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夜明けの前に

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「やっと始められるぜ。全員纏めて叩き潰してやる」


ケルン郊外の飛行場は慌しい準備期間も過ぎ、嵐の前の静けさとでも呼ぶべき
静寂に包まれていた。明朝にはプロイセン自身も部隊の一員として乗り込む予
定の輸送機も度重なるチェックを終えて、今は息を殺すように眠っている。
基地全体を包む静寂には相応しくない高揚を過分に含んだ声音に、ドイツは軽
く眉を顰めた。
「兄さん、あまり相手を軽んじるなよ」
「ベルギーもオランダもルクセンブルクも俺達の敵じゃねぇし、今回の作戦
 なら必ずフランスの裏をかける」
「イギリスの大陸派遣軍が必ず出てくるぞ」
「はっ、フランス共々北の海に払い落としてやるぜ」
けせせと独特のやり方で笑いながら言い切ってみせるとプロイセンは浅く腰掛
けていた窓の桟から足音一つたてずに降り立ち、ドイツに向けて手招きをした。
兵舎の固いベッドを形ばかりはと整えていたドイツは数秒そのふらふらと揺れ
る不揃いな爪の先を眺めた後、ベッドメイキングの手を止めて歩み寄った。
毎日トレーニングを欠かさない盛り上がった二の腕をぽんと叩く。
「どうしたよ、いやに消極的じゃねぇか」
まさか今さらビビってるなんて事ねぇよなと軽い口調で言うが、その細かな隙
間に漏れ見えるのは過保護な兄の一憂で、その度ドイツは面映さと歯がゆさを
織り交ぜた気持ちになる。もう兄の背を追い越して久しいというのに未だにど
うしたってプロイセンの目に映るドイツは、先回りしてあれやこれやと気を回
してやるべき年少者なのだ。
「不安か?」
「……」
「大丈夫だって。俺達は強い。22年前と同じようにはならないさ」
にかりと歯茎が見えるほどに大きな笑みを作り、険しい顔を止めない弟に発破
をかけようとおどけた調子で続ける。
「それに今日は5月10日だ。対フランスにかけてはこれほど縁起のいい日も
 そうそうないぜ。またあの髭面叩きのめして……」
「違う、兄さん」
話すうちテンションが上がったのか早口になりかけたプロイセンを遮ったドイ
ツは腕に触れる手を包むようにとる。兄の憂慮は全くの見当違いだった。
「そんな心配をしているんじゃない」
「じゃあなんだよ」
少しだけ低い目線から直線で合わせられる視線は嘘偽りを一欠片も許さない
とばかりに真摯な強さを宿していて、だからドイツは本当ならば秘めておこう
と決めていた小さな懸念を口にした。
「貴方も……出るだろう」
「は?」
「先陣をきる空挺部隊と一緒に貴方も出撃するだろう」
「……ルッツ、俺の現在の所属部隊は?」
「……第7航空師団第1降下猟兵連隊」
「そう。今回のスタートダッシュには必要不可欠な作戦を遂行する切込み隊だ」
「承知している」
「俺が出ない訳がないだろ。そんな事作戦立案の段階から分かってたしお前も
 納得してたじゃねぇか」
呆れたとため息をつくプロイセンはドイツの憂慮を正しく見透かしていた。
長じるにつれ兄に対して持つには些か好ましくない偏愛をそのハート型の心の
器で育んでしまったドイツは時々、プロイセン本人が煩わしいと癇癪を起こす
くらいその身を案じ、叶うならば常に目と手の届く範囲に繋ぎとめておこうと
してしまう。
ドイツよりずっと戦いに慣れている人を相手に、おかしな話だった。
「分かっている、俺も兄さんが出た方が士気も上がり戦術上も進撃力が格段 
に上がるし安心できる。それが一番いいのは分かっているんだ」
悔しさを抑えようとすればするほどドイツはそうできない本心を持て余す。両
手で握りこんだプロイセンの手をぐっと自分の額に押し付けながら祈るように
吐露する。
「だが、臨戦態勢の敵陣の真っ只中に降りるんだ。どれだけ損失があるか分か
 らない。ただでさえ低空飛行の難しい気象だからグライダーに変えたんだ。
 もしかしたら目標とは全く別の場所に部隊が散り散りになって降下してしま
 うかもしれない。そうしたら各個撃破の的になるだけだ」
いくら兄さんだって多勢に無勢という事はあるだろうとドイツは声を絞り出す。
右手を弟の為すがままに預けたプロイセンはそんな杞憂を笑い飛ばしたりはせ
ず、ごく稀にドイツにだけ聞かせる物語を紡ぐような優しい調子で言った。
「ルッツ、お前は優しい子だ。だが知っているだろう?いつだって俺はお前の
 前で剣を振り続けてきたんだ。お前に背を見せて戦う事が何よりプロイセン
 という存在に輝きと彩りを与えてくれる」
「兄さん……」
「なぁ、きっとそれはお前が俺の前に現れるよりずっとずっと前から決まって
 いた事なんだと俺は思う。栄光あるドイツ、その御前で剣を振り敵を屠り、
 そうしてお前からは祝福のキスをもらえるんだ。こんな幸福、他にはないぜ」
思わず顔を上げたドイツにプロイセンは下手くそなウィンクをしてみせる。

作品名:夜明けの前に 作家名:_楠_@APH