ティル・ナ・ノグ
問われた、どちらかといえば童顔の男は、そうだな、と正解のような不正解のような答えを口にする。
「テロには限らない。だが、テロリストが関わっている可能性は考慮すべきだ」
慎重な答えは、彼がより深い考えを持っていることを暗に示していた。読めない表情の下で、彼は多くのことを考えているのに違いない。
「そして、原因に関与していなくても、それを利用しようと考える連中がいるだろうことも考えなくてはいけない」
あ、と質問した部下は思わず声をあげた。そうだ、確かに目の前に現れた美味い餌に群がらない連中もいることは視野に入れるべきだろう。大佐は諭すように続けた。
「あらゆる可能性がある。だが、ただ一つ言えることは、人間の敵はいつも人間だということだ」
最初に報告を受けたときと同じことを、彼は繰り返した。
「それを忘れてはいけない。そして、同じ人間が相手なら我々の方がずっと強い。それも忘れてはいけない」
自身を持て、というように彼は鷹揚に笑った。それは度量を感じさせる表情で、彼が真実人の上に立つだけの器量を備えた人物であることを雄弁に示していた。
「以上のことから、一番にすべきことは、村をただ巡回し監視することではなく、実際に村の近くに駐屯地を仮設でもして監視することだと考えている。もし犯人は現場に戻る俗説の通り戻ってくればそれもよし。逮捕してそれで事件は解決だ」
そんなに簡単にはいかないだろうが、と付け加えて彼は続けた。
「次に、貨物列車のスケジュールを確認する。特に銃火器、食料、燃料、武器に加工が可能なものについては運搬スケジュールを確認、今の時点では運行を中止させる程ではないが、必ず監視が行き届くようにすること。可能ならルートを変更させることも考えた方がいい。これは各企業へ通達を行う。それから、村人が消えたタイミング再度洗い出す。それ以外の失踪事件についても、もう一度洗い出しを行う必要がある。――地味な仕事ばかりだが、心してほしい。何でも起こってしまってからでは遅いんだ」
最後の静かな物言いは、深いものだった。
起こってしまってからでは遅い――戦争も、動乱も。何事も実際に起こってしまってからでは何も出来ない。そして壊れたものを元に戻すことは出来ない。
「それに、恐らく最後に一度か二度は捕り物になるだろう。その時こそ諸君の力の見せ所だ」
彼はひとりひとりをよく見回してそう告げた。そして、少年のような顔で笑ってこんな冗談を口にする。
「早く片付けたら特別休暇をつけよう。軍人ばかりがバカンスを楽しめないなんて、悪しき習慣だとは思わないかね?」
あちこちで浮かれたように妖精事件の話題が繰り広げられていたが、軍人以外にもその被害に遭っている人物は存在した。
たまたま失踪した人間に近日中に会っていた、という内容で調査に呼び出された錬金術師もそのひとりだ。
「…なんっで一回会ったっきりの人間をオレがさらわなくちゃいけないんだっつうの」
金色の大きな目で恫喝され、取調べに当たらされた(つまりは貧乏くじを引かされたということだ)少尉は悲鳴を上げそうになった。相手は国家錬金術師。軍の位階では佐官に相当する。しかしそうはいっても子供だ、簡単だろう、そう笑ってこの役目を押し付けた上司を善良なる少尉は恨んだが、そういう星のめぐりだったと諦めるしかなかった。もしくは、犬にかまれたと思って?
小さくて細い。小さな子供のような。
それが、その人物の第一印象だった。だが相対してみてのこの威圧感はどうだ、と少尉は泣きたくなった。小さな体を地面に突き刺して立っているような…、けれどそれは、小さな入れ物に無理やり大きなものを押し込めたような、そんなそぐわない存在感に満ちている。特に印象的な金色の瞳はまるで獣のようだった。つまり、とてもではないが手に負えないと、一言で言うならそういうことだった。
だが仕事は仕事だし、規則は規則である。手順や定石というものがどんな作業にもあるのは当然のことで、だからこそ、エドワード・エルリックは形だけでも取り調べに応じる他なかったのだ。
調査官が及び腰では本格的な調査などできようはずもない。それに、どのみち規則だからエドワードは呼び出されたのであり、嫌疑がかけられているわけでもなかった。形ばかりの聴取を受けて、早々に彼は解放された。
「ご協力、ありがとうございました」
やっと解放される! その感想は普通に考えればエドワードのものだったのだろうが、取調べに当たった少尉こそ切実にそう考えていた。もうこの空間で胃を痛めることはないのだ、そう思ったら目の前が明るくなる思いだった。
「ああ」
ぶすっとした顔を隠しもしないで少年が立ち上がる。その時不意に、少尉はそれまでの緊張と苦痛に引きつった顔を緩めた。
「…あれ…」
「なんだよ」
不機嫌そうにちまっこい、だが態度は巨人クラスの国家錬金術師様がやぶ睨みに見据えてくる。慌てて「なんでもありません」と少尉は手まで振ってごまかす。エドワードは暫し疑うような目でそれを見ていたが、ふいと視線をそらすとそれきり何も言わず部屋を出て行ってしまった。だが出て行きしな、今度こそはっきりと少尉は感じて目を瞠る。
――甘い匂い。花のような。
「…香水でもつけてんのかね?」
立ち去り間際に少年からは微かに、けれど確かに甘い匂いがした。少年であればしないような、不自然な香り。けして不快ではないが、それでも違和感はあった。大体、聴取の間はそんなものを感じなかったのに。
少尉は首を捻ったが、まあいいか、とその感想は忘れてしまった。彼にはまだ仕事が残っていたので。
例によって例のごとく、エルリック兄弟は探し物の旅の途中である。その合間で、これもまたいつものように、目ぼしい文献を持っている人物を探し当てた。コンタクトをとり、残念ながら目的を果たすには至らなかったものの、それでもそれなりに有意義な時間を過ごした数日後、その人物は忽然と姿を消してしまった。今流行の妖精事件らしいというのが専らの噂で、驚いたのはエドワードを呼び出した軍もその噂を軽視していないらしいということだった。尤も、さすがに軍は妖精の存在を認めているわけではないようだが。…もし認めていたら、さすがのエドワードでも今後の国軍を心配せずにいられなかったことだろう。