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ソフィアとアンソニー(レイトン)

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「ソフィア」

「なあに?」

唄うような、まるで上質の絹を彷彿させるような声で呼ばれて、耳だけじゃなくてくすぐったいと感じる。ただ彼は、その声は、何の用事もなくても自分を呼ぶことの方が多いので軽く相槌をして気にせずに本を読もうと思ったのだが、甘い甘い声音が何度もするのものだから、知らず赤面しそうになった。彼に気づかれてないと良い。彼は自分がどれだけ端正な容姿をしていて、どれだけ魅力的な声をしていて、どれだけ人を夢中にさせる瞳をもっているか自覚していないのだ。

「ソフィア」

「ふふ、だから何?アンソニー」

寂しがり屋の彼の度によんでいた本を閉じて振り向くために、羽のかたちのしおりをは丁寧に洋紙に挟んだ。このしおりはソフィアが一度風邪で伏せってしまった際にアンソニーがプレゼントしてくれたものだ。退屈してしまわぬように大量の本もかってきてくれて、その上夜はずっと一緒にいて色々なことを話してくれた。そうして、ソフィアが楽しくて時間も忘れると、体を治すためにそろそろ寝た方がいいと諭すのだから、ちょっとだけ意地悪してやろうと思って条件を出した。

手を握っててくれるなら、寝てあげる。そういうと彼は、顔を真っ赤にしてほんの少しだけ震えながら、でもしっかりと握ってくれた。とってもとっても幸せで、ソフィアは風邪だと言うのに少しも辛くなかった記憶しかない。

そのあとちゃっかり、アンソニーにうつってしまったことには悪いと思っているが、弱ったアンソニーを何から何まで世話してあげるのもとっても楽しかったのだ。

「ねぇソフィア、もしも君と僕がなにかによって引き離されて、会えなくなってしまったらどうしようか?」

「なあに、アンソニー。急に怖い話しないでよ」

二人が離れたら。想像するだけで恐怖に心臓が止まりそうだった。しおり一枚で溢れるほどの思い出があるのだ。この町のそこかしこに、ソフィアの心の至る所に、アンソニーとの思い出はちりばめられている。きらきらしていて、何よりも大切なそれら。

二人で育んできたのに、その自分たちが離れ離れになって、もう逢えなくなってしまったら?

どうして、どんな理由でそんなことになってしまうのか。そんなこと、あり得ない。だって自分はアンソニーを愛していて、アンソニーも自分を大事にしてくれている。この幸せが崩れてしまうことなんて。

……けれど、もしかしたら、あるのかもしれない。人生には予想だにしないことがいくらでも転がっている。

けれど、何があっても変わらないものもある。

ソフィアは奥歯を噛んで、アンソニーを見た。夜空に浮かぶ月に照らされる露のような瞳が情けなく垂れ下がっていて、街に訪問しにきた人たちと相対する時の毅然とした態度は見る影もない。

(捨てられた犬みたい)

そう考えたら、急にそうとしか見えなくなって、ソフィアはこらえきれずに笑った。

アンソニーは更に狼狽して、わたわたとソフィアの方を不安そうに見上げる。あんまり放っておくと、なんで急に笑いだすのさ何て不貞腐れてしまいそうだから眉を下げて謝罪した。

「ごめんなさいアンソニー。でも、あなたがその…あんまりにも、不安そうで」

「うん、不安だよソフィア」

アンソニーは真っすぐに、まるで子供みたいに繰り返す。怖いんだ、と。

「……もし、そんなことになったら」

そんなアンソニーの顔を見たらやれやれ、しょうがないなあ。という気分になってそ、あい。アンソニーは領主で、しかもとびっきりの美形で社交的で皆の憧れで、けれどそこらの町娘である自分を心から愛してくれている。冗談かとおもったこともあるけど、そのなんだか母性を引き立てるような仕草もきざな台詞も優しげな眼もすべてソフィアへの愛を雄弁に語っていた。言葉よりもずっと。

だから分かる。アンソニーは本気で不安がっている。最初はふとした思い付きだったのだろう。何とはなしに、何となく、ぼんやりと考えただけにすぎない。けれど想像すればするほど怖くなって何度打ち消しても湧き上がってしまって不安で不安でその不安を抱えたまま自分を甘やかしてくれていたのだ。そんな大人で子供なアンソニーが見せた弱さを愛しいとしか思えない自分は、やっぱりアンソニーのことを骨の髄まで愛してしまっているのだろう。

不安なのはソフィアもだ。でもだから、アンソニーの不安も、自分の不安も打ち消したい。知らずそうね、と優しい声が紡がれた。ソフィアの喉から発せられたものだ。

「手紙を書いて」

「手紙…?」

ぽかんとするアンソニーにソフィアは笑いかける。そうよぉ、と笑って恥ずかしそうにうつむく。

「アンソニーのことだから、きっと何も考えず恥ずかしいことをいっぱい書いちゃうのよ。それを配達の人が見ちゃったら嫌でしょう?別に、アンソニーのことが嫌な訳でも噂が広まるのが嫌な訳でもないわ。ただ、アンソニーの私の為の文字を私以外が見ちゃうのが嫌なの。我儘でしょう?」

「我儘なんかじゃない。…嬉しいよ」

「そう言ってくれる?」

「勿論さ」

独占欲とか、妬心とか、ソフィアはそこらに居るただの女だからいくらでも抱いてしまうのだ。アンソニーが自分の何をそんなに愛してくれているのか分からないけれど、こんな醜い自分を受け止めようとしてくれるところはあまりに優しいと思う。そんなところが、好きで好きで仕方ないのだけど。

「…だから仕掛けをするの。ああもしかしたら手紙だと雨に濡れてだめになってしまうかもしれないわね。うんと遠く引き離されたら手紙が旅の途中で船に沈んでしまうかもしれないわ。だからアンソニーは私に箱を届けるの。箱なら沈んでも流れ着いてくれるかもしれないでしょう?そうして私は海岸何かを散歩してる時にその箱を見つけるの。そして箱のナゾをうんと無い知恵絞って開けるの。あなたの恥ずかしい手紙に赤面しながら私は返事をつづるわ。もうすぐ帰ります。愛しいアンソニー。って。

どんなに遠く離れても、必ず書くわ。…私がどんな状態でも」

「ソフィア!」

突然思いきり抱きつかれて倒れかける。アンソニーがその整った顔をくしゃくしゃに歪ませて笑っていた。泣いているみたいに。

「愛してる、ソフィア。この愛は何年たっても風化することはないとちかおう」

「そうね、何年持つかしら」

「ソフィア!」

「冗談よ、アンソニー」

幸せな、ひと時だった。





街を出ると決めて、駅のホームに立った。

見送りは誰もいなかった。居る筈がなかった。自分は街の女性にはアンソニーと言う誰もが憧れる人を奪った女として敵視されてしまっているのだ。アンソニーはそういう現場を見るたびに毎回毎回あなたがそんなに怒ることがないのに、と思うくらいの怒りを見せて追い払っていた。

考えていたら、急に涙が出てきそうになって必死に奥歯を噛んだ。泣いたら駄目だ。アンソニーはきっと、自分に裏切られたと思っている。

何かによって引き離されたらどうしようか?