」
「生クリーム苺とチョコカスタード」
2つも食べる気なのかと、内心驚きつつ言われた通り注文した。
学園祭の為に飾りをつけ、彩られたアーチが上にある門の側に、クレープを手に
したまま歩いていく。壁に背を凭れて前を向くと、夕陽に染まった校舎全体が大
体見渡せた。 帰っていく人々が校門の外へ流れていく横で、カタシロがクレープ
を2つ手渡すと、1つ返されてしまった。自分が食べる為じゃなかったのか。首
を傾げているとレイジが口を開いた。
「それはリョウスケさんの。・・・少し付き合ってよ、久しぶりなんだしさ」
手元に戻ってきたクレープと、覗き込むように視線を向けるレイジとを交互に見
る。簡単に長い間会っていなかったことを引き合いに出してくるのだから、狡い。
卑怯だとも思う。けれど何時だってそこを振り切ることは出来なくて、結果的
にクレープに手を伸ばしてしまっているのだから、レイジだけじゃなくて自分だ
って変わっていない気がしてくる。余程のことがない限り手を出したりしないク
レープを、慣れない手つきで食べる。チョコとカスタードの甘さが口の中全体に
広がってきて、思わず顔をしかめた。咀嚼する度に襲う甘ったるさと格闘してい
るカタシロを、楽しそうに眺めるレイジの視線がくすぐったくも心地よくて、こ
の後離れなければならないのが急に怖くなった。ここに居るということは、レイ
ジなりに見つけた未来があるはずだ。去っていこうとする腕を掴むということは、
その未来を壊すことに結びついてしまう。そんなことはしたくない。未来を生
きろと言って引き留めたのは自分なのに、身勝手過ぎる。
「・・・レイジ」
カタシロは彼の絵に記されている仮の名を口にする。本当の名を呼ぶ勇気がなか
った。そうしていいところまでまだ彼が近いところにいるのか、分からない。
「トキオでいいよ」
今更だから、とでも言いたげにレイジが答える。思わず振り向いて目を瞠った。
レイジは傾いていく陽に目を向けたままだ。
「・・・トキオ、・・・・何で、ここに?」
もしかすると声が少し震えているかもしれない。らしくもなく。何となく、だと
か大したものでなくても、はぐらかされるでも良い。聞かずにはいられなかった。
願わくば、半端に抱いている希望を否定して欲しかった。レイジはカタシロの
問いに意識が覚めたような思いで、隣に目を向ける。
「・・・・責任を取って貰おうと思ったんだ」
「・・・・責任?」
言われてすぐに思い出せる辺りのことではないのか、ぱっと出て来なくて困惑し
ていると、自分の足元に視線を落とし、俯きながらレイジが続ける。
「・・・あの夜の後、分かったんだ。いや、思い知らされたと言ってもいいか。
・・・あんなに永遠に手にしていたかった過去が遠くなるくらい、決まって思い
出す記憶には君がいたんだ」
何も言えない。言うべき事が見つからなくて、口をつぐんでじっとレイジの声に
耳を傾けるばかりだった。まさか、レイジの言葉が本当なら、彼も追い求めてい
た永遠の過去を捨てて、自分のことを考えていたなんて、そんなことあるんだろ
た。呆れるほど長い歴史の中で人が作り上げた現世から取り残された古代文明が、
生き永らえる為に作られた世界と道連れになるようにして関わっていたことが
大分前に感じてしまう。他人からしたらそれなりに長い間縛られていたと思える
だろうし、事実カタシロだってそう思っていた。けれど、なかなか人の手、脳で
は明かせないゼロ時間だって壊れてしまえばそれまでだった。呆気ない。執着も
何もない、むしろ壊れてしまうのならばそれでいいと思っていた。ただ、隣で崩
壊の時を呆然と見ていたレイジがこの夜が明けたら宵の紺に溶けてしまったかの
ようにふっといなくなってしまうんじゃないかと、横顔を見ていて不安になった。
だがそんな不安とは裏腹に、レイジに限らず終わりを迎えたゼロ時間も、綺羅
星十字団も過去の一部分になり、すぐまた各々の日々を生き始めた。息をする、
瞬きをするといった自分の意識から離れたところで繰り返し行われていることを
止めるよりは、流れに身を任せて生きている方がずっと楽で、それは、今は形な
き別世界に囚われ続けていたレイジも、そうだといい。
あの夜が明けてから、カタシロはレイジに会っていなかった。探しにも行ってい
ない。彼を探さないと選んだのは初めてだった。いつも選択肢として存在してい
たはずのに、見えていなかった。本能的に動いていた足は動かなかった。彼と自
分を繋いでいたものが無くなって尚、追いかけてどうするのか。今まで思い浮か
ばなかった疑問が頭を占める。何もなくなった状態で傍に居たって、どうしよう
もないじゃないか。レイジの夢という名の野望の行き先は見届けた。彼が永遠に
手にしたい過去にすらいないカタシロが傍に居られるのはそこまでだろうと、初
めから分かっていた。自分は彼の世界に入ることは出来なかった。許されなかっ
た。なのに、追うのを止めた両足は前に進むのを拒み、誰の影もない後ろを時折
振り返っている。その先で、一目でいいからレイジの姿が見られることを願って
しまっていた。未来を望まない彼の未来が、どんな形でもいいから、存在してい
るといい。
理想と、何の関わりもなくなったカタシロの前にレイジが現れるはずがないとい
う現実的思考を半分ずつくらいに抱いている間にも、季節は足元をひっそり流れ
て、一周して戻ってきたのかもしれない。そう考えてしまう程、記憶と重なる光
景を目の当たりにしていた。夕陽のオレンジの光の眩さも、思い思いに学園祭を
楽しんで帰る人の波も、最後までクラスの出し物に精力を尽くす生徒の姿も、レ
イジが一様理事長だから、と言ってふらっと顔を出した去年の学園祭でも見たも
のだった。変わったのは、レイジが遠い存在になってしまったことだけ。去年彼
が見に行くと言っていた演劇部の公演に、もしかしたらと思い足を運んだが、い
なかった。頬を撫でていった風の冷たさが、段々夜に近づいていくのを感じさせ
る。もうそろそろ、本当に諦め時だと言われているような気さえしながら、校門
まで続く屋台の並び沿いに歩いていく。少し顔を上げると、紺に染まりつつある
夕陽から離れたところにある細い雲がゆっくり動くのが見えた。
「ねえ」
何個目かの店を通り過ぎようとした時、肩越しに声がして思わずカタシロは立ち
止まった。静寂の中に落とされた一瞬の音のように、胸の中で響き、引き絞られ
るような心地がした。一度息を吐いてから、怖いような、早く彼の姿を見たいよ
うな思いで振り返る。レイジはカタシロを前に、ふっと口元を緩めて笑っている。
「・・・クレープ、奢ってよ」
言われていることにいまいちピンと来ていない、ぼんやりした頭のまま、横に並
ぶ出店の看板を見た。そのまま目線を下げると、店先で応対する係りの生徒と目
があって愛想よく微笑まれてしまった。このまま買わないで立ち去るのも何だか
忍びないし、買わないのに店の前で話をし続けるのは迷惑だ。仕方なく財布を取
り出す。
「・・・何がいいんだ?」
「生クリーム苺とチョコカスタード」
2つも食べる気なのかと、内心驚きつつ言われた通り注文した。
学園祭の為に飾りをつけ、彩られたアーチが上にある門の側に、クレープを手に
したまま歩いていく。壁に背を凭れて前を向くと、夕陽に染まった校舎全体が大
体見渡せた。 帰っていく人々が校門の外へ流れていく横で、カタシロがクレープ
を2つ手渡すと、1つ返されてしまった。自分が食べる為じゃなかったのか。首
を傾げているとレイジが口を開いた。
「それはリョウスケさんの。・・・少し付き合ってよ、久しぶりなんだしさ」
手元に戻ってきたクレープと、覗き込むように視線を向けるレイジとを交互に見
る。簡単に長い間会っていなかったことを引き合いに出してくるのだから、狡い。
卑怯だとも思う。けれど何時だってそこを振り切ることは出来なくて、結果的
にクレープに手を伸ばしてしまっているのだから、レイジだけじゃなくて自分だ
って変わっていない気がしてくる。余程のことがない限り手を出したりしないク
レープを、慣れない手つきで食べる。チョコとカスタードの甘さが口の中全体に
広がってきて、思わず顔をしかめた。咀嚼する度に襲う甘ったるさと格闘してい
るカタシロを、楽しそうに眺めるレイジの視線がくすぐったくも心地よくて、こ
の後離れなければならないのが急に怖くなった。ここに居るということは、レイ
ジなりに見つけた未来があるはずだ。去っていこうとする腕を掴むということは、
その未来を壊すことに結びついてしまう。そんなことはしたくない。未来を生
きろと言って引き留めたのは自分なのに、身勝手過ぎる。
「・・・レイジ」
カタシロは彼の絵に記されている仮の名を口にする。本当の名を呼ぶ勇気がなか
った。そうしていいところまでまだ彼が近いところにいるのか、分からない。
「トキオでいいよ」
今更だから、とでも言いたげにレイジが答える。思わず振り向いて目を瞠った。
レイジは傾いていく陽に目を向けたままだ。
「・・・トキオ、・・・・何で、ここに?」
もしかすると声が少し震えているかもしれない。らしくもなく。何となく、だと
か大したものでなくても、はぐらかされるでも良い。聞かずにはいられなかった。
願わくば、半端に抱いている希望を否定して欲しかった。レイジはカタシロの
問いに意識が覚めたような思いで、隣に目を向ける。
「・・・・責任を取って貰おうと思ったんだ」
「・・・・責任?」
言われてすぐに思い出せる辺りのことではないのか、ぱっと出て来なくて困惑し
ていると、自分の足元に視線を落とし、俯きながらレイジが続ける。
「・・・あの夜の後、分かったんだ。いや、思い知らされたと言ってもいいか。
・・・あんなに永遠に手にしていたかった過去が遠くなるくらい、決まって思い
出す記憶には君がいたんだ」
何も言えない。言うべき事が見つからなくて、口をつぐんでじっとレイジの声に
耳を傾けるばかりだった。まさか、レイジの言葉が本当なら、彼も追い求めてい
た永遠の過去を捨てて、自分のことを考えていたなんて、そんなことあるんだろ